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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎へそまがり性愛学(創作大賞2024応募作)

へそまがり性愛学

 
 あが身は、成り成りて成り合はざる処一処あり。
 あが身は、成り成りて成り余れる処一処あり。
  ――伊耶那美命と伊耶那岐命の対話(『古事記』より)

 

O・ヘンリー著『最後の一葉』

そこには意外につぐ
意外の事態が

 

かつて国語の教科書で『最後の一葉』(1905年)に出会って、当たり前のように感動した覚えのある者にとって、作者のO・ヘンリー、本名ウィリアム・シドニー・ポーターが犯罪者として刑務所に服役した経歴の持ち主だとは、少なからず意外の念を催させる事態ではないだろうか。南北戦争のさなかの1862年にノースキャロライナ州に生まれたかれは、テキサス州に移り住んで勤務することになった銀行で公金横領をしでかし、35歳のときに懲役8年に処せられた獄中で、O・ヘンリーのペンネームで短篇小説を発表しはじめた……。そうした起伏のある人生行路が作品のエキスとなり、代表作のひとつ『最後の一葉』にも注ぎ込んだのだろう。 

だが、さらに意外の念に駆られる事態がある。わたしがかつて読んだときには主人公の女性ふたりが姉妹という設定だったのが、オリジナルでは友人同士という設定で、さらに青山南ほか訳『O・ヘンリー ニューヨーク小説集』(ちくま文庫)の解説によれば、彼女たちは実は同性愛の関係らしいのだ。19世紀後半から20世紀初頭にかけてフェミニズムの第一波が到来したなか、女性同士の暮らしが「ボストン・マリッジ(ボストン式結婚)」と呼ばれて流行し、ボヘミアンのスーとジョンシーもそうしたカップルとしてこのグリニッジ・ヴィレッジの古ぼけた共同住宅にやってきた。だから、秋の終わりの冷たい風が吹きすさぶころ、ジョンシーが肺炎で重体に陥った際に、往診の医師が「男のことでも考えて元気を出させるようにしなさい」と告げると、スーはすかさずこう応じるのだ。

  「男?」スーは言った。ビヨーンビヨーンと鳴る口琴でも咥えたような鼻にかかった声で。「男なんてなんの価値が……ああ、いえ、先生、そういうのはありません」 

こうしたバックグラウンドを眺めると、作品の主題も違って見えてくるのではないか。すなわち、いまや生きる意思を失いかけているジョンシーの気力を奮い立たせるため、嵐の夜にからだを張って行動に出るのは若い男ではなく、老いさらばえた画家ベアマンでなければならなかった。かれがみずからの生命と引き換えに向かいのレンガ壁に描いた一枚のツタの葉はペニスの隠喩に他ならず、ただし、それは生殖から切り離された男の優しさだけを象徴するものだったろう。したがって、日本で児童向けにリメークするにあたって、そのあたりをぼかそうとしたのも頷けるのだ。 

ところが、である。さらに意外の念を禁じえない事態に出くわした。映画『人生模様』(1952年)を観たのだ。O・ヘンリーの五つの作品を並べたオムニバスなのだが、そのなかの『最後の一葉』ではなんと、主人公のスーとジョンシーは姉妹となり性的な要素がきれいさっぱり消されているではないか。すると、こうしたバージョンは日本の教科書の発明ではなく、そもそもこのあたりにルーツがあったと見える。なんだって、こんなことが起きたのだろう? あえて推測するなら、この映画が制作された時期はハリウッドで「赤狩り」の旋風が吹き荒れて、共産主義者のみならず、同性愛者もまた反国家的な存在として弾圧が加えられたのだった。こうした情勢下で『最後の一葉』も改変を余儀なくされたのではないか、とわたしは睨んでいる。 

この小さな愛の物語にはどうやらひと筋縄では収まらない、人間社会の巨大な葛藤がせめぎあっているようなのだ。

 

上野千鶴子 著『スカートの下の劇場』

男子の精通が
永遠に社会化されないワケ

 

精通を見る――。それは男子にとって一体、どんな価値のある体験なのだろう? 女子の初潮については、かねて赤飯を炊いて祝うという風習があったり、堂々と文学や映画・ドラマに描かれたりもして、社会的位置づけがされてきたのに対して、男子のほうの出来事に関してはさっぱり注意が払われないのが不可解だ。こうした疑問を持っていただけに、上野千鶴子の『スカートの中の劇場』(1989年)を読んだときには腰が抜けるくらい驚いた。女性の下着のめくるめく世界を手がかりとしてセクシュアリティの内奥に迫った著作のなかに、つぎのような記述を見つけたからだ。 

 女の子の初潮に対応するものに、男の子の場合は、たとえばオナニーや夢精があります。性的な分泌物で下着が汚れる場合があります。第二次性徴以降、そういう徴候が徐々に出てくるのですが、その秘密を握ってしまうのは母親です。ですから、男の子のほうがもっと疎外が深い。つまり自分の下着を自分で洗っちゃいけないという禁止がありますから、汚れた下着をどんなことがあっても母親に渡さざるをえないのです。いつ何が起きたか、母親は全部知っています。これはほんとうに怖い、徹底した性器の管理です。

 ここに書かれているのは、まさに自分自身の身に起こったことだ。わたしは14歳のときに初めての夢精で精通を見たのだけれど、朝になると、母親があたかも察知していたかのようにやってきて、ひと言も口をきかず、弟と共用の二段ベッドの下に隠しておいたパンツを拾い上げて洗濯へ運んでいったのを思いだす。なるほど、こうして男子の精通が社会化される道は閉ざされていたわけか。 

あのときの経験から、もうひとつ社会化を阻む要因が思い当たる。すなわち、夢精という生理現象には必然的に睡眠中の夢がともない、エロティックなイメージを起爆力として射精する仕組みはオナニーと共通していても、こちらの場合はそのイメージをおのれの意思でコントロールできないことだ。当時、わたしは男子中学校に通っていたから周囲は男ばかりで、エロティックなイメージの対象といったら同世代のアイドル歌手ぐらいしかなかった。ところが、夜の夢枕に立ち現れたのは……、なんと隣家のオバサンだった。派手めの化粧をしていたとはいえ、ふだん何気ない挨拶を交わすだけのオバサンに対して自分が邪な欲情を抱いていたらしいとは! その罪悪感はずいぶんあとまで尾を引いた。 

いまにして思うと、夢だけで射精を引き起こすためには、アイドル歌手といった手の届かない存在では起爆力に欠け、もっと生々しい現実性を帯びた対象が必要だったのだろう。そこから類推すれば、男子のなかには、夢枕に母親や姉妹が立ってしまったケースもあるのではないか。そのときの罪悪感は隣家のオバサンの比ではなく、さぞや心に深い傷を負ったことだろうと同情を禁じえない。ことほどさように、男子にとって精通とは大っぴらに口外できぬ、あくまでも社会とは無縁な個人的体験なのだ。上野は、こうした事情は男子が成長して社会に出てからも継続し、やがて結婚後に今度は母親と妻とのあいだの覇権争いに転換されるとして、こう要約する。 

 妻の不快感は彼には理解不可能なものです。生まれてからずっと、母親の強い管理下に置かれていたのですから。パンツそのものは自分にとってよそよそしくて意味のないものになっています。ただ機能として穿いているだけのもので、誰が管理しても同じ、きれいな新しいものだったら気持がいいだけ。とうに性器の自己所有権を放棄していますから、それほどそのことに固着してくる母親と妻の気持はほとんどわからない。性器管理をめぐる母親と妻の葛藤から、男は完全に疎外されています。

この記述もまた自分自身のことに思えるのは、決してわたしだけではないはずだ。

 

吉行淳之介 現代語訳『好色一代男』

ずばり、
女護の島はどこに?


 「娼婦小説」といったジャンルで一世を風靡した吉行淳之介は、井原西鶴の『好色一代男』(1682年)の現代語訳に熱心に取り組んだ。よほど琴線に触れるところがあったらしい。浮世草子の先駆けとされるこの作品の主人公、世之介は兵庫の鉱山王の家に生まれて7歳で色恋の道を知り、11歳にして伏見の女郎を相手に初体験してから、生涯に3742人の女人、725人の若衆と関係を持ったという。とくに華々しいのは、35歳の年にいきなり京の名妓・吉野太夫を身請けしたエピソードだろうが、吉行は「覚え書」で以下の自己の経験に照らして疑問を呈している。 

 私事にわたるが、むかしむかし招待されてある一流花柳界に幾度か連れて行ってもらっているうち、若い芸者に好意をもたれたことがある。〔中略〕当時私は三十半ばの貧書生で、赤線については通暁していたが、花柳界の上等のほうとなると、右も左も分らない。芸者と深い仲になると、家作の一、二軒はすぐ失くなってしまう、というような言葉だけが思い出されるが、そういう家作はもっていない。仮にデートに誘うとしても、遠出の玉をつけなくてはいけないものか、そこらの同伴ホテルにいきなり行っていいものか、考え込んでいるうちに、そのままになってしまった。

 つまり、三十路の若造がいくら色街で修業したにせよ、とうてい花柳界の横綱のような吉野太夫を自由に扱えるはずはない、と断じているのだ。さすがである。そのうえで、西鶴の周辺には実際に吉野太夫と関係のあった大富豪が存在して、かれをモデルに世之介を造型した可能性があると推理を進めていくのだが、それはともかく、天下の遊蕩児の物語とおのれの実体験を重ねあわせて論じるなどおいそれとできることではない。しかし、そんな吉行をもってしても、あまりにも大胆な世之介の宣言については困惑したようだ。

 「されば、浮世の遊君、白拍子、戯女、見残したもの一つとしてない。わたしをはじめここの男たちは、この世に心を残すものは何もない身だから、これより女護の島に渡って、掴みどりの女を見せよう」

 全54篇のラストで、すでに還暦を迎えた世之介は7名の同好の士と誘いあわせて、難波江から好色丸と名づけた屋形船を漕ぎだし、この言葉を残して大海原のかなたへ去っていったのだ。果たして、女護の島とはどこにあるのか? 吉行は「覚え書」で、伊豆七島の八丈島に「女護島」の別名があったという説を紹介したあとで、世之介ら一行は「ふたたび帰らぬ旅への船出」を実行したのであり、したがって好色丸の目的地は黄泉の国だったとする見解を披瀝している。

 そうだろうか? およそこうした経験に疎いわたしなどがクチバシを挟むのも気が引けるけれど、実は、女護の島という呼び名を前にしてありありと脳裏に浮かんでくる光景があるのだ。

 もうずいぶん以前、東京・銀座でいまはないフランス系のおしゃれな百貨店が賑わっていたころの話だ。わたしの勤める会社がそこのイベントスペースでパブリシティを行うことになり、事前の打ち合わせに赴いた。平日の昼下がり。先方の女性スタッフと会議室でやりとりする合間に、当時はタバコを吸っていたので喫煙場所の有無を尋ねたところ、7階の社員食堂の奥にあるという。そこで、さっそく足を運んでみたら――。わたしは見たのだ。この百貨店では従業員の9割以上を女性が占めると聞いていたが、バックヤードの社員食堂ではその彼女たちがくつろいでいた。ぺちゃくちゃしゃべりながら食事をしているだけではない、テーブルにうつ伏せになったり、並べた椅子の上に横たわって鼾をかいたり。こちらに目を向ける者などいないなかを分け入って喫煙スペースに辿りつくと、女性たちがひしめきあってルージュの唇にくわえたタバコをプカプカやり、なかには悠然とウンコ座りして下着丸出しの格好で紫煙を吹き上げるツワモノも……。そのひとりひとりがみな念入りな化粧とファッションで輝くばかりだっただけに、いっそう凄みがあった。慌ただしく会議室に戻ってきたわたしの表情がよほど強張っていたのだろう、先刻の女性スタッフが「あ、見ちゃったんですね?」と、ぺろりと舌を出したものだ。

 それは女性たちが背負う社会的なしがらみから解き放たれて、のびのびと過ごしている姿だったかもしれない。だとするなら、ふだん男どもの目には見えないだけで、実のところ世間のあちらこちらに女護の島は存在しているのではないだろうか。

 

ワーグナー作曲『トリスタンとイゾルデ』

その音楽には
魔性が棲みついている


クラシック音楽において、男と女の性愛の闇に最も奥深くまで分け入ったのはリヒャルト・ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』(1865年初演)だろう。この白日夢のような楽劇に、わたしはただならぬ魔性が棲みついているとしか思えない。

 そもそも、ワーグナーがこの作品をつくりあげたのは、ドイツ国内での革命運動に失敗してスイスへの亡命を余儀なくされ、新たな地で庇護の手を差し伸べてくれた実業家のもとで過ごすうち、その恩義あるパトロンの妻と不倫の関係を結んだのがきっかけだった。つまりは、放埓な愛欲のエネルギーを臆面もなく舞台劇に結実させたわけだが、縦横無尽に半音階を編み込んでみせた作曲法は、クラシック音楽の基礎をなしてきた和声体系を崩壊のぎりぎりにまで追い込む画期的なものだった。そんな危うさを孕んだ音楽が原因かもしれない、当時、『トリスタンとイゾルデ』の全曲上演に携わった指揮者モットルは演奏中に心臓発作で死去した。さらに、第二次世界大戦後に「ワーグナーの聖地」バイロイトの音楽祭で活躍したカイルベルトもやはりこの作品の指揮しながら心臓発作で斃れる。それにショックを受けた同年生まれのカラヤンは、『トリスタンとイゾルデ』を指揮中のわが身に計測装置をつけて心拍数の変化を監視することに……。

 全3幕の舞台は登場人物も少なく、ヨーロッパ中世の伝説にもとづくストーリーは単純だ。第1幕で、コーンウォールの勇者トリスタンは、叔父のマルケ王の妃に迎えるためアイルランドの王女イゾルデを乗せた船の指揮をとっている。両者にはかつて仇敵同士として相まみえた過去があり、そのときから双方の心中にひそかに芽生えたものがあったのだろう、イゾルデの侍女が毒薬の代わりに差しだした媚薬を飲み干すなり、ふたりは陶酔状態となって愛を語りだす。第2幕で、イゾルデはすでに王妃の座にありながらトリスタンのもとに駆けつけると、ふたりはあたり憚らず抱きあい、まさぐりあい、ほとんどうわごとのような歌をえんえんと交わすのだった。

  おお、降り来たれ、
 愛の夜よ、
 忘れさせておくれ、
 生きていることを。
 お前の懐に私を抱き上げておくれ!
 世間から私を解き放しておくれ!
 (井形ちづる訳)

この事態をマルケ王に密告したライヴァルの家臣がやってきて、剣をかざしてトリスタンに斬りかかる。第3幕では、重傷を負ったトリスタンがひたすら愛人の訪れを待ちわびているところにようやくイゾルデが到着したとたん、トリスタンは息を引き取り、イゾルデもまたエクスタシーのアリア「愛の死」を絶唱して遺骸のうえにくずおれるのだった――。

 そのとおり、上演時間4時間におよぶ舞台劇が描きだすのは、男と女が真っ裸となって愛撫から性交の繰り返しを経てついに絶頂に達し、もはや生死の境も消えてしまうまでの、実に究極のセックスの過程に他ならない。わたしが初めてこの作品に接したのはまだ童貞の大学生だったころ、前記の用意周到なカラヤンがベルリン・フィルを指揮した録音(1971年)で、これが性愛の神秘なのか! と股間のモノがむくむくと勃起したものだ。ちなみに、その後、ベーム、クライバー、バーンスタイン……といった指揮者による名盤も鑑賞してきたけれど、この間に性愛の現実に触れたせいか、もはや股間にさしたる反応がなかったことを付記しておく。

 今日においては男と女の性別も絶対的な根拠を失い、LGBTQも含み込んだ相対的関係のもとに位置づけられているだけに、素朴にセクシュアリティを突きつめていくことはもはや不可能だろう。その意味で、このワーグナーの魔性の作品は空前にして、おそらく絶後の地位を占めているのだと思う。

 

アンリ・コルピ監督『かくも長き不在』

長年のつれあいの顔が
アカの他人に見えたときに


アンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』(1961年)は危険な映画だ。既婚者ならだれでもこんな体験をしたことがあるだろう、ふと、つれあいの顔に見覚えがなく、まるでアカの他人としか思えないといったような……。そんなときの対処法はふたつある。ひとつは、いまさら違和感をどうするわけにもいかず、いったん瞼を閉じてから、目の前の相手が人生の伴侶と割り切ること。たいていはこうしてやり過ごすだろう。しかし、もうひとつ方法がある。逆に、目の前の見知らぬ人物に合わせて記憶をつくり変え、あえて違和感のほうを揉み消すのだ。この作品は、まさにそれを実行しようとした女を描く。 

パリの下町で小さなカフェを経営している女(アリダ・ヴァリ)。今年も革命記念日(7月14日)のお祭り騒ぎがやってきて、その後のバカンスのシーズンには恋人のトラック運転手と旅行する予定でいた。ところが、突如、どこからともなくホームレスの男(ジョルジュ・ウィルソン)が、オペラ『セビリアの理髪師』のアリアを口ずさみながら立ち現れる。女はかれに自分の夫を重ねあわせた。16年前、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの占領下で、秘密警察ゲシュタポに連れ去られて行方知れずとなったままの……。

 男は過去の記憶を失っていた。女はあとをつけてセーヌ川岸の掘っ立て小屋まで赴き、あれこれ話しかけてカフェへ誘う。店では昔日の夫と面識のあった親族を集めて検分させ、かれらが顔立ちも背格好も違う別人だと弁じるのを尻目に、女は断固として夫だと主張して譲らない。彼女はバカンスへ行くはずだった恋人に別れを告げる一方、その威勢に腰が引けがちの男を強引にディナーへ招待する。食卓には夫の好物だった高価なブルーチーズとワインを用意して、執拗に男の過去を呼び戻そうとするが、ドイツの強制収容所で記憶が消えたあとに覚えていることは、「立ち上がり、歩いて、それだけだ」。

 しかし、女は諦めない。ジュークボックスで音楽をかけると、ふたりは本物のカップルのようにダンスをはじめ、男の髪をまさぐる女の指先が後頭部のミミズ腫れの傷痕を探りあて、どうやらゲシュタポは拷問のみならず野蛮な脳外科手術まで行ったのが記憶喪失の原因らしいと気づく。だが、女は諦めない。ことの成り行きに動転して外へさまよい出た男の背中に向かって「アルベール・ラングロワ!」と夫の名を叫ぶと、相手は銃を突きつけられたかのように両手を挙げ、つぎの瞬間、脱兎のごとく走り出して反対側からやってきたトラックに跳ね飛ばされる。

 それでも、女は諦めない。男がからくも一命を取り留めて姿をくらましたことを聞かされると、こうつぶやくのだ。笑みさえ浮かべて。

 「でも、冬がくれば戻ってくるわ、いまの夏は時期が悪いの。寒い冬にはちゃんとした家が必要だもの、夏は外で過ごせたとしても。さあ、冬を待ちましょう」

 この最後のセリフが示すとおり、女だってとうに男が夫ではなく一介のホームレスに過ぎないことを察している。であっても、男を手放さずあくまで夫として仕立て上げようとするのだ。そのために必要とされる記憶の捏造は、オペラのアリア、ブルーチーズとワイン、手に手を取ってのダンス……といった具合に着々と積み重ねられている。そう、ある意味では相手の記憶喪失がむしろ好都合なのだ。さらに言うなら、遁走した男がトラックにはねられて死んでしまったとしても、それはそれで差し支えなかったろう。

 彼女が追い求めているのは未来ではない。かつて自分が若く、美しく、生涯で最も輝いていた過去なのだ。夫が行方不明となったせいで尻切れトンボのまま16年間、なんの手触りもなく宙に浮いてきたものを、見ず知らずのホームレスの出現をきっかけにわが手に取り戻す。この機を逸したら、二度と回収することは叶わないだろう。その重大さからすれば、本当の夫であるかどうかは二の次に過ぎない。すべては自分のためである。その呪縛により、やがて男は必ず彼女のもとに戻ってくるに違いない――。この映画を危険と評したゆえんだ。

 長年のつれあいの顔がアカの他人のように見えたときには、相手の目にもこちらが同様に映っているだろう。さて、そのときに相手はどのような挙に出るか、そして、わたしはどのように処すればいいのだろうか?

 

川端康成 著『眠れる美女』

男は七十になっても男――
その諺が意味するものは


 「女は十五になったら女。男は七十になっても男」。わたしがその諺と出会ったのは社会人になってしばらく経ったころ。ひとまわり年上のキャリア女性があるとき、ふと溜め息をついてこちらに目を向け口にしたのだ。以来、何かの拍子にアタマに浮かんだものだが、最近、その頻度が高くなったと思うのはわが身がいよいよ「七十」に近づいたせいだろう。それはまた、かつて苦笑しながら読んだ川端康成の『眠れる美女』(1961年)が、いまにして生々しい肌ざわりを帯びてきたのと軌を一にしているようなのだ。

 主人公の江口老人は67歳、同じ世代の交際仲間の紹介で海辺の保養地にたたずむ「眠れる美女」という秘密の宿を訪れる。そこでは、女将の差し金のもと、真紅のビロードのカーテンをめぐらせた個室で睡眠薬により熟睡している全裸の少女と一夜を過ごすことができるのだ。もはや男性機能を失っているという前提で淫靡な快楽を味わえるわけだが、しかし、江口老人は二度目に訪れた際、女将の眼差しに軽蔑の色を見て取るとこんな感情が込み上げてくる。

  ひとり残された江口は鉄瓶の湯を急須にそそいで、ゆつくり煎茶を飲んだ。ゆつくりのつもりなのだが、その茶碗はふるへた。年のせゐぢやない、ふん、おれはまだ必ずしも安心出来るお客さまぢやないぞと、自分につぶやいた。この家に来て侮蔑され屈辱を受けてゐる老人どもに代つて復讐してやるために、この家の禁制をやぶつてやつたらどうだらう。その方が娘にとつてもよほど人間らしいつきあひではないのだらうか。娘がどれほどに強い眠り薬をのませられてゐるかわからぬが、それを目ざめさせる男のあらくれはまだ自分にあるだらう。などと思つてみてもしかし江口老人の心はさうきほひ立たなかつた。

 もとより、心だけでなく、肝心の局部も気負い立たなかったことだろう。男がやがて機能を失っていくという自然な生理現象を受け入れられず、空威張りで抗おうとするぶざまさを、これほどあからさまに描きだした例をわたしは他に知らない。かくして、江口老人はさんざん葛藤に苛まれながら「眠れる美女」の宿に通いつめ、そのたびに新たな幼い女体と臥所で触れあううち、老いに濁った思念は生と死のあいだをさまよい、少女たちはときに仏となり、ときに悪魔ともなって立ち現れるのだった。

 それだけにとどまらない。その夜、初めてふたりの少女をあてがわれた江口老人は、みずからも睡眠薬を服用したアタマで、おのれの人生に行き交ってきた女たちの面影を振り返り、こんなふうに一生の最後の女へと向かいつつあるときに、ふと疑問を発するのだ。じゃあ、最初の女はだれだったのか、と――。

  最初の女は「母だ。」と江口老人にひらめいた。「母よりほかにないぢやないか。」まつたく思ひもかけない答へが浮かび出た。「母が自分の女だつて?」しかも六十七歳にもなつた今、二人のはだかの娘のあひだに横たはつて、はじめてその真実が不意に胸の底のどこかから湧いて来た。冒涜か憧憬か。江口老人は悪夢を払ふ時のやうに目をあいて、目ぶたをしばたたいた。しかし眠り薬はもうだいぶんまはつてゐて、はつきりとは目覚めにくく、鈍く頭が痛んでくるやうだつた。うつらうつら母のおもかげを追はうとしたが、ため息をついて、右と左との娘のちぶさにたなごころをおいた。なめらかなのと、あぶらはだのと、老人はそのまま目をつぶった。

 このあと、小説は急転直下、隣に寝ていたはずの片方の少女が死体となっていたという幕切れに至るのだが、むしろ、わたしにはこの江口老人が朦朧たる意識のなかで反芻した独白のほうがずっと大きな衝撃をもって迫ってくる。母親と息子は性の秘儀で結ばれている。と同時に、その秘儀は決して成就することがない。それは、わずか4歳の年に母親と死別した川端が人生をとおして見つめ、世の男たちのだれもが心底に沈めている真実と見抜いたものだったのだろう。

 「男は七十になっても男」の諺には、ひと筋縄で済まされない意味が含まれていそうなのである。

 

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