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1900年-2013年

同じ年に生まれて、飛行機に恋した作家がいる。1900年生まれ、アントワーヌ・サン=テグジュペリと稲垣足穂である。二人は同学年。

片や飛行機乗りになった男、片や飛行機乗りになれなかった男。

それは互いに互いの文学を形成するうえで欠かせない体験である。

空を飛んだ高揚で文学を産む者、空に焦がれ墜落の幻視を文学にした者、共に飛行機を愛していても、その先は決定的に異なる。

サン=テグジュペリは「星の王子さま」がまぁ、世界的に有名なわけだが、その他にも飛行機小説や随筆をたくさん書いている。本当に飛行機に乗っていた側からの発信である。

サン=テグジュペリ、と、いえば、箱根にあった、昨年閉館した『星の王子さまミュージアム』があった。

私は、箱根には一度しか行ったことはない。それは、90年代だったと思うが、箱根彫刻の森美術館でピカソの展覧会をやっていて、両親に連れて行ってもらったのだ。その時に、確か、ディズニーランド(無論、シーはまだ存在しない)にも行った記憶がある。
まだ子供だったから、ピカソ、という名前は識ってはいても、どれほどの藝術家は識る由もない。然し、この思い出は心に刻み込まれているから不思議だ。記憶とは不思議だ。何故か、覚えておきたいものよりも、何でもない時間が火のようにいつまでも心にチラチラと瞬いている。これは、永久に忘れない記憶だ。多分、あと何十年も先も色褪せない、幾つかの記憶の一つだろう。

そんな時代にまだ存在しなかったこのミュージアム。行っておけばよかったなぁ、なーんて思うわけだが、大抵、人間というのは、無くなった時に、いなくなった時に、その大切さに気付くものなのである。

飛行機文学を愛している天才に宮崎駿がいるわけだが、宮崎駿は空を飛ぶ快楽を肉体でもってしてアニメーションに落とし込む魔術を用いその翼は人々の心に美事に降り立ったわけだが、『風立ちぬ』においては、飛行機乗りになれずに、然し、飛行機を作った男の物語を描いた。

三者三様の飛行機文学があり、足穂だって飛行機を作ろうとしていた若き時代があったが、それは何時しか儚く消えた。

けれども、宮崎駿は『風立ちぬ』において、飛行機の快楽、飛行機の墜落、飛行機の創造、その全てを余蘊ようんなく見事に包んでみせた。それはジブリのアニメーション監督としての業と重ねる演出、即ちアニメーション監督と設計技師の仕事を重ねて描かれたが、そのうえで、ここには飛行機における汎ゆる感情が込められていて、ジブリ作品の中でも突兀したものの印象を受ける。

無論、堀越二郎は堀辰雄という小説家・詩人に融合させられた人間として描かれているから、ここでは通奏低音として堀辰雄文学が流れている。それは、あの、緑あふれる美しい村、いや、美しい軽井沢のホテルをキャンパスに見事な色彩で描かれていて、然し、お仕着せの恋愛ドラマは所詮は物語を成立するためだけのカモフラージュに過ぎず、これは飛行機に恋して飛行機と心中する男の物語である。

飛行機は美しい夢だ、と、『風立ちぬ』では語られている。
飛行機は夢であると同時、全てを呑み込むものとしても。
人殺しの道具として飛行機の歴史はこれもまた『風立ちぬ』においては、極めて抑制的に描かれている。直接的な破壊の音色はこだましない。宮崎駿の多くの作品には戦争の匂いが濃厚に立ち込めているが、その1本である『ハウルの動く城』においても、同様に抑制的だ。

『風立ちぬ』は青春の記録であり、飛行機は青春の依代となっている。

飛行機は美しい夢であると同時に、常に死を纏っている。人間は鳥ではないからだ。空の恐ろしさは、どこまでも広くはてがない無限であることだ。その無限の海に、人は鉄の棺桶で繰り出す。その先には宇宙がある。ライアン・ゴズリングはアームストロングに扮して、『ファースト・マン』で月という地球から380000km離れた死者の国へ娘に会いに行く。そこで彼の乗る宇宙船はあまりにも棺桶的だった。

来週、月面着陸映画『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』が公開される。エヴァを思い出す…。


墜落こそが飛行機の本質であること。

サン=テグジュペリは44歳の時に、マルセイユ沖で消息を絶った。


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