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私の体にキスマークはつきません(2/3)

こちらの続きです。

コンビニでお酒やタバコを買い込んでからすぐたどり着いた古い旅館は、歌舞伎町のど真ん中にあった。
場所的に考えると、
おそらくそういう行為をするための宿ではあるんだろうけど、
温泉旅行に来たくらいの気分を味わえた。
それくらい、趣がある建物だった。

入口の扉はオートロックもチェーンもなく、
居間の床一面が畳で、
和室にはベッドなどなくマットレスの上に布団が敷いてあって、
歴史の参考書でしか見たことないような大きな灰皿があって、
ドレッサーは和風の木製だった。

「収納の中に金庫がある…!」
「布団の横のふすまを開けたら鏡でした…!」
と楽しそうに少しだけはしゃぐ彼を見ながら、
あれ、本当は今日初めて来たのかな?とも思った。

私は鏡台の前に敷かれた座布団に座って、木の櫛で髪を梳かしながら、鏡越しに彼を覗き見た。
なんだか、昭和の夫婦になった気持ちになった。
なんだろう、この不思議な感覚は…
そうだ、私たち実家暮らしでもないのに、
お互いの家に行ったことがないんだった。
だからこうして、
同じ部屋の中で日常を過ごすことがなかったんだ。
何をするわけでもない、何を話すわけでもない、
だけど同じ空間にいる、
そんな普通のことが、とても大切なことのように思えた。

彼はバンドメンバーと同居している。
ライブ終わりにその人とも少しお話ししたことはあるが、
2人の共同生活についてはほとんど知らない。
聞いてはいけないような、そんな雰囲気があったから、掘り下げて聞くこともなかった。
基本、彼はプライベートについてあまり語りたがらないところがあった印象がある。

だけど今日の彼は教えてくれた。
「以前うちで働いてた子が近所に住んでいて、週3くらいでうちに集まって、男3人で遊んでるんです」
と写真を見せてくれた。
囲碁を嗜む男性陣の姿があった。
そんな人、存在すら知らなかったな…

忙しい忙しいっていつも会えなかったけど、
なんだ、忙しくなかったのか。
だけどなんだ…嘘ついて女の子を抱いてるんじゃなくて、
嘘ついて男同士で遊んでいたのか…
と思うと、少しだけほっこりした。
私より6個も年上なのに、なんだか子供みたい。

「光熱費は折半というルールなので、お互い遠慮の欠片もなくエアコンをつけっぱなしにしています。
ちなみに一応女人禁制で…だからお互いの異性関係は把握していない。彼はたまーにギャルと遊んでるみたいだけどね笑」

そっか、そうだったんだ…

というのも、私は付き合ってる頃ずっと疑問だったのだ。
新宿は彼らの家から近い、私の家は新宿からは遠い、彼の仕事が終わるのが遅いから私たちの集合時間はいつも深夜、
それなら、彼の家に泊まればいいのになんで毎回ラブホテル…?
と。
実は結婚してるんじゃないかとか、実は彼女がいるから私を家に上げれないんじゃないかとか、
私は結構本気でそんなことを疑っていた。
だけど、なんだ…
そういう理由があったのなら、もっと早く教えてくれれば良かったのに。
そしたら、不信感から別れを選ぶこともなかったかもしれないのに。

「これ、美味しいよ!どうぞ」
と、コンビニで彼が選んだシフォンケーキを差し出された。
ケーキはあまり得意ではないので、少しだけ食べた。

「お風呂、入る?」
と聞かれたので、はいと答えると
「じゃあお湯張るね」
と言われた。
もちろんお風呂も昔ながらの作りなので、お湯と水の蛇口をひねりながら上手に温度調節しなければならなかった。
そのあたりは彼に全て任せて、
私はのんきにテレビを眺めていた。
戻ってきた彼から浴衣を渡された。
凄い、バスローブじゃない!
本当に温泉宿みたい。

お風呂が沸いて、彼は服を脱ぎ始めたが、
居間の扉を閉める気配がしなかった。
不思議に思い目線をそちらに向けると、
「入らない…?」と聞かれた。
…なるほど、一緒に入るってことか。
そういえば、今まで一度も一緒にお風呂に入ったことがなかったな。
ホテルには何度も泊まってるはずなのに、
どうしてだろう…

浴槽はとても深く、ちゃんと腰掛けると口元までお湯で隠れた。
改めて裸を見せ合うと緊張する。
彼の体型の話になった。
学生時代のコンプレックスからストイックにダイエットを続け、今の高身長細身の体型を維持しているという。
「じゃあ私も痩せようかな〜」と言うと、
「いや、今のままが一番いいと思いますよ。健康体が一番魅力的です」と言いながら、
彼は私の背中をそっと抱きしめた。
もしかしたら、それは愛情表現ではなく、
ただ、裸で向き合っているのが恥ずかしくなったのかもしれない。

汗が全身をつたうのを感じる。
少しのぼせてきたので小窓を開けると、
外から警察と半グレらしき集団の抗争が聞こえてきた。
おそらく喘ぎ声なるものも聞こえてきた。
だけどその声の主はどうやら女性ではなさそうだった。
さすがは歌舞伎町、やっぱりここは温泉宿には程遠いな…苦笑

彼が体を洗う姿をぼんやり眺めていた。
ボディーソープにまみれる彼の太ももの毛を私の手のひらで撫で回して、
「アリ!」と言うと、
「流行ったよね…笑」と笑われた。
(すね毛ありんこ、という手遊びらしい笑)
そんな、なんてことない一瞬が、とてつもなく幸せに感じられた。
こんなリラックスした時間を過ごせるなんて、付き合ってる頃は思ってもみなかった。
それくらい私たちは、最初からお互い心に壁を作って、その壁はどんどん分厚くなり、そしてぎこちない関係性のまま終わりを迎えたんだと思う。

お風呂を上がってから、
帯の結び方がわかんないだとか女性ってどっちが前だっけ?だとか話しながら、
コンビニで買ったお酒で乾杯した。
いつの間にか、彼の口調は緩み、敬語ではなくなっていた。
おそらく、私が2人の空気に慣れて、敬語をやめていたからだろう。
付き合ってる頃は、いつもお互いに敬語だったな…
私がもっと早く敬語をやめていたら、別れる前に打ち解けられていたのだろうか。

夜も更けて、彼が寝室の方へ消えて行ったので、私はちょっと遅れてお邪魔した。
2人並んでお布団に寝転がりながら、お盆に乗って用意されていた大きな灰皿に灰を落とし、タバコを吸った。
寝たばこなんて火事のもと、今時どこでも禁止されてるはずなんだけど、
そこの旅館では「寝たばこの際は火事にお気をつけください」くらいの注意書きしかなかった。

「なんかモノマネして!」
と無茶振りをしてみた。
彼はキャラに似合わず、こういう無茶振りに結構素直に応えてくれる。
いくつかのモノマネを披露してもらって、
彼のバンドの練習動画なんかも見せてもらって、
今日は本当によく自分のことを教えてくれるな〜と思った。

だから私も、少しだけ自分を見せることにした。
お互いが大好きなSyrup16gの歌を、一人で鼻歌を歌ったり、
「ここの4回目の『大事』って歌詞、吐息マシマシの歌い方…ほら!」
とマニアックな話をしてみたり、
自分が大好きなYouTuberの動画を見せたりした。
彼は熱心に私の話に耳を傾けてくれて、たまに一緒になって笑ってくれた。

あぁ、なんだかとっても…
とっても、普通の恋人って感じがする。

これで良かった。
これが良かった。

デートの最後がいつもラブホテルだったことが嫌だったわけじゃない、
会うたびにセックスしてばかりだったことが嫌だったわけじゃない。
ただこうして、なんてことない時間を、私は少しでも過ごしたかったんだ、この人と。
裸なんて知る前に、
もっともっと、この人のことを知りたかっただけなんだ。

そんなことを思いながら、キスをした。

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