見出し画像

コントラクトブリッジのゲーム中に殺人事件が起こる話〜アガサ・クリスティー『ひらいたトランプ』

コントラクトブリッジが登場する小説」と言えば、アガサ・クリスティーの『ひらいたトランプ』。コントラクトブリッジを紹介する本やウェブサイトなどでは必ずと言っていいほど名前が挙げられています。

「そんなに紹介されているなら実際に読んでみよう。ブリッジが出てくるって言ってもどうせ小道具的にチラッと出てくるぐらいだろうけど」なんて高を括って読んでみたら「クリスティー、ガチじゃん…!」とブリッジファンなら大興奮するような内容だったので、ネタバレしない程度にご紹介します。

『ひらいたトランプ』はクリスティーの「ポワロ」シリーズの一つだけど、今の若い子は知らないかもしれないので前説

アガサ・クリスティー(1890-1976)はイギリスの推理小説家で、日本でも多くのファンを持つ作家の一人です。知らない人でも『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人(オリエント急行殺人事件)』といった作品であれば、名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。

そして、クリスティーが生み出したキャラクターの中でも人気が高く、多数の作品が書かれたのは、『ひらいたトランプ』でも謎解きに挑む私立探偵エルキュール・ポワロです。

ポワロシリーズは1989年からイギリスでテレビドラマ化され、日本でもNHKで放映されていました。自分などは「ポワロ」といえば、このドラマシリーズの主演俳優デビッド・スーシェさんの顔と日本版吹替の熊倉一雄さんの声が脳裏に浮かぶものです。

「ひらいたトランプ」は2006年制作の第10シーズンでドラマ化されています。ちなみに2020年はアガサ・クリスティーの生誕130年だそうで、NHKBSプレミアムで第1シーズンから第6シーズンを放送中とのこと。

ブリッジが社交のツールとして当たり前に存在する時代の雰囲気がたまらない

ストーリーの概要は以下、ハヤカワ文庫のあらすじを引用します。

名探偵ポアロは偶然から、夜ごとゲームに興じ悪い噂の絶えぬシャイタナ氏のパーティによばれた。が、ポアロを含めて八人の客が二部屋に分れてブリッジに熱中している間に、客間の片隅でシャイタナ氏が刺殺された。しかも、居合わせた客は殺人の前科をもつ者ばかり…ブリッジの点数表を通してポアロが真相を読む。(『ひらいたトランプ 』(ハヤカワ文庫))

『ひらいたトランプ』は1936年に発表された作品ですが、近代に入ったこの時代でも、ある種の社交文化の雰囲気が残っているんだなーと感じられる設定が随所に見られます。

この物語は「嗅ぎ煙草入れの展示会」といういかにも紳士しか足を運ばないようなイベント会場を訪れたポアロが、新聞の社交欄に名前がよく載る悪名高きお金持ちのシャイタナ氏からホームパーティに誘われるところから始まります。後日、シャイタナ宅にポアロのほか、警視、医師、軍人、小説家等々が集まって食事をし、ブリッジに興じる…というシチュエーション。
パーティに招かれた人たちは皆、上手下手はともかくブリッジの嗜みがある人ばかり。招かれたうちの一人であるブリッジ愛好家ロリマー夫人の「食事のあとにブリッジがないとわかっている家には出かけませんの」というセリフは、当時の社交文化においてはごく当たり前にブリッジが行われていたことが伺えます。そして、パーティ大好きなシャイタナ氏の家の客間には当然のようにブリッジのテーブルとカードがあって、ご来賓をブリッジで楽しませるわけです。

「社交としてのブリッジ」が行われる中で殺人事件が起こるというこの作品。紳士淑女のゲームと言われるブリッジのイメージを現代に伝えてくれる小説としても素晴らしいのですが、それだけではないのが推理小説の名手クリスティー。犯人を推理する手がかりがまさに「ブリッジ」なのである…!

ブリッジが事件解決のカギとなる、ちゃんとしたブリッジ小説

ちょっとネタバレになりますが、ポワロは「この事件の犯行は犯人がダミーの時に行われたのではないか」と推理します。
事件が起こる前の場面では客人たちがブリッジに興じる様子が描かれているのですが、何の説明もなく「ワン・ハート」「パス」「スリー・クラブ」「フォー・ダイヤ」…とオークションが始まり、ブリッジの専門用語を普通に使いながらゲームが進んでいきます。その後、ゲームが終了したテーブルのメンバーがシャイタナに別れの挨拶をしようとしたところ、シャイタナが殺されているのを発見します。そして、客人たちの事情聴取が始まり、席を離れたタイミング=ダミー(※「休み」と日本語訳されていますが、コントラクトブリッジでは4人のプレイヤーのうち、ダミーとなった1人の手札を場に並べてパートナーがダミーの出す札を決めるため、ダミーの時は何もすることがなくなってしまうのです)の時を確認するために、あらすじにもあるように、ブリッジの点数表を手がかりにするわけです。

画像1

推理小説に突如として現れるブリッジの点数表…。

ダミーの時でもちゃんと席に座ってゲームを観戦するのがマナーなのかと思いきや、普通に席外して休憩してるんですよね。しかも賭けブリッジだし。
…それはさておき、ポアロは容疑者たちにゲーム中のことを覚えているか子細に質問し、ゲームの展開やプレイの結果から犯人を突き止めようとしていきます。ブリッジをしている最中のプレーヤー心理にまで迫るポアロの洞察力には脱帽です。中盤は容疑者たちの人となりを描くような場面が多く、ちゃんと推理小説らしい形式となってはいるのですが、犯人が明かされる場面を見るに、やっぱりブリッジありきの筋立てなんですよねー!ネタバレしたいと思うほどに!

一応、「ブリッジを知らないと理解不能の作品というわけでもない」とミステリ評論家の新保博久さんがクリスティー文庫版の解説で書いておられ、ネットの読書感想サイトでも「普通に小説として面白い」という声も多いようです。が、ブリッジ知ってる人が読んだら絶対面白いです。(※個人の感想です。)

原題「Cards on the Table」の邦訳はどうして「ひらいたトランプ」なのか?

とまぁ、ブリッジ初心者なのに「ブリッジ的に面白い」と絶賛の本作ですが、一つ疑問に思うのは「ひらいたトランプ」という邦題です。「ひらいたトランプ」って日本語として意味不明じゃないですか?

そこで原題を確認すると「Cards on the Table」。直訳で「テーブルの上のカード」。慣用句で使われる場合には、lay/put one's~で「手の内を明かす」とかそんな感じでしょうか?
(※日本で「トランプ(♠️❤︎♦︎♣︎のマークがついた52枚組のカード)」と呼ばれているものは、英語では単に「card(s)」といいます。ブリッジ用語で「トランプ」というと「切り札」の意味になるので注意。)
原題を見ても、何で「Cards on the Table」が「ひらいたトランプ」になるかは理解できず…

なかなかしっくりこないながらもnoteを書くために調べ物をしていたところ、ブリッジのダミーを説明する文章が目に入り、気がつきました。

ダミーの手札を場にさらす

これかー!?

作中でバドル警視も「手の札は開けて置く(「カーズ・オン・ザ・テーブル」とルビ)。これがこの事件のモットーでしたよ。」と言っているんだけど、そういう理解であっているんでしょうか??

他にも「切り札なし」に「ノー・トランプ」、「せり」に「ビッド」とルビをふっているなど、翻訳に難儀した跡が見られるんですが、タイトルにしろ本文にしろ日本語でブリッジっぽいニュアンスを出すのは難しいんだろうなぁと思ったりしました。

クリスティーってブリッジ上手だったのかな?

それにしても、こんなにブリッジの用語やブリッジやってる人あるあるが盛り込まれた小説なんて普通の人にはなかなか書けないだろうと思ったら、そもそもクリスティーはブリッジが大好きだったそうで。「日曜日の午後のブリッジは、楽しみとともに、ある種のやましさをおぼえる」という言葉が残されているらしいのですが、引用元が不明なのでいずれ出典も調べたいところです。まぁ『ひらいたトランプ』を読めば、クリスティーがブリッジを“嗜んでいた”だろうことは出典などなくても容易に想像できるのですけどね。

そんなこんなで、ブリッジファンには見どころたっぷりの『ひらいたトランプ』面白かったですー。

なお、本noteを執筆するに当たり、「「名探偵ポワロ」データベース」さんを多分に参照させていただきました。こちらはテレビドラマシリーズの考察をされているサイトで、「ひらいたトランプ」の解説ではブリッジのルールを踏まえた解説をされており、大変勉強になりました。ポワロスキーにはたまらんサイトです。


この記事が参加している募集

#読書感想文

192,504件

サポートはコントラクトブリッジに関する記事執筆のための調査費用、コーヒー代として活用させていただきますー。