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罪花狂咲 第八話

「適当にかけて」
「お邪魔します」

 小暮に送り届けられたその足で、永士は綴のマンションを訪れていた。小暮から提供された一之瀬の調査記録を、早速検証するためだ。高校生の永士の自宅に綴がお邪魔するというのは気が引けたので、勉強会には綴のマンションを選択。二人揃ってマンション前で小暮に下ろしてもらった。

「書店のようなお部屋ですね」

 ソファに腰掛け、永士は興味深げに室内を見渡す。綴の部屋は電化製品が置かれている場所を覗き、壁一面に本棚が置かれている。内容は多種多様で、単行本や文化本の小説はもちろん、心理学や脳科学の専門書など、様々なジャンルの本が収められている。

「色気のない部屋でしょう」
「僕も読書家なのでこの雰囲気は好きですよ。色気がないことは否定しませんが」
「振った私も悪いけど、灰谷くんって素で失礼よね。嫌いじゃないけどさ」
「恐縮です」

 家主のようにゆったりとソファにかける永士へ口を尖らせると、綴はキッチンで二人分のコーヒーを注ぎ始めた。

 他愛ないやり取りも程々に、二人はそれぞれ一之瀬の調査ノートに目を通し始めた。抜群の集中力を持つ永士と読書家の綴。家電の機械音だけをBGMに、それぞれが情報を頭にインプットしていく。最初に口を開いたのは綴だった。

「こちらには三年前の事件の時系列や犠牲者のパーソナルデータが、より詳細にまとめられてたわ。概ね車で小暮さんから聞かされた通りで真新しい情報は少ないけど、最後に亡くなった氷見ホタルさんについては少し気になる部分がある。

 他の三名には強い罪悪感を抱くに至る動機が確認されているけど、氷見さんについては他より動機が弱い。本当に小さな、誰しも陥る可能性のある過ちよ。価値観は人それぞれだから、氷見さんにとってはとても大きな出来事だったのかもしれない。だけどもし呪いがほんの小さな罪悪感さえも、胸が張り裂けるほどに増幅させる効果を持っているのなら非常に危険ね。事実上それは、村に立ち入った全員が確実に呪いで死ぬと言っているのと同義。氷見さんが最後に亡くなったのは、小さな罪悪感が極大まで成長させるのに時間がかかった、ということなのかもしれない」

 氷見ホタルのケースの詳細をあの場で語らなかったのは、小暮なりの配慮だったのかもしれない。罪悪感の度合いなど人によって異なる。聖人君主のような人間ならあるいは呪いに侵されないのではとも考えていたが、こうなると小暮が言っていた致死率百パーセントの響きがより重くなる。

「小さな罪悪感が時間をかけて育つというのならば、裏を返せば罪悪感の強い者から順に死んでいるとも言えるわけだ」
「そうね。竜崎くんは人一人の命を奪ったという事実を抱えていたし、香苗はナイーブな面があって、本来の自分と犯してしまった不道徳とのギャップに苦しんでいた。美夕さんについては、私にはよく分からないけど」

 美夕は同級生に対し恐喝を行っていたことが判明している。悪行には違いないが、それを嬉々として行っていた当人は果たして強い罪悪感を宿すものか、綴には疑問だった。

「彼女の場合は、罪悪感が一気に爆発したのかもしれませんね。彼女は自分本位で高慢な性格でした。恐らく他人を虐げることに対する罪悪感は少なかったでしょう。罪悪感があるとすれば、自分の立場を崩壊させてしまうことに対する後悔だったのではないでしょうか。高慢でこれまで何でも思い通りにしてきた人間です。それ故に脆い。実際、彼女は僕たちの目の前で恐喝相手からのメッセージを受け取った瞬間、半狂乱になっていました。想像の域は出ませんが、慕っていた竜崎さんが亡くなった直後の不安定な精神状態も、呪いの進行に拍車をかけたのかもしれませんね」

「故人に容赦ないわね。だからこそ説得力があるけど」

 命に直結する話題だ。発言に遠慮は不要だし綴もそれを咎める気はないが、それでも永士の切れ味の鋭さには違和感を覚える。美夕は一緒にバーベキューに出かけ、亡くなる直前にも顔を合わせた間柄だ。にも関わらず永士は、美夕のお世辞にも善人とは呼べない本性を取り繕うことなく淡々と暴いていく。

 本心では嫌っていて、言葉が感情的だったらまだ理解出来るが、淡々とした永士の言葉はまさに他人事。片桐美夕という少女に何の関心も抱いていない。

「お友達だったのよね?」

 幼稚な質問だと自嘲ながらも、綴はそう尋ねずにはいられなかった。

「いいえ。海鈴の友達であって僕と片桐美夕はただの知り合いですよ」

 永士は即答した。質問の意図が理解出来ずに真顔で小首を傾げている。

「ごめんなさい。話を脱線させてしまったわね。灰谷くんの方は何か分かったことはある?」

 これ以上、片桐美夕の話題を掘り下げても不毛だ。綴は早々に話題を切り替え、永士の読んでいたノートへ視線を落とした。

「こちらは越無村についての調査記録のようですね。色々と興味深い記述が見つかりました。歴史は古く、記録が残されてるだけでも、四百年前にはあの辺りには越無という集落が存在していたようです。切り開かれたのは近代でしょうから、それ以前では秘境とでも呼ぶべき外界から隔絶された地域だったでしょうね」

「バーベキューの時に倉田くんが語っていた、廃村に至った経緯については?」

「概ね正しいようですね。江戸後期、住民の大量死が起こり、それが村を一度終わらせた。大量死の記録が残っているだけで、詳細は調査記録にも記されていませんね」

「もしかしたら、当時の越無村でも今回のような悲劇が?」

「あるいは、呪いではなく、呪いの原点なのかもしれない。僕たちがあの村でみた大量の死体、あれには何か意味があるはずだ。死体には刀傷が目立った。呪いというよりも人為的な襲撃の後だ。服装も古風だったし、あれは当時の光景だったのかもしれません。呪いが生まれるメカニズムは分かりませんが、大量殺人なんて、いかにも呪いの根源としてあり得そうでしょう?」

「確かに。意図はどうであれ、村に立ち入った者に共通の光景が見えたというのなら、そこには何らかの意味があると考えるべきだよね。当時の大量死に関する記述がないのが痛いところね」
「まったく手掛かりがないわけではですよ。これを見てください」

 永士が調査ノートの中ほどのページを指差した。先のページは白紙で、ここが事実上の最終ページとなっている。そこには様々な人物の名前や役職が記してあり、その仲の一人に赤丸がつけられていた。

「民俗学者、度会わたらい一冠いっかん?」

「越無村についての詳細を知るべく、見識ある人物に当たりをつけてたのでしょう。そこで得た情報の記載がないことは気になりますが、もしかしたらそこで得た情報で覚悟を決めて越無村に乗り込んだ、という可能性も考えられますね」

「いずれにせよ、この度会という人物に話を聞いてみる必要がありそうね。住所は市内のようだけど、三年前の情報だし、住所や連絡先が変わっていないといいけど」

 所在が不明だった場合は、警察官である小暮の力を頼る他ないだろう。緊急性は小暮も把握している。そのぐらいの融通は利くだろう。

「早速、明日にでも度会一冠をあたってみましょう。それともう一つ、私から提案があるんだけど聞いてもらえるかな?」
「何でしょうか?」

「現職の警察官である小暮さんという心強い味方が現れ、呪いに関する情報も一気に集まった。一度当事者を集めて情報を開示する機会を設けたいの。自分たちの身に起こっている状況を知ることで、向き合い方が変わってくるはずだから」

「異論はありません。僕だったら何も知らずに死ぬのは御免ですし」
「決まりね。倉田くんや小暮さんには私から連絡しておく。灰谷くんは泉太さんたちのセッティングをお願い」
「分かりました。後で連絡を入れておきます」

 すでに三人も命を落としている。当事者に危機意識を持ってもらうことは今後のために重要だ。好意的な反応が得られれば、協力者が増えてより調査も行いやすくなる。

「いつの間にか日も暮れたわね。もしよかったら夕飯でも食べていく?」
「ご馳走になります。どうせ家に帰ったところで一人ですし」
「ご両親は?」

「久しく会っていませんね。元々家族関係は冷え切っていましたが、僕が高校に上がった頃を機に灰谷家はいっそう歪な形となりました。両親はまだ籍を入れたままですが、海外勤務の父は向こうに家庭を持っていますし、母も若い男の家を渡り歩いていて家庭には寄り付きません。おかげ様で僕は一人暮らしを満喫させて頂いてますよ。どうして書類上の夫婦を未だに続けているのか僕には理解出来ませんが、彼らにも彼らなりの理屈があるのでしょう。大学まで出してくれることは父が約束してくれていますので、僕としては何も文句はありません」

 綴は直ぐには二の句を告げなかった。永士の語る複雑な家庭環境もそうだが、それを他愛ない話のように穏やかな口調で語る永士の姿が何より衝撃的だった。置かれた環境を考えれば当然かもしれないが、彼らと評するあたり、永士は完全に両親への興味を失っている。呪いの存在にも動じずに淡々としている永士の精神構造の一端を綴は垣間見た気がした。

「今日に限らず、また一緒にご飯を食べましょう」

 綴は自然とそう口にしていた。綴は他人に同情するタイプではないし、永士がそれを望むタイプとも思えない。ただ純粋に、彼と一緒に食事をするのも悪くないかなと、そう思えたのだ。

「いいですね。呪いの調査で真中さんとは一緒に行動する機会も多くなる。最後の晩餐ばんさんが真中さんの手料理というのも悪くない」
「また心にもないことを言って。最後の晩餐はカップラーメンで満足? 私、料理の腕は人並み以下よ」
「ええ……夕飯でも食べていくなんて魅惑的なことを言っておきながら、もしかして今日も僕にカップラーメンを振る舞う予定だったんですか?」
「失礼ね。今日はレトルトカレーをご馳走する予定だったわよ」
「大して変わりませんて。それにしても意外でした。真中さんは料理含め、何でもそつなくこなせそうなイメージだったので」
「優先順位の問題よ。私は調理にかける時間を読書に費やしたいと決めてるだけ」
「ははっ、やっぱり真中さんは面白いな。一緒にいて退屈しませんよ」
「言っておくけどその言葉、そっくりそのまま君にも返るわよ」
「光栄ですね」

 微笑みを浮かべると、永士は開いていたノートを畳んで立ち上がった。

「キッチンを貸してください。料理は僕が作りますよ。料理をしないと言っても冷蔵庫に何かしら材料はあるでしょう。
「……」

 綴の目が泳ぎ沈黙が流れた。

「まさか、包丁やフライパンすらないとか?」
「失礼ね。流石に最低限の調理器具ぐらいは揃えてるわよ。冷蔵庫の中身はドリンクと冷凍食品だけだけど……」

 永士が口元に嘲笑を浮かべ、綴はむくれ顔で目を細めた。

「嘆かわしい。今から買い出しに行ってきますよ」
「その顔やめなさい! やっぱり灰谷くんのこと嫌い」

 呆れ顔で買い物支度を始めた永士の背中を、綴が慌てて追いかけた。

第九話

第一話


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