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子どもと生き物の関係

子どもと生き物の関係性

みなさんも子どもの頃はたくさんの動植物に触れてきたと思います。
特に生き物
同じ地球で命を持つ生き物として
とても興味深い存在です。
言葉で意思疎通が難しいので
「何を考えているかわからない」
こんな理由で敬遠しがちな人も多いと思います。
しかし子どもの時にも同じように考えていたでしょうか?
何でもかんでも
興味を持ったものに対して
触れて、捕まえて、
匂ったり、時には口に入れてみたりして、
大人では考えられないような行動をして
未知の生き物に対してアプローチを行います。
そんな子どもの生き物への関わり方は
本当に独特で面白いものですよね。

なぜ生き物に興味をもつのか

なぜ生き物にと疑問に考える方もいることでしょう。
子どもにとって一番の理由は
『楽しそう』
これが一番です。
ただ単純に
「何をするのかわからない」
「何を考えているんだろう」
子どもの頭の中は、
生き物と接するときに興味の?マークがいっぱいで
触れずにはいられないんです。
言葉で意思疎通できない=触って確かめないと
子どもはこう考えます。
生き物は子どもにとって
興味の対象であり、
自然のおもちゃでもあるわけです。

生き物はおもちゃなのか?

『生き物はおもちゃ』
こうやって言葉にすると
すごく不謹慎なように思われますが
実際のところ、読者の方々も思い当たる節が何個かはあると思います。
ダンゴムシを特に理由もなくたくさん集めてみたり、
アリを木の棒でつついてみたり、
犬の毛を引っ張ってみたり、
たくさんあると思います。
筆者の知り合いには
カエルを何匹もポケットに入れて家に持ち帰ったという猛者もいます。
こう考えてみると
子どもって残酷だなと思われるでしょうが、
子どもに悪気はありません。
特に保育園に通う年齢の子どもたちは、
興味>かわいそう です。
たくさんの生き物に関わることで、
生き物の動き、特性を学んでいきます。
逆に言えば
生き物にふれあってこないと
生き物に関する情報が蓄積されていかないともとれます。
極端な例を挙げれば
『大人になったとしても毒を持つハチに触ろうとする』
こんなこともあるかもしれません。
とても極端な例ですが・・・
大人になっていくために
関わっていく生き物は人間だけではありません。
虫も、動物も、
植物だって生き物です。
大人に見守られながら、
生きる教材として触れていくことが
感性豊かに子どもを育てる一つの手段であると考えます。

子どもが持つ死生観

これまでにたくさん生き物に触れていきましょうと
述べてきましたが、
「子どもが触って生き物が死んでしまったらどうするのか」
こんな意見もあると思います。
保育士の意見として
生き物に触れ、そのような結果になった
これ自体も、経験として子どもに蓄積されていくと思っています。
生き物の生き死にで身近な例として虫が挙げられます。
興味を持って触っていると
いつの間にか動かなくなってしまう。
保育関係者なら日常茶飯事の光景でしょう。

結論から言うと
強引な言い方になるかもしれませんが
生き物を殺さないことには
子どもは生き死にを学べないと考えます。

よくよく考えてみれば
至極単純なことで、
経験していないものに関して言えば、
知識として知ってはいても深くはわからない。
これと同じようなことです。
つまり、生き物を殺していない子どもに対して
「生き物がかわいそう」
このような言葉をかけても、なんとなくイメージしかわかないのです。

虫は潰したら生き返らない
植物は土から引っこ抜いたら育たない
動物は餌を挙げなかったら死んでしまう

動物に関しては経験は難しいですが、
これらの例は経験しなければ、文字通りの意味でわからないのです。

だからこそ、見守っている大人が、
おもちゃとして生き物を楽しんでいるときに
要所要所で声をかけていく必要があります。

具体的に、そして簡潔に
抽象的なイメージを伝えていく必要があるのです。
これは見守っている大人の
腕の見せ所でもあるわけです。

死ぬってことはどういうことか話し合ってもよいですし
お墓を一緒に作ってもよいかもしれません。

最後に

子どもと生き物の関係性について述べてきましたが、
実際のところ
どこまで生き物と触れ合っていけばよいかは
大人になってみないことにはわからないです。

死生観についても、
経験しなければ学べないですが、
経験したからと言って
深く知ることができるわけでもありません。

ここが保育をしていく上で
子育てをしていく上で、難しいことだと思います。

しかし、何事にも経験してみることが一番!
子どものためにも
まずは一緒に生き物に触れ合ってみましょう。
自然と会話を重ねていくうちに、
関わっている大人の考えを理解し、
学んでいきます。