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公開記念トークレポート:JVC・加藤真希さん

映画『ブレッドウィナー』12月28日の上映後に、日本国際ボランティアセンター(JVC)でアフガニスタンの事業を担当している加藤真希さんが、アフタートークのゲストとしてお越しくださいました。そのトークのダイジェストをご紹介します。

聞き手は、本作の宣伝サポート・アーヤ藍です。(以下、敬称略。)

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アーヤ)まずはJVCについて、簡単に紹介をお願いします。

加藤)JVCは現在、世界の11の国・地域で、その土地の人たちと一緒に、人道支援や地域開発など様々な分野から、生活をよりよいものにするための活動をしているNGOです。

現地の人たちと一番近いところで触れ合っているので、聞いてきた声、見てきたものを、日本の国内でも政策提言などの形で発信し、政策面からも生活をよくしていくための働きかけをおこなっています。

私はJVCで、アフガニスタンの事業を8年ほど担当しています。

アーヤ)この映画の原作書籍の舞台になっているのは、1990年代から2000年代初頭の、タリバン政権の頃のアフガニスタンです。映画のほうは、その後、2001年9月11日に起きた米国同時多発攻撃のこともふまえて、製作されています。しかしアフガニスタンは、それよりも前から紛争下にあるんですよね。アフガニスタンの歴史的背景について、少し教えてください。

加藤)映画の舞台になっているのが、2001年直前ぐらい、タリバンとよばれる勢力が政権をとっていた時代でしたが、そのさらに前の1979年に、ソ連がアフガニスタンを軍事攻撃して侵攻するという出来事がありました。

共産主義の背景をもったソ連軍によって、イスラームの国・アフガニスタンが侵略されているという状況に対して、自分の国やイスラーム教を守ろうと軍事的に対抗する戦士たち"ムジャヒディーン"が生まれました。

さらに、当時は冷戦時代だったので、アメリカがアフガニスタンのムジャヒディーンに武器を供与する形で、ソ連を追い出す支援を間接的に行っていました。

そのソ連戦争が約10年間続いたのちに、ようやくソ連軍が撤退。平和が訪れるかと思いきや、アフガニスタンはもともと多民族国家のため、それが豊かな多様性を生み出している一方で、ソ連という共通の外敵を失ったあと、今度はお互いの主義や考え方の違いで対立し、激しい内戦の時代に突入していきました。そして、タリバンが台頭し、9.11が起こります。

悲しいのは、今もその紛争が終わることなく、治安が厳しい状況が続いているということです。現地のアフガン人スタッフたちも、毎朝、出勤のときには、家族一人一人と”行ってきます”の挨拶を丁寧にすると言っていました。ちゃんと帰って来られるかわからないから…と。

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アーヤ)1979年のソ連侵攻から、約40年にわたって紛争が続いているということは、生まれてからずっと、紛争のなかを生きてきた人たちも多いということですよね。

加藤)はい。今40歳以下の人は、生まれた時から自分の身の回りに激しい戦争・紛争状況があり、そのなかを生き延びてきています。私の同僚たちもほとんどがパキスタンに難民として逃れて、情勢が落ち着いたと思ってアフガニスタンに戻ってきた「リターニー」と呼ばれる人たちです。

難民になることと、リターニーになること、どちらも「すべてを失うことだ」と言われたことがあります。国を離れる時には、自分で抱えられる程度の物しか持っていけないですし、ゼロからの難民生活を経て、何年間も不在にしていたアフガニスタンの家に戻ってみると、破壊されていたり、武装勢力に使われていたりして、またゼロからやり直さないといけない。大切な人の命、物理的な物だけではなく、夢、チャンスなども、すべてが失われてしまうわけです。

アーヤ)いろんなものを失ったり、死に近い環境で日々過ごしているとも言えるなかで、それでも平和のための活動を続けるアフガニスタンの人たちは、どんな思いで活動しているのでしょう?

加藤)JVCではアフガニスタンの厳しい状況のなかで、平和構築のための活動をしています。特に、これ以上、若い人たちが戦闘員になることを防ぎたいと思い、武器に頼らず対話の力を信じる、平和の学び合いの活動をしています。

アフガニスタンの人たちは、伝統的に、物事を話し合う場を大切にしてきた民族なので、スピーチが上手だったり、話すことが好きな人も多いんです。その"自分たちがもともと持っていたもの"をもう一度取り戻そうとしています。

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加藤)この写真はその活動の一場面ですが、こちらを向いて笑っているのが、JVCのスタッフです。彼は33歳ぐらいで、私と同世代なのですが、ある日、年配のアフガン人の方から「あなたは平和を知りませんよね。あなたが生まれた時にはもう平和はなかった。でも知らないものに向かって、それを信じて実現しようとしつづける姿勢に敬意を表します」と労いの言葉をかけてもらったそうです。私はその話を聞いて、同僚が「平和を知らない」という事実に、ショックを受けたのですが…。

実際彼は、タリバン政権の時代の学校に通っていましたし、息子さんを亡くし、親しい親戚らを亡くし、そしてお母さんは紛争状況を憂い、重い鬱を患って亡くなっています。その彼が平和を目指す意志は、私が「平和がいいよね」と言うこととはまったく重みが違いますし、私もものすごく尊敬しています。だから彼らが平和を信じ続けるかぎり、私たち日本からもその後押しをしたいと思って活動しています。

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アーヤ)先日、現地のスタッフの方が来日していた時に私もお話を聞きに行きましたが、「これだけ長い間紛争状態が続いている国だからこそ、ここで平和を実現できたら、いろんな場所に活かせるモデルになれるはずだ」という主旨のことを仰っていたのも印象的でした。

本映画のなかでも、なかなか暗い現実が多く描かれていますが、普段アフガニスタンの方々と一緒に活動をしているなかで感じる、アフガニスタン人のイメージや、思い出深いエピソードなどはありますか?

加藤)この夏、日本でも災害が続いて、秋に大きな台風がありましたよね。私も千葉の自宅に一人でいて、すごく不安を感じながら過ごしていました。アフガニスタンは内陸国なので、同僚たちは台風というものをよく知らないらしいのですが、ニュースを見てすごく心配してくれて、大丈夫か大丈夫か、ってずっとインターネットで声をかけてくれたんです。「もしかしたらもうすぐ避難所に行かないといけないかもしれない」ってチャットで伝えたら、「Hold on! You can do it! そこでがんばるんだ。君は強い人だ」みたいなことを言って励ましてくれて(笑)。そういう問題じゃないんですけどね(笑)。あとから知ったんですけど、私だけでなくて、日本の知っている人たちみんなに、大丈夫かと連絡していたそうなんです。それで「〇〇さんは、大丈夫だと言っている」とわざわざ私にも連絡をしてくれたりしました(笑)。

また、現場にいる仲間から、毎日デイリーレポートという日報を受け取っているんですが、いつの頃からか写真のコーナーができていて、毎日そこにランダムに写真を載せてくれるようになりました。

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加藤)これは、ある日の日報に載っていた写真で、何かの花の蕾です。そして、キャプションに「春はもうすぐ」って書かれていたんです。

ちょうどその頃も、事件が頻繁に起きて、近しい人が亡くなるようなことが続いていたので、現場もどんよりした空気になっていたんです。これを送ってきてくれたのは、190cmぐらいある長身のがっちりしたおじさんスタッフなのですが、そうした暗い状況のなかで、この花の蕾を見つけて、しゃがんで撮影したのかな、なんて彼の姿を想像するだけでも温かい気持ちになりましたし、添えられていた「春はもうすぐ」のメッセージにも、「きっと今の状況もよくなる」っていう願いがこめられていたのかなぁと思いました。

アーヤ)最後に、日本からは心理的に遠く思われてしまいやすいアフガニスタンに、加藤さんが関わり続ける理由、活動に懸ける想いを教えてください。

加藤)この写真は、アフガニスタンの情勢が悪くなっていたので、現地に行くことがなかなかできなくて、もうこれも3年前になりますが、久しぶりに訪問した時のものです。

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加藤)地域活動を担ってくれている村のリーダーたちなのですが、彼らから「今のアフガニスタンは本当に状況が悪くて、日本でも、テロが起きた、何人死んだとか、いつも戦っているような報道ばかりされているんじゃないかと懸念している」と言われました。実際そういう状況もあります。

でも「自分たちは本当に平和を目指していて、危険もある中、希望を捨てずに活動している。自分たちは平和を望む民族です。戦いなんてしたくないし、戦っているのは一部の人たちです。この事実をぜひ伝えてください」と言われました。

この時だけでなく、訪れた村のどこでも、「アフガニスタン人を恐ろしい民族だと思わないでください。平和を望んでいます。自分が生きているうちに平和を実現したいんです」というメッセージを何度ももらいました。

私はそのメッセージを直接受け取ったからこそ、自分ができるささやかな役割として、この事実をできるだけ多くの人に伝えていきたいですし、ぜひ皆さんからも伝えていってもらえたらうれしいです。


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加藤さん、アフガニスタンについて、より深く、より近く、感じられるトークをありがとうございました!

>>>加藤真希さんへのインタビュー記事もぜひご覧ください。
【平和を信じる希望の光を絶やさないように 〜JVC・加藤真希さん〜】

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