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罪花狂咲 第一話

あらすじ
キャンプ場を訪れていた二組のグループは、近くにあった廃村、越無村へと足を踏み入れてしまう。そこで目撃したのは惨殺された大量の死体と、その中で咲き誇る大量の赤い花。しかし、村から出た瞬間、それらは消えてなくなってしまう。幻覚を見たのだとその場は納得するが、数日後、村に足を踏み入れた大学生の一人が、胸が裂けた異常な姿で死亡する事件が発生。その後もグループ内で死者が多発する。
呪いの存在を疑った高校生の灰谷永士と大学生の真中綴の二人は独自に調査を開始し、刑事の小暮や、元大学教授の度会から情報を得る。そうして浮き彫りとなったのは、江戸時代後期に越無村で起きた悲劇の物語だった。

本文

 実丸さねまる様。あの日、あなた様と出会ったことで私の人生は変わりました。
 あなた様は私が生まれて初めて恋焦がれたお方。
 外の世界を知らない田舎娘の私にとって、外からやって来た実丸様はとても輝いて見えました。

 例えあなた様が大罪を犯した逃亡者だと知っても、あなたに恋焦がれるこの気持ちに一切の迷いはございません。これこそが殿方を愛するということなのでしょう。そんな己を誇らしく思います。

 私は満たされていました。私は世界一の幸せ者だと胸を張ってそう言えます。

 それなのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

 捕えられた実丸様はその場で首をねられ、罪人を匿った者も同罪だとして、村の住民も粛清されてしまいました。

 どうして、私だけが生き残ってしまったのでしょうか。

 見知った村の方々の遺体を埋葬していく日々の中で、私は自責の念を感じずにはいられません。

 あの日、あなた様と出会わなければ良かったのでしょうか?

 あなた様が大罪人だと知った時点で、しかるべき場へあなたを告発するべきだったのでしょうか?

 それとも、あなた様や村と運命を共にすべきだったのでしょうか?

 私は救われたい。
 誰でもいい。どなたか私に救いを与えてください。
 罪の意識に、私の胸は今にも張り裂けてしまいそうなのです。
 どうか私に救いを。
 どうか私に救いを。

 その時まで、私はこの越無こえなしの地で待ち続けます。

 ※※※

 季節は夏を迎えた七月四日。
 週末を利用して、五名の男女が車で山間のキャンプ場を目指していた。日帰りでバーベキューを楽しむ予定だ。

「快晴にも恵まれて絶好のアウトドア日和だな」
「日頃の行いのおかげね」

 陽気にハンドルを握る会社員の七草ななくさ泉太せんたへ向けて、助手席に座る恋人の片桐かたぎり小夜子さよこが笑顔で頷いた。今回のバーベキューは後部座席に座る泉太の家族のリフレッシュのために、泉太と小夜子の二人で企画したものだ。自分達が率先して場を盛り上げていこうと、二人は張り切っていた。

「あれ、日焼け止め持ってきてたかな」
「無かったら私の貸してあげるから大丈夫だよ美夕みゆう
「ありがとう、海鈴みすず

 後部座席には二十代の二人よりも少し若い、高校生の男女三人が座っている。
 助手席側に座るのは、小夜子の妹で高校二年生の片桐美夕。目鼻立ちが整った端正な顔立ちとスラリとしたスタイルを持つ大人びた印象の少女だ。家庭の方針で断ったが、過去に読者モデルにスカウトされた経験もある。

 真ん中に座るのは泉太の妹で高校二年生の七草海鈴。童顔が愛らしい、美夕とはまたタイプの違った美少女だ。美夕と海鈴は通っている高校こそ別だが、兄、姉が恋人同士であることに加え、二人で同じファストフード店でアルバイトをしていて親交が深い。

 そして運転席側の後方には、女子二人の会話の輪には加わらずに窓から風景を眺める男子高校生が一人。切れ長の目と色白な肌が特徴的で、学生ながら独特な色気を持っている。

「悪いな永士えいじ、急に誘っちまって。お前がいないと俺が男一人で肩身が狭いからな。勘弁してくれ」
「ちょうど暇してたし、誘ってくれて嬉しいよ、泉太兄さん」

 ミラー越しに顔色を伺う泉太へ灰谷はいたに永士は微笑を返した。泉太が自分を誘った本当の理由には察しがついていたが、泉太の意を汲み建前の方に合わせておく。

 永士は七草兄妹の母方の従兄弟にあたり、海鈴とは同じ高校の同じクラスに所属する同級生でもある。灰谷家は複雑な家庭環境で両親が不在がち、永士は昔から親戚である七草家の世話になる機会が多かった。そのため泉太と海鈴にとって永士は従兄弟というよりも兄弟という感覚の方が強い。

 年齢の割にどこか達観している永士は、積極的に家事や自炊といった一人暮らしのスキルを覚えたため、最近は七草家に通う機会が減っているが、海鈴とは同級生ということもあり今でも関係は良好だ。

「永士くんチョコ食べる?」
「頂こうかな」
「はい、口あけて」

 美夕は永士に確認を取ると、持参してきたスティックタイプのチョコ菓子を一本取り出し永士に手渡す――のではなく、食べさせてあげようと摘まんだチョコ菓子を永士へと近づけた。それを受けた永士は嫌な顔をするでも照れるでもなく、躊躇なくくわえ、頬張った。本当は恥じらうリアクションをからかいたかったのだろうが、あまりにも淡々とした反応に、仕掛けた側の美夕の方が困惑気味だ。そして、二人の間に挟まれ面白く無さそうな表情を浮かべる童顔が一人。

「目の前でいちゃつくのは止めてもらえます、美夕さーん」

 文字通り目の前で状況を見つめていた海鈴があえての敬語で苦言を呈する。

「ごめんごめん。永士くんってばクールな雰囲気だから、照れてる顔が見てみたくて」
「残念でした。永士ってばお爺ちゃんにみたいに落ち着き払った性格だから、その程度じゃ全然動じないよ」
「流石、永士君を近くで見て来た女の言うことは違いますな」
「馬鹿言ってないの。分かったらさっさと私にもチョコ頂戴。もちろん食べさせてね」
「何だ、結局は自分もチョコ食べたたかっただけじゃない。しょうがないな、はいアーン」

 美夕に食べさせてもらったチョコ菓子を海鈴は美味しそうに頬張り、「私も私も」とねだる美夕に向けて、今度は海鈴が食べさせてあげた。

「若いっていいわね。ああいうノリ、たぶん今はもう出来ない」
「小夜子だってまだ二十三だろ。若い若い、それに俺にはよくやってくれるじゃん」
「友達同士のノリと恋人同士のそれはまた別――って、妹たちの前で何言わせてんのよ」
「ラブラブで羨ましい」
「お姉ちゃん、私達は一向に構わないから遠慮なく続けていいよ」
「年上をからかうんじゃないの」

 終始和やかムードの中、一向はキャンプ場へと向かっていく。

 ※※※

「俺と小夜子で受付を済ませてくるから少し待っていてくれ」

 泉太の運転する車は、正午前には梨恋なしごいキャンプ場へと到着。駐車スペースに一度車を止め、泉太と小夜子は利用の手続きのため、管理人の常駐する事務所へと向かった。

「海鈴が楽しそうで本当に良かった。あの事件以来、塞ぎこむことも多かったけど、今日はちゃんとリラックス出来ていると思う。美夕ちゃんも連れてきてもらって正解だったよ」

 妹たちに気を使わせないために、二人きりになったタイミングで泉太は語り出した。

「私も安心した。だけど、永士くんの方は大丈夫なの? 海鈴ちゃん程は楽しそうにしてない印象だけど」

「心配いらないよ。楽しんでいないわけではなくて、あれがあいつの素。正直に言うと、永士については海鈴と違ってそこまで心配はしていないんだ。あんな事件があっても、あいつは普段とあまり様子が変わらなくてさ。昔から物事に動じないタイプではあったけど、今回ばかりは本当に驚かされたよ」

「兄弟同然の泉太くんが言うのならそうなのかもしれないけど、正直しっくりは来ないな。大した怪我じゃなかったとはいえ、普通なら巻き込まれただけでもトラウマものだよ。ましてや永士くんは――」

「事件の話はこのぐらいにしておこう。気分転換のために企画したバーベキューで俺らの方が気負ってたら、あいつらにまで不安が伝わる」
「そうだね。ごめん」
「受付を済ませようか」

 泉太は仕切り直すように小夜子の肩に腕を回すと、足並みを揃えて事務所へと向かった。
 
 ※※※

「私達の貸し切りだね。ここって凄い穴場なんじゃない?」

 梨恋キャンプ場に到着するなり、テンションの上がった美夕は両手を広げて中心地で一回転した。

「ここはインターネットで検索しても出てこない、小規模なキャンプ場だからね。俺も知り合いに聞くまでこの場所は知らなかった」

 澄んだ湖を望む小さなキャンプ場には先客はおらず、今この瞬間、一行は空間を独り占めしていた。

 この場所を選んだのは泉太で、過去に梨恋キャンプ場を利用したことのある職場の同僚の紹介だった。ホームページなど、インターネット上には情報は掲載されておらず、人からの紹介か電話帳経由でしかその存在を把握出来ぬ穴場中の穴場だ。

 都市部から離れており移動に時間はかかるが、アウトドアシーズン真っ只中の七月にも限らず、ほとんど貸し切りの状態で楽しめる環境はとても魅力的だ。ひょっとしたら利用者達も穴場のままにしておきたくて、情報が拡散しないままに留まっているのかもしれない。

「今日は日帰りのバーベキューだけど、今度は泊りがけでキャンプするのもいいかもしれないな」
「大賛成!」

 泉太の言葉に真っ先に賛同したのは美夕であった。姉の恋人である泉太のことを美夕は妹目線で好いており、良い意味で距離感が近い。

「お兄ちゃん、あっちは何があるの?」

 辺りを見回していた海鈴がキャンプ場に隣接する深い森の方角を指差した。視線を引き寄せたのは、森へ誘うかのように、草木を縫って敷き詰められた砂利道だ。だいぶ荒れているが、以前は生活道として利用されていた形跡が見て取れる。

「そっちは古い廃村に繋がっているそうだ。手つかずのまま、いつ家屋が倒壊してもおかしくない危ない場所だから、管理人には絶対に近づかないようにって念を押されたよ」
 
 近くに廃村があるという情報は事前に同僚からも聞かされていたが、管理人の話を聞くと想像以上に古い物のようだ。未成年者を預かる保護者の目線として泉太は注意を促す。
 
「注意されなくたって近づかないよ。倒壊ももちろん怖いけど、廃村ってそもそも不気味だもの」
「そうかな? 私はそういうの面白そうだと思うけど」
「美夕、絶対に近づいちゃ駄目だからね」
「はーい」

 興味津々に砂利道の方角を見つめる美夕を姉の小夜子が窘《たしなめ》めると、美夕は悪戯っ子のように舌を出した。

「凄い、永士くんもう組み立てたの?」
「はい。去年の文化祭で焼き鳥を焼いたので、バーベキューコンロの組み立ては慣れてます」

 廃村の話題に一人参加していなかった永士は、車から運び出して来たバーベキューコンロをテキパキと組み立て終えていた。あまりにも手際がよくそれでいて淡々とした永士の姿に、普段顔を合わせる機会の少ない小夜子は目を丸くしている。

「永士くんばかり働かせちゃ申し訳ないわね。美夕、海鈴ちゃん、私達は食材の用意を始めましょう」
「それじゃあ俺はクーラーボックスを――」

 それぞれがバーベキューの準備を始めようとした矢先、車のエンジン音がキャンプ場内へ響き、泉太の車から少し離れた位置に一台の車が停車した。車中には四人の若い男女の姿が確認出来る。

「完全な貸し切りとはいかなかったみたいだな」

 あわよくば今日一日貸し切り状態で楽しみたいという思いはあったが、共有のキャンプ場である以上、別の利用客が来ることも致し方がない。
 泉太が会釈をすると、運転席に座るアロハシャツ姿の青年が人懐っこそうな笑顔で会釈を返した。

 ※※※

「そうですか、皆さんは同じ大学のご友人で」

 キャンプ場内は事実上、二組だけの貸し切り状態。双方社交的なタイプが多く、年齢も近かったため、打ち解け合うまでにそれほど時間はかからなかった。

「僕は倉田くらた隼人はやと。今回のバーベキューの主催者です。県内にこんな穴場があるなんて知らなくて、趣味仲間から教えてもらえてラッキーでした」

 アロハシャツ姿の倉田隼人は愛想の良い笑顔を泉太へ向けた。車を運転してきたのも彼で、友人グループの中心人物のようだ。表情豊かで言葉遣いも丁寧な、好感の持てる青年だ。

「背の高い彼は竜崎りゅうざき
「よろしくお願いします」

 トランクから飲み物が入ったクーラーボックスを運び出していた竜崎りゅうざき信良のぶよしが、紹介を受けて会釈した。百八十センチ超えの長身で体格も良い。半袖のティーシャツから覗く腕も日に焼けており、活動的な印象の青年だ。

「メイクばっちりな彼女は姫野ひめの
「なんか引っ掛かる言い方だな。姫野ひめの香苗かなえです、よろしくお願いします」

 倉田の脇腹を小突きつつ、姫野香苗は満面の笑みで挨拶した。紹介に違わず、野外活動でもメイクはばっちり決めている。スタイルにも自信を持っており、タイトなトップスにショートパンツを合わせている。

「最後に彼女は真中。僕たちの中で一番の秀才です」
「どうも」

 社交的だった三人とは異なり、真中まなかつづりの挨拶はどこか素っ気ない。外見も、括った黒髪にオーバル型の眼鏡、服装も日焼け対策の長袖のパーカーとどこか地味な雰囲気だ。もちろん外見だけで判断することなど出来ないが、華やかな印象の他三人とは少し印象が異なる。

「あれ、日焼け止めどこやったっけ?」
「肌出すのならちゃんと確認しておきなさいよ。はい、私の貸してあげる」
「ありがとう」

 人見知りなだけなのか、綴は友人の香苗とは気さくに接しているし、その直後には良い意味で遠慮なく、竜崎が運ぶクーラーボックスから遠慮なく冷えたドリンクを拝借する様子も見せた。タイプは違っても波長は合うというやつなのかもしれない。

「皆さんはどこの大学なんですか?」

 切ってきた野菜類を運んできた美夕が興味本位で尋ねた。来年には受験を控えた高校二年生というお年頃。大学生やキャンパスライフという響きに興味津々だ。

「僕たちは全員、蜻蛉橋かげろうばし大学の二年だよ」
「そうなんですか! 私と海鈴、受験の第一志望を蜻蛉橋大学にしようかと思っていて。もしよかったら色々とお話しを聞かせてください。ねえ、海鈴」
「う、うん」

 腕を組まれた海鈴が少し間を置いて頷いた。実のところ海鈴はまだ志望校を決めていないのだが、美夕は友人であり、兄と姉が深い関係にある海鈴が自分と同じ進路へ進むものだと疑ってやまない。本人は無自覚なのだろうが海鈴は自分本位かつ押しが強い面があり、控えめな海鈴との間にはちょっとした同調圧力のようなものが生じている。

「未来の後輩の頼みとあらば断われないね。僕たちで良ければ何でも聞いてくれ」

 人当りの良い倉田や香苗が快く頷く中、綴だけは興味無さそうにその場を離れ、黙々と火を起こす準備を進める永士へと近づいた。

「君も蜻蛉橋志望?」

 しゃがんで木炭の箱を開封していた永士に綴は目線を合わせようとするが、永士は下を向いたまま作業を突受けている。

「進学希望ですが、まだ志望校までは決めてません」
「なるほど、選択肢が豊富な秀才くんってわけか」
「そう見えました? 否定はしませんけど」

 これまで淡々と作業を続けていた永士が手を止め、初めて綴と目を合わせた。

「彼女達の話に、君があまりにも無関心に見えたものだから。そもそも蜻蛉橋なんて眼中にないのかなと思って。在籍する私がいうのもなんだけど、うちの学校は良くも悪くも平凡だから」
「目敏いお姉さんだ」
「真中綴よ。君は?」
「灰谷永士です。以後お見知りおきを」
「あら、愛想笑いも出来るのね」
「仏頂面の真中さんよりは、いくらか社交的でしょう」
「違いないわね」

 爽やかな笑顔を浮かべる永士の返しに、この日初めて綴は相好を崩した。
 
 ※※※

「それじゃあ乾杯!」

 バーベキューは二組合同となり、最年長の泉太の音頭で乾杯が行われた。各々の手元にはペットボトルのお茶や炭酸飲料などが握られている。高校生三人を含む泉太一向はもちろん、大学生グループも酒類は持ち込んでいない。日帰りに加え、女性陣はあまりお酒が得意ではなく、竜崎も訳あって禁酒中。倉田は車の運転もあるので、今回はお茶やソフトドリンクのみの持ち込みとなった。

「七草さんは九十九つくも物産にお勤めなのですね。ひょっとして、堅城けんじょうさんをご存じですか?」
「ええ、彼とは同期入社で親しくしてますよ。お知り合いですか?」
「年上の友人です。同じフットサルチームに所属してまして。一緒に写っている写真もありますよ」
「本当だ。これは思わぬところで共通点が」

 偶然にも共通の知人の存在が明らかになり、泉太と倉田は大きく盛り上がっていた。泉太に穴場のキャンプ場を教えてくれたのは同僚の堅城で、倉田にキャンプ場を押してくれたのもチームメイトである堅城であった。日付が合致したのは偶然だが、情報の出所は実は同じだった。

「竜崎さんって男らしくてかっこいい。ぶっちゃけモテるでしょう?」
「褒めても何も出ないよ。悪い気はしないけどさ」

 自己紹介を済ませて以来、美夕は高身長で筋肉質な竜崎にご執心だ。外見は美夕の好みにドンピシャだし、年上の大学生という響きもまた、年頃の女子高生にはとても魅力的に聞こえる。竜崎の方も現役女子高生の熱視線に、満更でもないよう様子で微笑んでいる。

「こっちはそろそろ火が通りそうですね」
「私、追加のお野菜持ってきますね」

 世話焼き同士波長が合っているのだろう。小夜子と香苗は談笑を交わしつつ、火加減の調節や具材の補充に余念がない。

「大勢でご飯食べるのって楽しいね」
「そうだね」

 食べる分を取り皿に乗せた海鈴と永士は、持参してきたアウトドアチェアに腰を下ろして肩を並べている。

「……ねえ永士、永士は今でもあの時のことを思い出す?」

 周りには聞こえない程度の音量で、海鈴はささやくようにそう言った。海鈴は俯き、バーベキューの串を握る手にも無意識に力が入っている。

「いいや。僕は別に」
「……そっか、永士は強いな。私はあの時の光景は一生忘れられそうにないよ」

 強がるでも自嘲するでもなく、永士は平常心でそう言ってのけた。永士がいつだって平常心なことは従兄弟であり同級生でもある海鈴が誰よりも理解している。永士に非はない。だけど、まるで同意を拒まれてしまったようで、海鈴は一人虚しさを感じていた。

「……小夜子さんたちを手伝ってくるね」

 ぎこちなく笑いながら立ち上がった海鈴を引き留めることはせず、永士は表情一つ変えずに食事を継続した。

「あの子のこと追いかけなくてよかったの?」

 海鈴と入れ替わるようにして、綴が永士の隣に腰を下ろした。手にはまだ空けていないペットボトルが握られている。飲み物を取りにきたついでに声をかけてきたようだ。

「別に問題ありません。僕は罪作りな男なので、こんなことは日常茶飯事ですよ」
「良い返し。さぞ女の子にもモテるでしょうね。扱い方はゼロ点だけど」
「返す言葉もありません」

 皮肉を受けても、永士はむしろ光栄だと言わんばかりに口元に笑みを浮かべる。自分の周りにあまりいないタイプの綴とのやり取りを、永士はどこか楽しんでいた。

「あの子、随分と深刻そうな顔してたけど、いったい何を話していたの?」
「何気ない日常に異物が混入したお話し、とでも言っておきましょうかね」
「随分と抽象的ね」
「今日出会ったばかりの人に話すような内容ではないというだけのことですよ」
「それを言われたら、返す言葉はないわね」

 永士の言い分はもっともだ。綴は肩を竦める仕草と共に大人しく引き下がった。


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