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美術館の音
昼下がり。静かな面持ちでふと飛び込んだのは美術館だった。
何がやっているのかすらもわからないまま、滑り込むように館内を見回せば、多くの美術品が私に視線を合わせて微笑みを送る。
特に意味はない。
別になにか目的があってここに来たわけでもなければ、美術館が好きだからここに来たわけでもない。ただ、本当になんとなく。気が向いた先にあったのが美術館という、ただそれだけのこと。
美術館なんて柄でもないと思っていたけれど、入ってみればそのあまりの非日常感に驚かされる。清潔に広がっている光沢が光る床や絢爛に並んでいる美術品の数々が仰々しさと繊細さを残してこちらに微笑みかけてくるようだった。
今開催しているのは絵画展。聞いたこともない画家であるが、有名な人物なようで名前は知らないものの見たことがある絵画が複数枚並んでいて、それぞれに長い注釈が綴られている。当然ながらそれに対して、一字一句眺めるようなタイプではなくて、流れのままに視線を走らせて、現実の外側に意識を向けさせられることになる。
今まで、美術館なんてなんの目的でお金を払って行くんだと思っていたけれど、この独特な空気感を堪能するために行くとなると話は変わってくるだろう。何より引き込まれるのは、美術館全体に鳴り響く「音」だった。
主軸になっているのは聞き馴染みのあるクラシックで、ストレングス系の美しく伸びる和音が耳心地よく響き渡り、旋律に添えるような踵の音がアクセントになる。
全体的に静謐な空気感と音だというのに、鼓膜が震えて絵画の中にそのまま引き込まれてしまいそうになる。絵画は自分の視線とは全く異なり、淡いタッチで描かれた油絵だと言うのに、まるで自分がそこに立っているかのような躍動感と異質さを肌で感じさせられる。
これはどういうことだろうか。
自分は今、何を見て、何を感じているのかわからなくなってくる。そのまま絵画の中に引きずり込まれてしまい、そこで広がる新緑の群れに飲み込まれてしまいそうになっている自分がいた。
私にアートの機微など理解できない。
しかしながら、美術館という世界は異質な存在である私を簡単に迎合して、せせら笑うように奇々怪々としたアートの世界に私を手招きしているようだった。勿論それに応じるか応じないかは私次第であるのだけれど、私はその選択すらも置き去りにする要領で容易くアートへの空気感を自らに招き入れる事となる。
この絶妙な現実感のなさがひたひたと私の皮膚を撫でていた。
その異質さはすべての現実を体に置き去りにしてなお、私の体を引きずり回すようであり、およそ脳内に残っているであろう「明日の仕事は憂鬱だ」とか、「あれをしなくちゃ」というような生活感の一切を取り払ってしまい、いそいそと名前も知らぬ天才がキャンパスに走らせた線の中を彷徨わせることとなる。
今、自分がどこにいるのかと即答することができないでいた。
響いている誰かの踵の音がやけに耳に残っているというのに、すぐに現実はアートの不可視の空気感に飲み込まれてしまい、再び逡巡と空想に似た異常な世界に私を引きずり込む。
私はふとそれに抗ってみた。今すぐ、自分をこのアートの世界から抜け出したいと願い、現実のそれを考える頃には、体は動くようになっていて、絵画は静かに目の前に佇んでいる。
クラシックのフレーズが変わっていた。今度はアコースティック系の旋律で、こちらもどこかで聞いたことがあるコードで鳴り響いている。ほんのりと、普段とは異なる静かなテンポが実に心地よく、その場にいればそれだけで誰かの妄想の中に閉じ込められてしまいそうな気がする。
気がつけば、私自身が踵を鳴らして美術館を後にしようとしていた。展示室を静かに見送ると、そこには絵画たちが視線の合わぬ瞳で各々の世界を生きているようだった。
別に彼らは、現し世に鑑賞するわけでもなくただその場に鎮座しているのみ。彼らの世界で淡々と生きているばかりであるが、時折その越えるはずのない敷居を跨いで五感を震わせることがある。
それが何によって引き起こされているのか私にはさっぱりわからないが、こんな不思議でいびつな感覚があるのだとそこで初めて気付かされることになる。
美術館を後にしてからも、そこにあった「アート力」なんてこれっぽっちも信じちゃいない。だけど、人が魂を込めて書き綴った作品には確実な魂が存在していて、作者という魂から手放された時点で、彼らはまさにこの世のものではない異界そのものとなっているのかもしれない。
美術という大げさなものに対してこれほどまでに人々は魅せられているのは、作品というものが持っているなにか異質な力、人間の狂気的な意思や心の世界になんかしら感化されているのではないか。
クラシカルな楽曲と踵の音が闊歩するあの場所で、真なる音を鳴らしているのは恐らくアートそのものだろう。ひとしおに静かなあの領域のなかで、それでもなお五感を通り越してこちら側へと誘おうとする彼らに対して、私は驚きを隠せなかった。
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