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叩く。

夕刻近く、電車を降りた人たちが構内のエスカレーターへ向かう。

その人波にもまれながら、唐突に、ひとりの中年の女が前を行く人の背中を叩いた。

女はすっとひとの後ろにまわり、何気ない顔をして一撃突くようにして叩く。そして何事もなかった顔をして、そばを離れる。

離れたところでまた何人かの背を叩いた。男性も女性も叩かれた。どのひともきちんとしたみなりのひとだった。

叩かれたひとは、何事が起こったのかわからないが、とにかく後ろを振り返り、その女に気づく。

どのひとも理不尽なおこないをした女に対して、問うような、とがめるような視線を送る。周囲のものも同じように女を睨むが、誰も声にはしない。

女は知らん顔をする。叩かれるほうが悪いというふうな顔つきでもある。

女は水色のコートを着ていた。その体型は寸胴で、しまりのない足首にソックスがたれている。深くかぶった帽子の下から膨らんだ頬がはみ出ている。

まっとうな言葉がかよっていかない空気がそこにあった。透明だけれども、こちらからは突き抜けることのできない分厚い空間が横たわっているように思えた。


「ふん!なにさ」「ふん!なにさ」「ふん!なにさ」
ホームの柱の凭れたその女の体中から繰り返しそんな台詞が聞こえてくるようだった。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️