アナログ派の愉しみ/映画◎ウィリアム・ワイラー監督『ベン・ハー』

分断と復讐の
果てにあるものは


アメリカの建国以来の歴史において南北戦争(1861~65年)が特別重大なできごとだったのは、約62万人という戦死者数がのちの第一次・第二次世界大戦での合計を上まわっていることだけからも明らかだろう。この未曾有の内戦はまた、ハリウッド映画史に屹立するふたつのスペクタクル大作を生みだした。ひとつは『風と共に去りぬ』で、マーガレット・ミッチェルが1936年に発表した小説をもとに、1939年にヴィクター・フレミング監督によって映画化されてアカデミー賞10部門を受賞した。もうひとつは『ベン・ハー』で、ルー・ウォレスが1880年に発表した小説をもとに、1959年にウィリアム・ワイラー監督によって映画化されてアカデミー賞史上最多の11部門を受賞した。

 
急いで付言すると、もちろん、この『ベン・ハー』は古代ローマ帝国の時代を舞台とした作品ではあるが、わたしはそこに南北戦争の二重写しを見て取るのだ。むしろ、マーガレット・ミッチェルが祖母や母親などの伝承から『風と共に去りぬ』を構築したのに対して、ルー・ウォレスは北軍の将校としてみずから実戦に参加しただけに、よりストレートに戦争体験が反映されているような気がする。

 
ごく簡単にストーリーを振り返ってみよう。ベツレヘムに救世主イエス・キリストが誕生したころ、イスラエルはローマ帝国の強権的な支配下にあった。その地のユダヤ貴族の家系に生まれたベン・ハー(チャールトン・ヘストン)とローマが派遣した総督の子息メッサラ(スティーヴン・ボイド)は無二の親友として育ったが、それぞれの人生を歩みだして再会しとき、一方はユダヤの名望家の立場にあり、もう一方はローマ軍の指揮官の地位にあった。ふたりの仲が決裂するなり、メッサラはベン・ハーの一家に無実の罪を着せてかれを奴隷の境遇に陥れる。ローマ海軍のガレー船の漕ぎ手として過酷な3年を過ごしたベン・ハーは、たまたま海戦中に司令官の生命を救ったことから晴れて自由の身となり、その庇護を受けてローマで剣闘士としての名声を博する。やがて故郷のイスラエルに帰還を果たすと、仇敵メッサラに復讐するため、かれが連戦連勝を誇ってきた馬4頭立ての戦車競走への参戦を決意する。みずからにこう言い聞かせて……。

 
「神よ、私がこの手で復讐することをお許しください。御心のままに」

 
どうだろう? こんなふうにストーリーの流れを大づかみにすると、双子の兄弟のような両者が敵同士となって死命を決するという構図、また、支配者の思惑次第で奴隷が解放されて自由を手に立ち上がるという構図は、この時代から1800年あまりの後世にアメリカ大陸で繰り広げられた南北戦争と重ねあわせて読み解くことができるようにわたしには思えるのだが、どうだろうか。

 
かくして、スクリーンにはあまりにも有名な戦車競走のシーンが映しだされ、ベン・ハーは激闘の末にメッサラを打ち負かして死へと追いやり復讐を遂げる。しかし、いっこうに心の平安を取り戻せないかれは、長年地下牢にあったせいで業病を患った母と妹をともなってイエス・キリストのもとに向かい、その十字架上の昇天と奇跡を目の当たりにして、ついに信仰の力によって真実の再生が訪れることに――。この結末はまた、南北戦争のおびただしい流血によって分断された同胞がひとつとなり、アメリカ社会を再生させるためには国民が信仰をともにすることが急務だと、原作者ルー・ウォレスが訴えかけたものに他なるまい。

 
21世紀もなかばに差しかかったいま、アメリカではドナルド・トランプ大統領の返り咲きをめぐっていっそう「分断」と「復讐」の声が社会に渦巻き、ふたたび内戦が勃発するという内容の映画も評判を呼んでいるようだ。さて、このとき果たして『ベン・ハー』に込められたメッセージは新たな生命をもってよみがえるだろうか?

 
【追記】
ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』には、1925年にフレッド・ニブロ監督の手になった同名の先行作品が存在し、ワイラーも助監督として参加していた。まだサイレント時代のモノクロ(一部カラー)映画とはいえ、当時としては巨額の予算を投下した超大作で、それぞれのエピソードを緻密に再現して積み上げていく手法により、イエス・キリストの降臨からベン・ハーの半生までがあたかもニュース映画のようなリアリティをもって迫ってくる。くだんの戦車競走のシーンでは、出演者に対して優勝賞金100ドルを示してホンモノのレースが行われたそうで、その結果、実際に凄まじい衝突事故の模様が撮影されている。決して後年のリメイク作品にひけを取らない傑作だ。


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