才能のたね
才能の種。それはギフトだ。
年を重ねて、それはより確信強くなった。
そしてさらに、
その種を芽吹かせる責任が、わたし自身、あなた自身にあるのだと知った。
みんな。生まれながらに、それぞれが持って生まれた【才能のたね】ってやっぱりあるんだよなぁと、最近なんども感じさせられる。
わたしには、わたしの。
むすめには、むすめの。
その人には、その人特有の。
自分の感覚でしかないから、
それが才能なのかどうかなんて分からない、長い間そんな感覚の中でずっと過ごし、ある時、あぁそうなんだ、何となくだけどやっぱりな的な感覚が訪れる。
面白いのは、ここで、
そうなんだ!これ得意・才能でいいんだ!って自分が認めてあげられると、
急にぐんぐん伸びて、開花していく感覚がある。
そこに光をあてて、
開花させてあげて欲しいなぁ。。。
才能に優劣なんてない。
ただ、唯一無二のあなたにしかない素晴らしいギフトが与えられているだけなんだから。
わたしは、自分の感の鋭さを、世の中に望まれない余計なものなんだと、自分を否定して人生前半期を生きてきた。
むすめは、自分の繊細さを、神経質で普通ではないダメな人間なんだと、多分今もまだ思っている。
友人は、自分の優しさを、自分は弱くてダメなんだと、長年卑下して受け入れてこなかった事を今向き合今少しずつ受け入れようとしている。
世界の中で、きらりと光るものがギフトなのだから、
はじめから周りとは、ちょっと違うかもしれないよね。
世間の中では「違う」と映ってしまう、はじまりはもしかしたら、誰しもそんな風なのかもしれない。
けど、私から見たら、娘の繊細さは、まさにギフトなんだよね!私には微塵もない才能で、本当に素晴らしいと思う!
友人の優しさは、希望だと思う!
どれだけの人が彼女の優しさに励まされるか。もう本当に希望でしかないんだよね!
わたしのギフトを、讃えてくれる友人もいる。
あなたのギフトは素晴らしい!って。
だからね、人と違うことに、不安を感じたり、どうしたらいいのか分からないこともあると思うけど、
是非、これを知っておいて欲しい!
「ひとは、本当に大事なものの大切さに気づくために、一旦真逆の体験をしに行くことがある。」
つまり、
私のように、自分の煌めきを人に疎まれるものだと、自分の短所だとして扱ってきたり、
娘のように、素晴らしきセンサーを封印しようとする時期があったり、
友人のように、人の気持ち共感できる繊細さを、間違ってる余計なものだと、まるでそんなものなかったかのように封印したり、
っていうターンを一度通るのかもしれない。
だから、大丈夫!!
そのターンをくぐった先に、揺るぎないギフトとしてさらに輝きを増すようになるから!!
人との違いを感じることも、
人に讃えてもらえることも、
“ひと”と“ひと”がいるから、できること。
大きいに人の言葉に傷つくこともあるけれど、
それは、自分に気付く、プロセスでしかない。
私たちは、自分の才能のたね、ギフトを自分で花開かせる責任があるんだよ!
あなた自身に愛を♡
読んでくれてありがとう
キャリアカウンセラー*masako*
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