曲がりくねった道の先にー。
気が付いたら、選手と同じ高さでJリーグのピッチを眺めていた。
2021年の春のことだった。
曲がりくねった進路
働くも何も、私の進路選択は紆余曲折から始まっている。英語が得意だった中学生時代から一転、高校に進学するや否や数学の才能が開花した。それまでは海外で働く父の影響もあって「外語大に行く」と言っていたくせに、日を追うごとに数理系の道しか見えなくなるほど、歴然としたギャップが生まれていた。だからこそ、だ。私は進路に悩んでしまった。
「得意を生かして数学科に行ったとして、将来何になるのだろう」
この答えが全く見つからなかった。先生になろうと思ったこともなければ、研究者になるほど究める覚悟もない。実際にはそんな深く考えず、“なんとなく好きな学問”を選ぶ人もいないではないだろう。もっとも、学部を選んだからと言ってそれが将来の職業に直結する人なんて少ないくらいかもしれない。が、当時の私はそんな社会の実情を知らないゆえ、ただただ真面目に「数学を生かせる職業」そして「そこから逆算した進路選択」を考えていた。
見つからなかった。
結局、数学を学んだところでなりたい将来像は明確に見つからなかった。そして高校3年生になるまで進路希望を迷走させ、最終的に
「医学部は無理にせよ、医療に携わる仕事なら興味がある」
と、看護学部に決めた。将来看護師になることを目標に4年間を過ごそう、そう心に決めたのだ。
もしかして医療系学部を経験している人なら、こんな覚悟で乗り切れるほど甘い学部環境でないことはご存知の通りで、私は入学して2か月後には
「これは無理かもしれない」
と気づいていた。生物も好きじゃない、暗記科目自体が得意じゃない…他学部の授業で履修するプログラミングや確率論の方がよっぽど楽しかった。
途中で転部することも真剣に考えたが、結局のところ目の前の看護学部の授業や実習が忙しく、500円も払って買った願書はごみ箱行き。最終的には腹を括って国家試験まで臨み、なんとか看護師国家資格を手に入れた。
学生と一緒に「進路選択」を考え直そう
こんな看護師は嫌だ、と言わんばかりの4年間を過ごした私は、幸いにもその自覚だけはきちんとあったのか、一般企業への就職試験を受け、晴れて進路情報誌を制作する出版社に入った。明らかに文系の会社じゃないか、というツッコミはさておき、とにかく「いつ・誰から・どういった情報があれば、納得のいく進路選択ができるのか」「自分のように悩んでいる中高生もいるのではないか」といったクエッションが脳内を取り巻いたゆえの選択だった。高尚な言い方をすれば、大学時代に“本業”の傍らで学んでいた“情報の流通”について知見を深めたかったのもある。
実際の仕事は予想以上に多岐にわたり、進路情報誌以外の仕事もかなり多くこなした。時に初志はどこかへいったまま、がむしゃらに働き、時に体調を崩し、それでも編集者あるいは一社会人として生きる力を身に着けていった。新卒同期はもちろん、当時の会社の同僚には今も感謝している。
うっかり湧いてきた「サッカー」への思い。
客観的に見ればすっぱりさっぱり辞める以外の方法もあったのかもしれない。が、私にはどうしても、どうしても捨てきれない思いがあって会社をうっかり辞めてしまった。それは「サッカーに携わる仕事がしたい」という夢だった。
仕事のキャリアを語る上では登場頻度の少ない「サッカー」だが、何を隠そう小学生時代からサッカーが大好きな女の子だった。卒業文集に「サッカー選手になる」と書くのはありきたりだが、当時女子で書いていた人はなかなかいなかったに違いない。でも、そのくらい本気でサッカーがしたかった。
大学生時代の就職活動でも考えなかったわけではないが、やはりどうしても武器になるものに欠けていた。サッカー部で経験を積み上げたわけでもなければ、そもそも大学時代はもやしのような生活を送っていたし、どう考えてもかなわないのは自明だった。
けれども今なら、編集者としての経験がある、ライティングも多少ならできる―。初めて希望の光が差し込んかのように見えた。
光のあとの現実。
「どうしてもサッカーに携わりたいから」と書き添えた退職の挨拶は、誰も覚えてないことを祈っている。なぜならその後、まもなくして「無理だ」と気が付くからだ。仮に編集者としての経験があっても、文章が書けても、全く畑が違うところでうっかり30歳近くまで過ごしてしまった。紆余曲折あってその後広告代理店へ中途入社し、そこでもスポーツとの接点を虎視眈々と狙うが、少しあったことすら御の字だろう。サッカーとの接点は全くと言っていいほどなく、そこでも退職の日を迎えた。
それから先は全くのフリーランスとなった。「サッカーが」とはもう言わない、ごく普通のライターとして生きることを決め、開業届も初めて出した。
“とにかく自分が責任を持てる仕事を、責任が持てる量だけやろう。”
人間関係に疲れていたのもあって、そこからずっと生きやすい環境だけを選んで仕事を積み上げてきた。
サッカースタジアムでのアルバイトも、“その一つ”だった。
今。
冒頭に書いたように、私は今、地元でホームゲームがあるたびにスタジアムへ足を運んでいる。サポーターとしてではない、スタッフとしてだ。時折仕事の合間に、選手やコーチ陣、審判団しか出入りしないようなエリアを歩く。サポーターが興味深そうに、自分たちの働く様子を見ている。
”私も昔、スタジアム見学で同じことしたぞ。それが今は、見られる側じゃないか…”
一人で内心、ドキッとする瞬間だ。
たかがアルバイト。本業はまた、別にある。でも働くことができている、サッカーの現場に携われている。曲がりくねった進路の私に、ジグザグな働き方がやってきた。でも、それが実は、心地いいのかもしれない。
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