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罪花狂咲 第六話

『香苗。具合は大丈夫? これからお見舞いに行ってもいいかな? 買い物していくから、何か必要なものがあれば言って』

 姫野香苗はベッドに横たわり、綴からは送られてきたメッセージを確認していた。

 体調が優れず、ここ三日間は大学もアルバイトも休み、家に閉じこもっていた。
 バーベキュー明けから感じていた胸の違和感は日に日に大きくなり、最近は鋭い痛みを感じる日も増えた。竜崎と美夕、すでに関係者が二人も亡くなっている。あの日の体験が無関係とは思えない。自分の身にも何か起こるのではと、強い不安を感じていた。

『ありがとう。食材とかは足りてるけど、何か甘い物が食べたいな。二人で一緒に食べようよ』

 香苗は綴に即座に返信した。この三日間誰とも顔を合わせていない。孤独に圧し潰されそうな今、綴の存在が恋しくて仕方がない。

 華やかな外見で社交的な香苗と、どちらかというと地味で口数も少ない綴。一見すると対照的な二人だが、出会って以来自然と馬が合い、気づけば一緒に行動するようになっていた。香苗はいわゆる大学デビューで、以前はどちらかという地味なタイプだった。根っこは今でも変わらず、社交的な自分を演じることにストレスを感じながら日々を生きている。そんな香苗にとって、下手に気取らず一貫した自分を持っている綴は一つの憧れだ。

 綴は寛容で、社交性を演じる表面も内向的な中身も、どちらの香苗も許容してくれる。綴の前ではリアルな姫野香苗として振る舞える。社交性の保つのが辛くて、滅多に知人を自宅に招かない香苗が聖域への侵入を許す相手は、綴くらいのものである。

「綴が来る前にお風呂に入っておこう」

 一昨日からお風呂に入っていなかった。着替えはしているが、夏場とあって体も蒸す。同性の友人とはいえこのまま迎えるのは気が引ける。さっぱりした状態で綴を迎えたかった。違和感に胸を押さえながら、香苗は脱衣所へ移動した。

「……綴が来たら、あのことを話してみようかな」

 湯船に浸かりながら、香苗は綴と一緒に写る写真をスマホで眺めていた。
 廃村での恐ろしい体験以来、ずっと忘れようとしてきた罪悪感が再燃している。胸の不調も無関係とは思えない。軽蔑されることが怖くて今までは誰にも相談出来なかったがもう限界だ。綴ならきっとこんな自分でも受け入れてくれる。

 三ヵ月前。香苗は日常的に利用している駅で、人身事故の現場に居合わせた経験がある。

 亡くなったのは高齢の男性だった。ホームのベンチで電車を待っていた香苗は、最初から男性の身に不安を抱いていた。男性は足腰が悪いようで、覚束ない足取りで杖をついていた。乗り遅れることを恐れたのだろう。男性は白線のギリギリまで進もうとしていた。もう少し下がった方がよいと助言しようと香苗は考えたが、本来の控えめな性格が災いし目をつむった。そうそう不安は現実になるまいと高を括っていた。

 しかし、悲劇は起こった。香苗が目を開けた瞬間には高齢男性の姿がホームから消えていた。誤ってホームの縁の外へ杖を伸ばしてしまい、バランスを崩してそのまま線路上へと転落したのだ。ホームは騒然とした。駅は間もなく快速電車が通過する。

 香苗は頭の中が真っ白になった。高齢男性の動きが危なっかしいことに香苗は早々に気付いていた。自分が声をかけていればと、深い後悔が押し寄せる。
 幸いにも男性はまだ生きている。今からでも自分に出来ることはないか? 香苗は思考を巡らせる。しかし、控えめな性格がここでも災いし、何も思いつかない。

 私は何をすればいい? 
 ホームに電車が迫る。
 周りは何をしているの?
 誰かが駅員を呼びに行った。
 次は何をすればいい?
 近くにいた男性がスマホを構えた。
 電車がホームに差し掛かった。
 何をすればいいか分からない。自分も周りに合わせよう。
 スマホカメラのシャッター音がそこかしこから聞こえた。
 じゃあ、私も。

 緊急停止ボタンが押されたが間に合わず、ホームへ進入した快速電車と男性が接触した。

 その瞬間、香苗はスマホを構えシャッターを押していた。

「私は何をしたの?」

 スマホのカメラに新しく記録された写真を見て香苗は絶句した。どうして自分は男性が亡くなった瞬間をカメラに収めているのだろう?

 凄惨な光景と自分の行動の恐ろしさに耐え切れず、香苗はその場で激しく嘔吐した。

 異常な状況に飲まれ、周りの行動に無意識に合わせてしまった。だが、自らの手でその瞬間を写真に収めたという事実は変わらない。自分は何て非道徳な行いをしてしまったのだろう。この瞬間、姫野香苗の胸に強い罪悪感が刻まれた。
 
 自分の愚かな行いを誰にも相談できず、ずっと自己嫌悪を繰り返して来た。
 それでも時の流れは、少しずつ心に安寧を取り戻させた。

 仲の良いグループでバーベキューに行くことは本当に楽しかった。だけどあの廃村での体験が再び罪悪感を蘇らせた。

 廃村で目撃した数えきれない死体。ほとんどが着物姿で斬殺されていたのに対し、一人、現代的なテーラードジャケットを着た高齢男性の轢死体《れきしたい》が見えた。ほんの一瞬、虚ろな目と視線が合ったような気がする。その目はお前の罪を忘れるなと言っているようだった。

「いやあああああああああ――」 

 一瞬の微睡みの中で三ヵ月前の光景がフラッシュバックし、香苗は浴槽で絶叫を上げた。続けて、胸部に耐えがたい激痛が襲い掛かた。

「痛っ! えっ?」

 視線を落とすと、透明な湯船に胸元から赤色が広がっていく。瞬く間に浴槽全体が赤く染まった。

 ※※※

「もしもし香苗」

 綴は香苗のアパートの近所のスーパーで着信を受けた。甘いもの以外に追加の注文かなと思ったが、電話越しの香苗の鬼気迫った様子に一瞬で背筋が冷えた。

『……綴、痛い……痛いよ』
「香苗? どうしたの香苗!」
『裂ける……胸が裂ける……』

 その言葉で綴は全てを悟った。竜崎や美夕に起きたのと同じ異常が、現在進行形で香苗にも起こっている。

「家だよね。直ぐに救急車を呼ぶ、私も直ぐに駈けつけるから」
『……私は何であんなことを……ごめんなさい……お爺さん……』

 香苗の声がどんどん細くなっていく。その言葉もすでに綴に向けたものではなく、過ちの懺悔ざんげへと変わっている。

「香苗! 気をしっかり持って!」
『私は罪を犯しました』
「……えっ?」

 綴は耳を疑った。電話越しに届いた声は香苗よりも少し幼い、別人の女性の声だったのだ。

「香苗? ねえ、香苗?」

 通話は継続されているが香苗からの返答はない。ゴトンと、スマホが落下する音が電話越しに届いた。

 ※※※

「香苗! 香苗!」

 近所にいたことで救急車の到着よりも早く、綴は香苗のアパートへと到着した。大家に事情を説明して部屋の鍵を開けてもらい、靴も脱がずに香苗の部屋に飛び込んだ。

 ワンルームの室内に香苗の姿はない。シャワー音を頼りに綴はバスルームへ向かった。

「香苗……嘘でしょう……」

 変わり果てた親友の姿を目の当たりにし、綴は濡れた浴槽の床に膝から崩れ落ちた。

 香苗は血で真っ赤に染まった浴槽の中で息絶えた。耐え難い激痛に、死相は苦悶に歪んでいる。赤い水面に薄うっすらと透ける香苗の胸部は、心臓ごと大きく裂けていた。衣服を身に着けぬ裸体だからこそ、その死に方の異常性が視覚情報としてダイレクトと綴に飛び込んでくる。

 裂けた胸の奥に臨む心臓の状態が何よりも異常だった。
 不自然に裏返るように裂けた心臓は、まるでそれ自体が巨大な赤い花を咲かせているかのようであった。

 ※※※

「目が腫れていますね」
「……当然でしょう」
「泣き腫らした顔も綺麗ですね」
「喧嘩売ってる?」
「ただ思ったことを述べたまでです」

 香苗の死の翌日。永士は綴からの呼び出しを受け、綴の行きつけの喫茶店へと足を運んでいた。いつも毅然とした印象だった綴も、親友の死の直後とあって表情は悲愴感に溢れている。早々に永士を呼び出したのは、捜査に集中することで悲しみを紛らわせたいという気持ちも強かった。

「第一発見者は私よ。変わり果てた香苗の姿を見て、改めて一連の出来事の異常性を理解したわ。裂けた胸の奥に覗く心臓は、まるでそれ自体が赤い花のようになっていた」
「赤い花ですか。ますますあの村が連想される。あの村は赤い花で溢れていましたから」

「新しい報告がもう一つあるわ。亡くなる直前の香苗との通話中、最後に明らかに香苗とは異なる声が『私は罪を犯しました』と、確かにそう言ったわ。気が動転していて、録音までは出来ていないけど」

「その声は、幼さの残る少女のような声でしたか」

 端的に言い当てた永士に驚き、綴は目を丸くして首肯しゅこうした。

「村で僕は少女の声を聞きました。台詞も一言一句違いません。恐らく同一人物でしょうね」
「いったい何者かしら」
「僕らが迷い込んだ場所は廃村になる以前の、健在な村のようでした。少女は例えばその時代の人間かもしれませんね。荒唐無稽こうとうむけいかもしれませんが、これだけ異常が続けば十分あり得る話だと思います」

「鍵を握るのはやはりあの廃村ね。私はこれから図書館で越無こえなし村について調べるつもりだけど灰谷くんはどうする?」
「僕もお供しますよ」

 ネットで検索しても目ぼしい情報は見当たらず、現在の地名が出るだけで超無村に関する情報は皆無であった。こうなると、図書館などで郷土史を調べた方が有益な情報を得られる可能性は高い。

 ※※※

「真中綴さんですね」

 二人で喫茶店を出た直後、紺色のスーツ姿の男性が綴へと近づいて来た。歳の頃は四十代半ばといったところ。白髪交じりの短髪で、上背があって肩幅も広い。無骨な存在感がある。

「そうですがあなたは?」
「突然驚かせて申し訳ありません、蜻蛉橋かげろうばし署の小暮こぐれと申します」

 懐から取り出した警察手帳には小暮こぐれいたる巡査部長とある。相手が警察官と分かり綴の緊張は高まり、無意識に永士のシャツの裾を握っていた。

「私に何か? 姫野香苗さんについては全て証言しましたよ」

 昨日、香苗の遺体の第一発見者となった綴は警察から事情を聞かれている。流石に呪い云々については話していないが、それ以外は発見時の状況や香苗の人となりなど、包み隠さず正直に話したつもりだ。これ以上警察に話せることは何もない。香苗の死について何か疑われているのだろうかと、自然と警戒心が強まる。

「私は姫野さんの件の担当ではありません。これは職務ではなく個人的な接触です。管内で起きた姫野さんの死について、思うところがありましてね」
「どういう意味ですか?」
「胸部が裂け、心臓が咲く異様な死。越無村が関係しているのではありませんか?」

 刑事の口から越無村の名前が出たことに驚き、綴は思わず永士の方を見たが、永士は表情一つ変えずに小暮を見据えている。

「力になれるかもしれません。この後お時間を頂けませんか?」
「永士くん。どう思う?」
「断る理由はありません。今の僕たちはとにかく情報不足だ」
「決まりですね。車で来ていますので、こちらへどうぞ」

 連続する不審死、呪いとでも呼ぶべき異常事態。いずれにせよ往来で話し込むような話題ではない。二人は素直に小暮が乗って来た車に乗り込んだ。

「そういえば、君の名前はまだ聞いていませんでしたね」

 運転席に乗り込んだ小暮が、綴とともに後部座席に座った永士へ尋ねた。

「灰谷永士。高校生です」
「灰谷くん。つかぬことをお聞きしますが、以前に私と会ったことがありますか?」

 元々は綴だけに接触する予定だった。永士のことを事前に調べていなかったにも関わらず、小暮は初対面ではないような奇妙な感覚を抱いていた。

「いえ、これが初対面だと思いますよ」
「そうでしたか。すみません、妙なことを言って」

 多くの顔を目にする刑事という仕事柄、似たような顔の誰かと混同したのだろうと小暮は一先ず納得。車を発車させた。


第七話 

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