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トゥハーミ、精霊と結婚する|Quiz

民族誌(エスノグラフィー)の内容をクイズ形式で紹介するシリーズ第3弾です。今日の題材は、『精霊と結婚した男――モロッコ人トゥハーミの肖像』(ヴィンセント・クラパンザーノ著、大塚和夫&渡部重行訳、1991年、紀伊國屋書店)です。クソ長くなりました。あしからずお願いします。

民族誌を書くことを相対視するムーブメントの頃に書かれた作品で、実験的民族誌と評されています。本書の奇数章はトゥハーミとの対話とその解説で、偶数章は理論的考察です。とくに第4章ではフィールドワークの内省を通じてトゥハーミの理解を探るなど、「実験的」とされる所以の問題提起がなされます。けれど沼にハマりそうなので、その部分についてはこの記事では触れません。

カバー裏の紹介文では、「これは、トゥハーミという名のアラブ系モロッコ人の物語である。彼は文盲のかわら職人で、自分の働く工場で窓のない物置部屋に住み、社会とは隔絶した生活を送っている。<中略> オリエント的なエロティシズムや、イスラム世界の風変わりな精霊信仰がみなぎり、読む者を飽きさせない。トゥハーミの人生は読者に、一種の幻想的世界を垣間見せてくれるだろう」と読書欲を誘っています。なお、ここで「アラブ系」と断っているのは、モロッコ人の民族構成としてアラブ系とベルベル系がおよそ2対1の比率だからです(ただし混血が進んでいます)。

問1
本書ではトゥハーミへのインタビューによる人生の振り返りが行われます。このような調査は次のうちどれに分類されますか?
①アンケート調査 ②生活史調査 ③参与観察

問2
死に対するトゥハーミの態度は、冷静かつ運命論者的だと著者は言います。それは彼のような境遇の者が共通にもつ死生観であり、死体洗浄と棺桶担ぎを行う年老いた男の言葉が引用されます。この男は「死は◉◉から始まる」と言いますが、◉◉に当てはまる言葉は次のうちどれですか?
①生まれたときのヘソの緒 ②右足の親指 ③両肩に乗った二人の天使

問3
アラブ系モロッコ人の父系的な価値観では、夫妻に子どもができない場合は、男の精子を受け入れられない女性に責任があるとトゥハーミは説明します。ほかに子どもができない理由として、トゥハーミが挙げたものは次のうちどれですか?
①花嫁が処女の頃に誰かに毒をもられたため
②誰かが自分の髪を墓標のない墓に埋めたため
③誰かが結婚式のときの花嫁が口をつけたグラスを隠したため

問4
トゥハーミが結婚した精霊の名前は次のうちどれですか?
①ソフィア・エッサイディ ②アイシャ・カンディーシャ ③ヤシン・ブヌ

問5
結局のところトゥハーミとはどのような人物だったのか。「日本の芸能人に例えるなら」という仮定で、私が最もしっくりきた人物は次のうちどれですか?(知らんけど)
①田村淳 ②山咲トオル ③稲川淳二

問1の答え=②

生活史(ライフヒストリー)は、対象となる話者の語る人生を文字として記述し、構成し直したものです。文化人類学だけでなく、社会学、民俗学、社会福祉の現場などで用いられる調査法です。最近では、聞き手を一般公募した『東京の生活史』『沖縄の生活史』がちょっとした話題になってますね。

その人自身の経験や生活世界に焦点を当てますが、それをもとに、社会や文化の諸相や変動と結びつけて読み解こうとする調査法だと言えます。ただし、そのような視線は「全体化の誘惑」として批判されることもあります。

著者クラパンザーノはトゥハーミの悩みへの決定的な理解を経て、調査者としてではなく一個人としてトゥハーミに接するようになりました。彼はトゥハーミの物語を学術的・客観的な記述に埋没させるのではなく、個人的な感情や経験――それが夢想交じりの回想や、辻褄合わせのように混乱した語りであっても――を切り捨てず、トゥハーミにとっての真実を再現しました。

問2の答え=②

この男の言葉を引用します(訳注などは略)。

そいつ(死)は皮膚の下を這いずり回るアリのように感じられるんだ。足から腰に這い上り、ついにヘソまで来る。ヘソまで来たなら、死にかかっている奴は、話すことはできるが、もう聞くことはできなくなる。

魂[ルーフ]は、喉のところにあるんだ。魂が体を離れるときには、口が開くんだ。<中略> 口が開いたら、布切れを水にちょっと浸し、それを絞って喉のなかに数滴たらしてやるのさ。死は、魂といっしょに鎖をひっぱり、死にかけている奴の喉を引っ掻く、といわれている。水はそれを和らげるんだ。

死は、死の天使、シディナ・アズラインによって宣告される。その方は、神によって派遣されて来るんだ。<中略> 魂は、バルザフに行くんだが、そこはハチの巣のような場所で、そこで審判の日を待つのさ。金曜日には、肉体のところに降りてくる。巣のなかの各穴は、それぞれ持ち主がいる。そいつの名前は、たとえばユーセフ・ビン・アイシャといった具合に、母親にちなんでつけられ、その穴に書かれている。神は言っているのさ――人々は地上を離れた。また、地上に戻り、そして再びそこを離れるであろう、と。世界が破滅すると、神はシディナ・アズラインに、まだ生き残っているものがいるかどうかを確かめるように命じられる。それから、神はシディナ・アズラインに対し、自らの魂を穴に入れるようにと言われるんだ。天使のなかでも、彼だけが穴を持っているのさ。

彼が死ぬと、精液が雨となって地上に降り注ぐ。すると、死人たちは、自分のヘソのところまで、地下から生え出てくる。そして、シディナ・イスラフィルという別な天使がくしゃみをなさるまで、そのままの格好でいるんだ。ラッパを吹いて審判の日を告げるのは、シディナ・イスラフィルなのだ。天使がくしゃみをされると、死者たちもくしゃみをし、そして、神を讃え、大地から解放されるんだ。彼らは、折り曲げることのできないこわばった身体をもち、眼も頭のてっぺんについている。そうでなかったなら、お互いに裸の姿を見ることになるだろう。

【出典】p82-84

どうですか? まるでボルヘスの短編のように幻想的だと思いませんか? こうした他界観を社会の最下層のトゥハーミたちが伝承しているのです。上の引用はその一部なので、続きは本書を読んで追ってみてください。

問3の答え=①②③

トゥハーミは、不妊はいつも他の女のせいだと言います。他にも次のような女性が主役の呪術的信仰や妖術の話が語られます。

  • 夫が浮気をして嫉妬した妻は妖術師に頼んで復讐する。夜中に見知らぬ男の墓を掘り返し、死者の手を使って掘り出した墓の土をクスクスに混ぜて夫に食べさせる。すると夫はやせ細り、皮膚が黄色くなる。

  • 解毒するには蒸し風呂に入り、体が熱くなった状態で、クスクス、大麦、陸亀の肉、香料を食べる。何枚もの毛布で体をくるんで眠ると、体は黄色い液体でぐっしょり濡れ、毒は抜ける。バターミルクとコロハの煎じ薬を飲み、下痢で胃の中のものをすべて外に出す。

  • 精液の流れを止める妖術もある。小便ができなくなり、あそこは焼けるように熱くなり、四六時中叫び続ける。治すには、黒人の女(膣に精液を吸い取る力がある)か、足の毛が濃い女(精力が強い)と寝るしかない。

  • 自分の娘にまとわりつく男を不能にするため、母親は蓋付きのボウルを持って男の名を呼び、男が答えると蓋をして紐で縛る。また、娘の膣をふさぐには、娘の名を呼んで返事があったら、「おまえの叫びはこの臼のなか」と言いながら挽臼をひっくり返す。

問4の答え=②

トゥハーミは若い頃にアイシャ・カンディーシャと出会いました。アイシャは彼を誘惑し、彼女の命令に従うようにしました。彼女は彼に性的な要求をしたり、仕事や人間関係をコントロールしたりしました。彼はこの支配に苦しみながらも、彼女から離れることができませんでした。

こんなふうに書くと、ふつうの男女の恋愛事情のようにも思えますが、アイシャは実在しません。精霊だからです。モロッコでは精霊はジン (jinn、女性形はジンニーヤ)と呼ばれます。精霊は人に危害を加える危険な存在でもあり、憑依されると身体や精神に疾患をきたすと考えられています。

スーフィズム(イスラム神秘主義)や聖者信仰についての基礎知識がないと、本書を深く理解できないかもしれません。私はこれらについて無学で、なおかつトゥハーミの語りが輻輳していたのでよくわからなかったのですが、アイシャはトゥハーミにとって、母親、妻、恋人などさまざまな役割を兼ね備えた存在のようで、姿を変えて幾度も登場します。「聖者やジンニーヤはトゥハーミと同じような境遇にいるモロッコ人が、ある特定の状況において自分たちの現実経験を明確に言語表現化する際の、象徴的−解釈的要素となっている」(p131)と著者は書いています。

トゥハーミには結婚願望がありました。終盤に著者が結婚を勧めたとき、トゥハーミは励まされながらも断念します。彼が精霊と結婚していることを、著者はどうやらこのとき知ったようです。当のトゥハーミもアイシャを現実的だと思っており、実在しないと気づいたのは、7年前に彼女の足がラクダのものであるのを見たときでした。

アイシャの存在はある意味、彼の孤独感や疎外感を埋めてくれるものでした。トゥハーミが出来事に対して葛藤したり諦めたりすることの責任を彼女に負わすことができるという点で、彼にとって利点がありました。
(例えて言うなら、下の記事のような感じ⬇)

問5の答え=②

トゥハーミの語りには男性があまり登場せず、登場しても名前が与えられないことが多くあります。これは彼が幼い頃に父親および父系のつながりを失い、男として成長するためのロールモデルがいなかったからだと思えます。

一方で、母親の家族には親近感を感じているようで、母系への傾斜がみられます。トゥハーミには「話し手および道化を演じる天賦の才」(p110)がありますが、これは彼が女性に気に入られることと結びつきます。彼の話にはマダム・ジョランと娘たち、ハムム・パシャの息子の婦人たち、カサブランカの市場の女などたくさんの女性がでてきて、彼と性的な関係をあったことを匂わせますが、どこまで本当か、はたして彼女らは実在したのかそれとも精霊の化身だったのかが私にはわかりませんでした。

トゥハーミはモロッコの、あるいはイスラム社会の文化的規範からかなり逸脱した人物だと思えます。それゆえ通常は人類学的調査のメインターゲットにはなりえません。その禁を犯して得たものをクラパンザーノは、「個人史的現実と自伝的真実は異なる」と表現しています。この成果を彼にもたらしたのは、トゥハーミの寓話的な人生と縦横無尽の語りだったともいえるでしょう。

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