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第4話 本当はいい娘

「宇佐美ちゃーん、またここ間違ってるから。すぐ直してもらえる?」

「はい!ご確認ありがとうございます!」

宇佐美さんは、私の二つ上の代の先輩だ。
同じ営業事務課に配属されている。
おっちょこちょいだけど、仕事は真面目。
容姿もさながら、社内のムードメーカー的存在だ。

いいなあ、私も宇佐美さんみたいになりたい。

そんな淡い憧れを打ち砕かれるのに、
そんなに時間はかからなかった。

「蓼山さんって彼氏とかいるの?」

会社の飲み会で、宇佐美さんからふとそんなことを言われた。

「あ、いや、えっと…いないです…」

「狙ってる人もいない?」

狙ってる人…
狙ってるとまではいかないけど、
丸山さんに憧れはある。

丸山さんは営業一課の期待の星。
成績はそこそこだが、誰に対しても優しく、
困ってる人がいたらすぐ駆けつける。
まさに営業の鑑。

そんな丸山さんの優しさは私に対しても同じで…

私は社内では地味な方だ。
ブサイクではないとは思うけれど、いつもすぐそばに宇佐美さんがいたんじゃあ、私なんてそのへんの虫ケラ。

仕事は真面目にやっているつもりだが、
結果はなかなか出せていない。

営業課の男性陣からひどい扱いを受けているわけではないが、
宇佐美さんへの接し方と比べると、
私は周りからかなり距離を置かれているのだということがよくわかる。

「ちょっと、聞いてる?」

宇佐美さんの声でハッとした。

「狙ってる人もいないですよ」

「そう、それなら良かったんだけど…蓼山さんって丸山くんと仲良いじゃん?だから狙ってるのかなーって」

「いやいや、私なんかがそんなこと…」

宇佐美さんは誰か気になる人はいないんですか?
と聞き返せない自分のコミュ力の低さに嫌気が差す。

「なら良かった〜私、丸山くんのこといいなと思っててさ。ライバルがいたらいろいろと厄介じゃん?でもいいや。ぜひ応援して〜」

宇佐美さんはそう言って、グラスの氷を指で触りながら答えた。

なんだろう、私、今、さらっと失恋したのかな?
失恋でもないか…
私の丸山さんに対する気持ちは、ただの憧れでしかなかったんだから。

***

ある日、私はまだ仕事で大きなミスをしてしまった。
正直周りの人たちも私にうんざりしていると思う。
とぼとぼ帰路に着いた。

「蓼山さん…!」

後ろから誰かが走りながらこちらに近づいてくる音がした。
声の主は…丸山さん?

「今日、元気なさそうだったから!その、あの件、俺もちょっとだけ聞いたけど、気にすることないから!俺で良かったら全然話聞くよ!」

あぁ、やっぱり丸山さんは優しい。
ほぼ空気みたいに扱われている私のことを気にかけてくれる人なんて、社内で丸山さんだけだろう、きっと。

一度断ってみたものの、やはり今日のミスは自分にとってもダメージが大きく、
お酒に付き合ってもらうことにした。

丸山さんの優しさに甘え、朝まで過ごしてしまった私は二日酔いのまま出社した。

昨日と同じ服装、あからさまに匂うアルコールの残り香、
…そして出社していない丸山さん、お昼頃に会社に電話が入り「二日酔いがひどいので今日は欠勤させてください」とのことだったという。

私と丸山さんが昨晩一緒にいたことは、なんとなくみんな察しているだろう。

もちろん丸山さんは憧れの大先輩なので、
指一つ触れていないのだけど。

その日の夕方、女子トイレで宇佐美さんとばったり会った。

「丸山くんと一緒にいたの?」

宇佐美さんは、高そうで鮮やかな赤色のリップを塗りながら、鏡越しに聞いてきた。

…そうだった。宇佐美さんは丸山さんのことを…

私って最低だ、宇佐美さんの気持ちも考えないで、
自分のことばっかり優先して…

「はい、お仕事の相談で…ちょっと付き合っていただいちゃって…」

「ふーん、そうなんだ!朝まで?2人きりで?」

何もしてない、ずっと居酒屋にいただけ、
なんて信じてもらえないかもしれない。
なんて答えたら良いのか…
宇佐美さんを応援するって約束して裏切ったことに変わりはないし…

「えっと…」

「そういうことね、じゃあいいや!りょうかーい!」

そう言って、宇佐美さんは女子トイレを後にした。

怒っているのか、気にしていないのか、よくわからなかった。

それから、宇佐美さんは別人のようになった。
自分のタスクのほとんどを私に投げ、
どんな細かなミスでも見逃さず指摘し、
もううんざりするくらい毎日毎日詰められた。

「宇佐美さんって後輩思いだな〜」
「宇佐美ちゃんも先輩らしくなったねえ」
なんて周りの人は褒めていたけれど、
私にとっては地獄の日々だった。

「そんな服装では営業事務は務まらない」
「ネイルなんて論外」
「もっと垢抜けるメイクでもしたら?」
「敬語、ちゃんとして」

宇佐美さんからの数分単位の指摘に、
私は自分の存在価値すらわからなくなってきていた。

そんな日々に疲弊していく私を気にかけてくれたのは、
…丸山さんだった。

「大丈夫?宇佐美さんさ、最近ちょっと蓼山さんに当たりきついよね…しんどくない?」

たったその一言に、また心がぎゅっとなった。

「俺はさ、蓼山さんが頑張ってるの、知ってるから。ちゃんと見てるから」

丸山さん、ありがとう…

「ありがとうございます」と、深々とお辞儀をして
オフィスを後にした。

そうだよね、私は頑張ってる。
私の配慮が足りなかったのは事実だけど、
恋愛のことを仕事に持ち込むなんて宇佐美さんがどうかしてる。
絶対に見返してやる。

そう決心して、私は死に物狂いで仕事をした。
時には丸山さんに慰められつつ、
時には宇佐美さんへの復讐に燃え、
そうして、3ヶ月が過ぎた。

***

「今日は皆さんにご報告があります」

朝礼で、丸山さんがみんなの前に立った。
その姿を見るやいなや、宇佐美さんが立ち上がった。

「この度、わたくし丸山は、宇佐美さんと入籍いたしました」

えっ…

宇佐美さんも前に出て行き、丸山さんの隣に並んだ。
仲良く並んだ。

「じゃあ、ひな…あ、宇佐美さんからも一言…」

「はい、ご紹介に預かりました通り、わたくし宇佐美は丸山さんと入籍いたしました。そのため、来月をもって退社させていただきます。入社以来、これまで皆様には…」

その後の言葉は頭に入ってこなかった。
何が…一体何が起きている…
よくわからない、どういうこと?
丸山さんと宇佐美さんが結婚…?
いつの間に?
いつから付き合っていたの?
だって、全然そんな…

朝礼後の車内は、相変わらず祝福ムードだった。

そして私は、丸山さんと宇佐美さんに呼び出された。

集まったのは備品倉庫、しばしの沈黙が続いた。
それでも、暗い表情をしているのは私だけで、
「2人」からはあたたかな眼差しが向けられていることがわかった。

私は、倉庫内のラックに並べられた書類の文字を、
意味もなくぼーっと見つめていた。

最初に口を開いたのは丸山さんだった。

「蓼山さん、うちの日菜子がごめんね。今まで大変だったでしょう」

「ちょ、ちょっと…!会社なんだからその呼び方はやめてよ!」

あーごめんごめん、なんて笑いながら丸山さんが宇佐美さんを見つめる。

「結婚したら家庭に入って欲しいって、俺が日菜子にお願いしたんだ。だから寿退社になることが決まって…
そしたら日菜子の業務を継いでくれる人が必要でしょ?
……俺が蓼山さんを推薦したんだ!」

宇佐美さんは、恥ずかしそうに丸山さんを見つめているままだ。

「そしたら日菜子頑張っちゃって…
『蓼山さんには私を超えるくらい立派な営業事務になって欲しい』って。
だから、ちょっと行き過ぎた指導もあったと思うんだけど…
それは日菜子なりの愛だから許してやって欲しい。
ほんとこんな感じだけど、家ではいつも悩んでたからさ。俺はそういう日菜子の一面も見てたから…
日菜子はまっすぐで一生懸命で後輩思いのいい娘なんだよ!」

宇佐美さんは照れた表情で髪を触る。

「それに、蓼山さんを推薦した俺にも責任があるから、俺も蓼山さんのことは丁寧に気にかけるようにしようって思ってさ」

「あー、あ、そういうことだったんですね、あー」

笑顔を作るのに精一杯だった。

私の口からは、それ以上の言葉が出てこなかった。
自分が何を考えているかもわからなかった。

「日菜子は残り有給消化と退職手続きで、今後はあまり蓼山さんと仕事することはなくなると思うけど…最後の日まで、うちの日菜子をよろしくね!
俺と日菜子の期待の星、蓼山さん!」

宇佐美さんは少し恥ずかしそうにしながら、私に向かって軽く会釈をした。

「あ、の、そうですね、…はい、ありがとうございます!」

うん、じゃあこれからもよろしく、
と丸山さんが言って、2人は倉庫を出て行こうとした。

咄嗟に、
「あの!ご結婚、おめでとうございます…!」
と伝えた。

振り返った2人は嬉しそうな表情で、
「ありがとう!蓼山さんも、きっといい人が見つかるよ」
と言って、出て行った。

***

あーなんだか、なんだろう。
何にも浮かばないや。
私は、誰と戦ってたんだろう…

丸山さんが私に優しくしてくれていたのは、
宇佐美さんのためだったの?

宇佐美さんは、丸山さんと朝まで飲んだことに腹を立てて嫌がらせを始めたんじゃなくて、
私に期待して…
私を成長させたくて…
好意で指導してくれてたってこと?

じゃあ、何も知らずに、
丸山さんの優しさに一喜一憂して、
宇佐美さんを憎んでた私って、何なの…?

結果的に、私は成長させてもらえたんだからいい?

…絶対、そんなことない。
あの日々に味わった苦悩は、
仕事をする上での原動力になった以上に、
私をもっともっと深く苦しめた。

私って、何なんだろう。

『日菜子はまっすぐで一生懸命で後輩思いのいい娘なんだよ!』

丸山さんの声が脳内でリフレインする。

本当は、いい娘。
本当は、いい娘…

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