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「海外小説にコントラクトブリッジが出てくる」というイメージはどこからやってきたのか仮説を立ててみた

日本ではあまり馴染みのないカードゲームである「コントラクトブリッジ」ですが、時折「海外の小説にブリッジが出てくることがあります」と紹介されることがあります。しかし、このセリフを聞いた人は「どの作品に出てくるの?」と皆さん思うことでしょうし、当方自身もそう思いました。
そこで、当方のnoteではこれまでに「コントラクトブリッジが出てくる文学作品」をいくつも調べてご紹介してきました。サンプル数はそんなに多くはないのですが、文学史をかじったことがある方なら聞き覚えのある作品や作家も多いので、現時点で調べがついた作品の傾向から「海外文学にコントラクトブリッジが出てくる」というイメージがどこからやってきたのかを検証したいと思います。

20世紀以前のブリッジ系ゲームと文学作品

コントラクトブリッジは16世紀に考案されたといわれる「ホイスト」というゲームをルーツに持っています(※)。そして、ホイストから派生したゲームがいくつも誕生し、直接的な前身となる「オークションブリッジ」のルールを改良する形で1925年に「コントラクトブリッジ」が成立しました(※)。つまり、1925年以前が舞台となる文学作品に4人で遊ぶカードゲームが登場する場合、それは「ブリッジ」ではなく「ホイスト」もしくはホイストの派生ゲームだということです。

特にホイストは17世紀から19世紀の長期にわたって人気を博し、日本でもよく知られている古典文学にホイストが登場する例が多くみられます。
なお、日本語に翻訳される場合にはホイストがカードゲームであることを説明する注釈がついていたり、「ブリッジのこと」などと翻訳・解説されていたりもしているようです。

具体的な例を挙げれば、
・ジェイン・オースティンの作品(『高慢と偏見』など)
・『モルグ街の殺人』(エドガー・アラン・ポー)
・『八十日間世界一周』(ジュール・ヴェルヌ)
・「シャーロック・ホームズ」シリーズ(アーサー・コナン・ドイル)
といったものがあります(※過去記事)が、文学に関心のない人でもタイトルや作家名ぐらいは聞いたことがあるものばかりだと思います。
こうした作品から「欧米人はカードゲームをする習慣があるらしい」というイメージを持った人もいるかもしれません。

コントラクトブリッジ登場以後(1925年以降)の海外小説に登場する例

コントラクトブリッジは1925年に成立したわけですが、コントラクトブリッジが流行したのはホイストやオークションブリッジが20世紀に入ってからも人気があったからでした。ホイストやオークションブリッジの上級者たちが、こぞってコントラクトブリッジに乗り換えて腕前を競い合ったことで、その人気を高めたのでした。特に、ブリッジプレイヤーのエリー・カルバートソンの1920〜30年代におけるブリッジプレイヤーとしての活躍や出版・著述活動はその流行に大きく貢献しました(※)。また、戦後には「ミスター・ブリッジ」と呼ばれるチャールズ・ゴーレンというスタープレイヤーの活躍もありました(※)。
こうした上級者たちの活動が新聞や雑誌で報道されたり、ブリッジ教本の出版が盛んに行われたりしたことで、20世紀中頃にブリッジブームが起こり、大衆にブリッジが広まったと考えられます。

そうしたブームが起こっている中で書かれた小説に「ブリッジ」が登場することは珍しいことではなかったということなのでしょう。
というのも、国立国会図書館デジタルコレクションを利用してブリッジが出てくる文学作品調査をしたところ、ブリッジブームが起こった1920年代から1960年代頃を中心に活躍していた有名作家アガサ・クリスティ、サマセット・モーム、エラリー・クイーンの3作家の作品に「ブリッジ」が頻出していることが分かったのです。
(以下はその調査をもとにして書いた記事です↓)

この3作家の作品以外にも、
・『007 ムーンレイカー』(1955、イアン・フレミング)(※紹介記事
・「My Lady Love, My Dove」(1953年出版の短編集に収録、ロアルド・ダール)(※紹介記事
といった作品にブリッジが登場することを確認していますが、こうした作品もブリッジブームと同時期に執筆、出版されています。
また、ここで名前を挙げた作家たちは日本でもファンが多い作家ばかりですので、これらの作家の作品で「ブリッジ」を目にした方もいらっしゃるかもしれません。

日本人がブリッジを知るきっかけが海外文学であった理由

これは憶測でしかない議論になりますが、まずは「自分の周囲にコントラクトブリッジをやっている人がいない」ということなのではと思います。
ブリッジプレイヤーというものは、自分以外の「3人のプレイヤー」を常に探しているような生き物です(言い過ぎ?)。なので、ブリッジプレイヤーと知り合いになれば、必ず「ブリッジが趣味なんだ。一緒にどうですか?」と誘われるものです。ですが、日本ではブリッジを嗜む人が少ないので、ゲームの遊び方はおろか、ゲームの存在すら知るきっかけがありません。

一方で、ブリッジブームの時代の欧米では多くの人がブリッジを楽しんでおり、人が集まれば「ブリッジをしよう!」と言い出す人がいて、多くの人が遊び方を知っているのでゲームが始まるということが往々にしてあったことでしょう。そして、その様子は「ありふれた」ものであったからこそ、数多くの小説にブリッジが出てきたわけです。
そして、その「欧米でのありふれた娯楽のシーン」が登場する小説は、「読書」がありふれた娯楽であった日本においても読書され、そこで「海外の人たちはブリッジというゲームをするのだな」という知見を得た日本人が多かったことだろうということです。

もうひとつは、日本では戦前より海外小説の翻訳出版が活発に行われており、戦後以降も続く出版ブームによって海外小説が盛んに紹介されたことも大きいでしょう。ブリッジが世界的に流行していた当時はコンピュータゲームやスマホがない時代でしたから、余暇の楽しみや暇つぶしの娯楽といえば「読書」でした。また、現在では不要論が叫ばれて久しい大学の「文学部」ですが、文学を嗜むことが現代以上に教養として尊ばれていた時代でもあるので、学生時代に海外の作品を含めた小説を読み漁った文学青年や文学女子も多かったことと思います。

そのように「読書」が身近な存在であった時代であったことと、海外小説が盛んに翻訳出版されていたこと、そして世界的なブリッジブームがあったことが見事に重なっていたこともあり、「海外小説を通じてブリッジを知った日本人」が多かったのだと考えます。
ただし、21世紀に入ってからは「読書離れ」が進んでおり、海外小説を読む日本人も相当減っているでしょうから、この説は20世紀後半に青春時代を過ごした日本人に当てはまるものだと思われます。


というわけで、今回はコントラクトブリッジを紹介する際に「ブリッジといえば海外小説に出てくるゲーム」と言われるのか?ということについて、考察してみました。このことは当方がブリッジをテーマにブログを書こうと思ったきっかけの一つでもあるので、いつか記事にしたいと思っていました。とはいえ「ブリッジが登場する文学作品」を探すのが大変で、いつになったら書けるのかと思っていましたが、国立国会図書館デジタルコレクションのサービス拡充によって調査が飛躍的に進んだので、自分なりの見解に自信を持つことができました。

海外小説を読む中でブリッジを知った方には是非ブリッジで遊んでみていただきたいですし、ブリッジをやっているけど海外小説を読んだことがないという方は気になった作品を是非読んでみていただきたいなと思いますーではー。

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