masako@人生変えるキャリアカウンセラー

自分探し究極のゴール!【自分に目醒める!おとなの学校🏫】 🔸心理学×脳科学×潜在意識=…

masako@人生変えるキャリアカウンセラー

自分探し究極のゴール!【自分に目醒める!おとなの学校🏫】 🔸心理学×脳科学×潜在意識=自己実現を実感✨ 🔸国家資格キャリアコンサルタント/高校・大学キャリア授業・就職相談実績多数 🔸対話のチカラII少人数制学習サークル 🔸毒親育ち→卒業→人生謳歌✨

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  • 「毒親育ち」卒業ヒストリー

    毒親育ち。自分を肯定できなかった私が、毒親育ちを卒業するまでのヒストリー。今となってはすべてが糧。自分の器量と情熱をそだてるためだったと感じています。

最近の記事

最高に幸せな連鎖!!「互いに支え合い生きること」は、綺麗事じゃなかった!!

ひとは、人と影響し合ってる生きている。 そりゃ、当然のことなんだけど、正直なんかどこか“きれいごと”だと思っていたし、あまりそれを受け入れたくないと言う思いもあった。  それが、今ここにきて、すごく大切に感じている。 それは多分、距離を取りたくなるような環境や影響が多かったからかもしれない(毒親育ち出身)。 それはそれで、今となっては糧になる重要な環境・影響だが、最中にいるときはありがたくなかったのも正直なところ。 そんな私が、人との関わりを大切に思えるようになったのは

    • 人間のちぐはぐ。「こころ」と「あたま」と「言葉」

      人間って、すごくチグハグしてるんだけど、 ほとんどの人が、それにも気付いていないことが多い。 「こころ」で思っていることと、 「あたま」で考えていることと、 「ことば」で表現されてること。 …これが結構、いやかなり、ちぐはぐ。 頭ではわかってるけど、心がついて行かない。とか、 本当は悲しいけど、〇〇だから頑張ろう!と自分を言い聞かせる。とか、 チグハグであること自体が、もしかしたら当たり前すぎて、違和感がないのかもしれない。 そして、これが総じて様々な自己否定感や人間関係

      • 才能のたね

        才能の種。それはギフトだ。 年を重ねて、それはより確信強くなった。 そしてさらに、 その種を芽吹かせる責任が、わたし自身、あなた自身にあるのだと知った。  みんな。生まれながらに、それぞれが持って生まれた【才能のたね】ってやっぱりあるんだよなぁと、最近なんども感じさせられる。 わたしには、わたしの。 むすめには、むすめの。 その人には、その人特有の。 自分の感覚でしかないから、 それが才能なのかどうかなんて分からない、長い間そんな感覚の中でずっと過ごし、ある時、あぁそう

        • にんげん、だもの。

          わたしたち、にんげんだもの。 得手もあれば、不得手もある。 好きなこともあれば、嫌いなこともある。 自分の好きなところもあれぱ、そんな自分ダメだ、許せないって思うところもある。 そして、現代に生きる私たちは、 その、不得手をどうにかしようと努力し続けていたり、嫌いだと思うことは良くないことだと自分を言い聞かせたり、こんな自分はダメだって、何とかしようとしたり、明るみに出ないようひそめたりする。それを必死にやってきたと思う。 でも、究極、人生のプロセスって、 そんな、不得手

        最高に幸せな連鎖!!「互いに支え合い生きること」は、綺麗事じゃなかった!!

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        • 「毒親育ち」卒業ヒストリー
          5本

        記事

          いいときも。そうじゃないときも。

          いいときも。そうじゃないときも。 どっちもひっくるめて、両方あっていいよ。 うまくいってない時、イマイチな自分の時、 苦しい時、つらい時、 そういう時こそ、ひとの力を借りたらいい。 話を聞いてほしいって、力を貸してほしいって、ヘルプを出したらいい。SOSを出したらいい。  仲間のチカラを頼ったらいい。 そして元気になった時、大事なひとがつらい思いをしていたら、チカラを貸してあげたらいい。 支えてあげたらいい。 ………たぶん、既にそうしてるでしょ??? だから、自分のター

          いいときも。そうじゃないときも。

          自分を好きになること。好きになるには、どうしたらいい??

          自分を好きになること。 それは、=自分を理解してあげること。 じぶんを知り、理解して、受け止めてあげること。 これに始まり、これに尽きる。 っというか、徹底的にこれしかない。 私たちは、大概の場合、自分を好きになるにも、自分で自分に条件を課している。 〇〇な自分は、素晴らしい。 〇〇な自分だから、素敵。 〇〇な自分だから、愛される。…といった具体に。 でも、これの本当のところは、 〇〇な自分「だから」素晴らしい。 →〇〇な自分でないと、素晴らしくない。 〇〇な自分だから、

          自分を好きになること。好きになるには、どうしたらいい??

          わたしから、あなたへ。

          わたしから、あなたへ。 このうたを 届けよう。 広い世界に“たったひとりの” わたしのすきな あなたへ。 年老いた、あなたへ。 このうたを 届けよう。 心優しく育ててくれた お礼がわりにこのうたを。 知り合えた、あなたへ。 このうたを 届けよう 今後よろしくお願いします。 わたしのすきな あなたへ。 別れゆく、あなたに。 このうたを 届けよう 寂しいときに 歌ってほしい わたしのすきな あなたへ。 わたしから、あなたへ。 このうたを 届けよう。 ひろい世界に“たったひ

          本当は自分のことを好きになりたいのに、上手くいかなくて悩んでいる人。全員、私のところへおいで!

          自分のことを変えたい。 本当は自分のことを好きになりたい。 自己肯定感を上げたい。 自分に自信を持ちたい。 本当には、そう望んでいるのに、現実なかなか上手く行かなくてもどかしさや悩みを抱えてる人。 もう全員、わたしのところにおいで!!! 何事かとびっくりされるかもしれませんが💦 私は、自分のことを全く肯定などできない、自己肯定感なんぞ地の底の底!という人生前半期を過ごしてきました。 でも、何とか自分を、現実を変えたい!という一心の想いで、ひたすらに心理学や自己啓発、カウ

          本当は自分のことを好きになりたいのに、上手くいかなくて悩んでいる人。全員、私のところへおいで!

          違うまま、一緒にいること。私たちにはそれができる。

          私はかつて、「一緒に〇〇をしよう!」とか、「一緒に頑張ろう」など、「一緒に」と言われることが窮屈で、苦しかった。 それには、歩幅を合わせないといけない窮屈さがあった。 本当はもっとスピードを上げてことを進めたいと思っても、進むペースを合わせなければなければならなかったり、 自分の理解していることを、他者にもわかるように話さなきゃならなかったりする。 でも、全てを理解されることは稀で、よくわからないとか、それは考えすぎなんじゃないかなどと、言われてしまい、変なもどかしさの渦に

          違うまま、一緒にいること。私たちにはそれができる。

          「頑張らなくていい。」と伝えたい。

          自然の美しさを目にした時、 その自然の美しさが教えてくれること。 自然と共にいる。 自然な姿で。 『頑張らなくていい』 そのままにあれるように、 そのままのじぶんであっていいのだと、  恐れを越えて体験を重ねていく、そのプロセスの旅路にいる。 わたしも。あなたも。 わたしたちは、ひとりじゃない。

          「頑張らなくていい。」と伝えたい。

          “ひと”が、好きだ。人に、人類にしか興味がない。“ひと”を知りたくてしょうがない。

          母親と望むような意思疎通ができる良好な関係性を築けなかったからだろうか、自分を押し殺して生きるしかなかった人生の前半期を過ごし、自分を見失った時期があったからだろうか、 それゆえにか、わたしは“ひと”に物凄く興味が強い。知りたくてしょうがない。 なぜ、あの人はあのような振る舞いをするのだろうか? なぜ、そうしてしまうのだろか? なにが、そうさせるのだろうか? 本当のところは、なにを望んでいるのだろうか? その“ひと”の内側で繰り広げられている構造、仕組み、因果関係、そして

          “ひと”が、好きだ。人に、人類にしか興味がない。“ひと”を知りたくてしょうがない。

          等身大のあなたでいい。あなた以外のものにはなれないし、ならなくていい。

          今、就活や入試に向けて頑張っている若者たちへ。 そして、日々懸命に生きている人たちへ。 自分のことを大きく見せる必要は全くないよ。 あなたは、あなたのままでいい。 そして、大きく見せてることは、結構すぐわかる。 ない袖は振れない。 下駄を履いている、履かされているのは、バレてると思った方がいい。 だから、無理に大きくみせたり、誇張したりしないでね。 胡散臭さがマイナスポイントになってしまうよ。 それよりも、実直に自己分析・自己理解して、誠実に自分のことを話す人間性の方が重

          等身大のあなたでいい。あなた以外のものにはなれないし、ならなくていい。

          「望まれていないのに生まれてきてしまった」ずっとそう思って生きてきた。そこから卒業する。

          わたしは、自分のことを ずっと「わたしは望まれていない存在なんだ」と、思って生きてきました。 望まれていないのに、存在してしまっているから、 嫌なことがあっても、耐えなければいけないし、 望まれていないのに、存在してしまっているから、 せめて、価値を提供しなければならない。 存在が許されていないのに、存在してしまっている以上、罰受けても当然の報い。 それを拒否する権利はわたしにはない。 存在が許されていないのに、存在してしまっているから、 存在を許可してもらう為には、価値

          「望まれていないのに生まれてきてしまった」ずっとそう思って生きてきた。そこから卒業する。

          【毒親育ち出身】わたしの生い立ち編

          わたしがお伝えしたいと思っている【自分を取り戻して生きる術】以外にも、もしかしたら、わたしがどんな道のりを歩んできたのかに、興味を持ってくださる方がいるかもしれないな、と思い。 自己紹介を兼ねて、わたしについて少し語ってみたいと思います。 お付き合い頂けたら、とってもうれしいです。 🔳わたしの生い立ち・家庭環境 わたしは、しつけに異様に厳しく、感情的に暴力・暴言をふるう母の元、まるで軍隊のような家庭環境に育ち、自分自身を押し殺して生きるしかなかった人生前半期を過ごしました

          【毒親育ち出身】わたしの生い立ち編

          「家庭環境」は外から見えない。まるで独立国家のようだったりする。

          少し大袈裟な表現かもしれませんが、 「家庭環境」って、まるで外から見えない【独立した国家】のようだなと、私は感じています。 その家庭の中には、圧倒的な権力者・支配者が存在していて(我が家の場合は母親)、その国独特の法律があって、そこに住んでいる限り逆らうことは許されない。(亭主関白や鬼嫁もたぶんそう) そして、国境によって一線が引かれているため、外からの支援が入らない、閉ざされた世界でもあるのだと思うのです。 少し大袈裟かもしれないですけどね。 選択肢のない幼少期 で

          「家庭環境」は外から見えない。まるで独立国家のようだったりする。

          「毒親育ち」を癒やす時代が来た!!

          長年、毒親育ちであるということを、表に出さないように、隠して生きてきました。というより、話せなかったのです。 なぜなら、「毒親育ち」であるということを認めることこそが、 ずっと自分が見ないようにしてきた、 ずっと感じないように避けてきた、 自分だけが母親に愛されていないという事実を受け入れることになってしまう。 その「惨めさ」には到底耐えられない。生きていけないと思っていたから。 「可哀想なじぶん」を認めるわけにはいかなかった。 そうしたら、歯を食いしばって耐えて生きてきた

          「毒親育ち」を癒やす時代が来た!!