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罪花狂咲 第三話

「こないだのあれ、いったい何だったんだろうね」

 梨恋キャンプ場でのバーベキューから数日後。大学内のカフェテリアで一服していた倉田隼人は廃村での奇妙な体験を思い起こしていた。向かいの席では竜崎信良がコーヒーを啜っている。姫野香苗、真中綴の二人はこの日、午後の講義がなかったためすでに大学を後にしている。

「隼人、その話なら幻覚だったてことで決着しただろう」
「直後はパニクってたからそれで納得したけど、冷静になればなるほどあれが幻覚だったなんてとても思えない。僕なんて血だまりに転んで血塗れにまでなったんだよ?」

 死体の山が連なる凄惨な光景。シャツに張り付いた血液の粘性。それらの感覚を体は今でもしっかりと覚えている。あんな体験は早く忘れてしまおうと、学業やバイトに意識を集中させても、体が覚えた不快感は一向に解消される気配を見せない。

 それは決して倉田だけの問題ではなく、村に立ち入ってない綴を除く三人とも似たり寄ったりだ。あれ以降、姫野はあからさまにバイトのシフトを増やしているし、口では「決着した」と語っている竜崎だって、最近は気を紛らわせるためにタバコの本数が増えている。

「だったらなにか? 正真正銘の怪奇現象だったとても言いたいのか?」

 苛立ちを隠しきれない様子で竜崎は眉間に皺を寄せ、無意識の内に貧乏ゆすりの回数も増える。

「現実味がないことは分かっている。だけど、幻覚だと無理やり自分を納得させるよりはよっぽどしっくりくる」
「そんなの別にどっちでもいいじゃねえか。仮に本物の怪奇現象だったとしても、別に実害もなかったんだし、気にするようなことじゃない」
「本当に実害はなかったのかな」
「どういう意味だよ?」
「あれ以来、香苗は時々胸の奥が痛むと言っている。心的なものだと言われてしまえばそれまでだけど、ひょっとしたら信良も似たような――」
「適当ぬかしてんじゃねえぞ!」

 声を荒げた竜崎が突然立ち上がり、倉田の胸ぐらをつかみ上げた。その際に腕が当たり、コーヒーカップが倒れて中身がテーブルに広がっていく。突然の出来事にカフェテリア内は静まり返り、視線が二人に集中する。

「元はと言えばお前が妙な場所見つけてくるからだろうが!」
「信良、苦しいよ」

 胸ぐらをつかまれ苦しそうにしている倉田の姿を見て竜崎はふと我に返る。自分達が注目を浴びていることに気付き、慌てて倉田から手を離した。

「……悪い。ついカッとなっちまった。頭冷やしてくる」
「お、おい。信良」

 いたたまれなくなった竜崎は、胸を抑えながら足早にカフェテリアを後にした。

 ※※※

「くそっ! 何なんだよこの胸の痛みは」

 午後の講義には出ず、竜崎はカフェテリアを出た足で自宅アパートまで帰宅した。

 元々胸に抱いていた不快感が、倉田に感情的に怒りをぶつけた時から明確な胸痛へと変化した。廃村を訪れて以降、姫野も時々感じているという胸の痛み。実はそれを一番強烈にそれを感じているのは竜崎であった。不安を覚え、友人達には黙って病院で検査を受けてみたが異常は見当たらない。二十歳と若いこともあり病気の可能性は限りなく低いと言われた。

 喫煙者とはいえまだ若く、以前は健康そのものだった。不調が起こり始めたタイミングは廃村を訪れた時期と一致する。怪奇現象を疑うなど、どうかしていると自覚しているが、廃村と胸の痛みが無関係とはとても思えない。

「……俺は悪くねえ」

 ベッドに横たわり、必死に自分にそう言い聞かせる。あのことを忘れたくて、気分転換のために意気揚々とバーベキューに向かったはずなのに、これでは本末転倒だ。

 廃村で目撃した着物姿で斬殺された多くの死体に混ざり、近代的な、浮浪者風の中年男性の死体が一つ存在していた。その姿に竜崎は心当たりがあった。

 ※※※

「……今何時だ」

 最近寝不足気味だったせいか、いつの間にか眠っていたらしい。時刻は午後四時を少し回ったところ。三時間ほど眠っていたようだ。胸の痛みは目覚めた時点で消えていた。眠ることで落ち着いたということは、胸の痛みはやはり感情と強くリンクしているようだ。

「くそっ! 買い忘れてた」

 ベッドから起き上がり、たばこの箱に手を伸ばすと、中身が空っぽだった。学校帰りに買おうと思っていたら、考え事をしていて忘れていた。

「気分転換に飯でも食ってくるか」

 タバコを買うついでに、何か美味いものでも食べて気分転換しよう。そう前向きに考えて外出を決めた。帰宅してそのままシャツとデニム姿で眠ってしまったので、着替える手間は省けた。

「誰だ?」

 眠気覚ましに歯磨きをしていると突然インターホンが鳴った。誰かが訪ねてくる予定もなければ、通販で商品を注文した覚えもない。何かの勧誘だったら嫌だなと、返答はせずにぞっとドアスコープを覗き込む。

蜻蛉橋かげろうばし署の者ですが、ご在宅でしたら少々お話しを聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 訪ねて来た人物たちを見た瞬間、あまりの衝撃に竜崎の胸に再び痛みが襲いかかる。竜崎の自宅を訪ねて来たのは二人組の制服警官であった。

 ――あれがバレたのか? 俺を捕まえるために二人で?

 顔から一気に血の気が引き。竜崎は即座に行動を起こした。高鳴る鼓動を必死に抑え込みながら、気配を消してそっとドアの前から離れる。冷静さを欠いた竜崎にすでに警官たちの言葉は耳に届いていなかった。不用心にも寝ている間も開けっ放しだったベランダからサンダルを履いて脱出。家主不在だと判断した警官たちもほぼ同時にアパートを後にしたので、裏から出た竜崎とはち合うことはなかった。

 竜崎のこの行動はただの早とちりであり、警官たちはなにも竜崎個人を訪ねてきたわけではなかった。眠っていた竜崎は気づかなかったが、少し前に近所で轢き逃げ事件が発生。警官たちは聞き込み捜査のため、近くのアパートの住人を訪ねただけに過ぎなかった。

 ※※※

 二か月前。人気のない夜道の階段でそれは起こった。

「どこ見て歩いてやがる!」
「すみません」

 千鳥足で歩く浮浪者染みた外見の中年男性と、飲み会帰りに一人で帰路へついていた竜崎の肩が階段の踊り場でぶつかった。どちらかというと中年男性の方から当たってきた形なのだが、面倒ごとは御免なので、竜崎は一言詫びて早々にその場を離れようとする。

「おい、それが人に謝る態度か?」

 立ち去ろうとする竜崎を中年男性は良しとせず、強引に肩を掴んで引き留めた。

「はっ? そもそも最初にぶつかってきたのはそっちだろうが」

 竜崎は頭に血が上りやすいタイプなうえに今は酒も入っている。一度は穏便に済ませようと思ったが、喧嘩を売られてまで冷静ではいられない。

「まともに謝れないだけじゃなく今度は逆ギレか? これだから最近の若い奴は」
「口の減らねえ親父だな。そういうてめえはろくでなしか!」

 売り言葉に買い言葉。いっそう怒りがこみ上げて来た竜崎は中年男性の胸ぐらを掴み上げた。

「……お、おい」

 中肉中背の中年男性に対し、竜崎は百八十センチ越えの長身で体つきも筋肉質。体格差は明らかであった。これまでは酔いで正常な判断力を欠いていたのだろう。中年男性は詰め寄られて初めて竜崎の屈強さに気が付いたらしい。分が悪い相手と悟るや否や、それまで威勢はどこかへ消えてしまった。

「そ、そう怒んなよ兄ちゃん。もっと平和的に行こうぜ、なっ?」
「本当にどうしようもねえ親父だな。そもそもてめえが売って来た喧嘩だろうが」

 なおも謝罪一つしない中年男性を前に竜崎の怒りは治まらない。恐怖を与えるべく、階段の縁のギリギリまで詰め寄ってやったが。

「は、離しやがれ――うわああああああああ」
「なっ!」

 中年男性が竜崎の手を振り解こうとした瞬間、バランスを九時て階段から足を踏み外した。驚いた竜崎は反射的に手を離してしまい、中年男性はそのまま転倒。勢いよく階段を転がり落ちていった。中年男性の姿は暗闇の底へと消えていき、固い物にぶつかる鈍い音と同時に悲鳴も消えてなくなった。

「……そ、そんな。俺はただ脅かすだけのつもりで、あ、あいつが、あ、暴れるから」

 酔いは一瞬で覚め。竜崎は自分自身に対して釈明を繰り返す。階段を下って状況を確かめる勇気など持てるはずもなかった。せめて救急車だけ呼んで立ち去ろうかとも思い、一度ポケットからスマホを取り出したが、後で足がつくことが恐ろしくなり、そっとしまい直した。

「俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない」

 喧嘩を売って来たのは中年男性の方。勝手に足を踏み外したのも中年男性の方。自分は何も悪くないと、呪詛のように何度も呟きながら、竜崎は逃げるようにその場を立ち去った。

 後日。例の中年男性はやはり階段から転落し死亡したことを竜崎は知る。
酔っぱらいが夜中に誤って階段を踏み外した。この一件は事件ではなく事故として処理されていた。目撃者はおらず周辺には防犯カメラも存在しない。竜崎が手を出さなかったことで、中年男性の体には階段からの転落時に負ったもの以外の傷は存在せず、第三者の関与の可能性は低いと考えられたためだ。胸ぐらを掴んだ際の着衣の乱れも、転落の衝撃と、元より浮浪者染みた外見だったこともあり疑問視はされなかったようだ。

 結果的に竜崎は罪の追及を逃れた。しかし、本当はあれは事故ではなく傷害致死であったことを誰よりも理解しているのは、他ならぬ竜崎自身だ。いかに相手側に問題があったと自分を正当化しようとも、罪の意識はそう簡単には無くならない。内容が内容だけに誰かに相談することも出来ない。

 町を歩く度に警官の姿に怯えるようになった。中年男性の転落死については本当はまだ捜査中で、何時か自分に捜査の手が及ぶのではと怯えずにはいられない。

 また同じ過ちを繰り返してしまうのではと思い、大好きだった酒もあれ以来断っている。気分転換のために参加したバーベキューの席でもそれは同様だった。
 
 友人達と過ごす日常の中で、心は少しずつ平穏を取り戻しつつあったが、あの廃村を訪れ、無数の死体の中にあの浮浪者の姿を目撃したことで、罪を犯した直後か、あるいはそれ以上の強い罪悪を感じずにはいられなかった。

 胸が張り裂けそうという表現が、比喩ではなく現実なのだと、竜崎は否応なしに思い知らされていた。

「……俺は悪くねえ」

 激痛を訴える胸を抑えながら、竜崎は繁華街方面へと向かっていた。右手に握るスマホの画面には、バーベキューで連絡先を交換した美夕とのメッセージアプリでのやり取りが表示されている。バイト終わりの美夕と、繁華街の広場で待ち合わせをした。

 美夕は大学生の竜崎に憧れを抱いているようだが、生憎と竜崎の方にはその気はない。にも関わらず突然会う約束を取り付けたのは、胸を裂く痛みに強い恐怖を覚え、孤独に耐えられなくなったからだ。

 本当は親友の倉田や友人である姫野や綴に会いたかったが、倉木には昼間に苛立ちをぶつけてしまった負い目を感じ、姫野や綴には弱った自分の姿を見せたくないと思ってしまった。孤独感とつまらない意地、葛藤を続ける中で不意に連絡をよこして来たのが、出会って日の浅い美夕であった。

 会いたいと言ってくれた。孤独に耐えられなかった竜崎は気が付いた時には待ち合わせ場所を返信していた。

 ――いっそのこと、全てぶちまけてしまえば楽になれるだろうか。

 待ち合わせ場所までの道すがら、竜崎はメモ帳のアプリを立ち上げた。そこに、二か月前に自分が犯した罪について書き記していく。とても誰かに打ち明ける気にはなれない。だけど、心に抱えていたものを文字に起こしていく行為は僅かに竜崎の心を軽くしてくれた。

「君、少しいいかな?」

 一時の心の安寧は一瞬で崩壊した。正面から近づいて来た人影に声をかけられ竜崎が顔を上げると、そこには警邏けいら中と思われる制服警官の姿があった。

 ――見つかった。警察に見つかっちまった……。

 これまでにない激痛が胸部を襲う。早くこの場を立ち去らないと体よりも先に心がおかしくなってしまう。

「具合が悪そうに見えるけど、大丈夫かい?」
「お、俺に触るな!」

 判断力を欠いた今の竜崎にはその言葉は届かなかった。善意で差し伸べられた手を荒々しく払い、次の瞬間、竜崎は踵を返して逃げ出した。

「お、おい。君」

 只ならぬ様子の竜崎をいぶかしみ警察官は慌てて後を追うも、身体能力の高い竜崎の全力疾走に、徐々に距離が離されていく。

「俺は悪くねえ俺は悪くねえ俺は悪くねえ」

 人の波を掻き分けながら、竜崎は無我夢中で繁華街を駆け抜けていく。美夕との約束も忘れ、警官と距離を取りたい一心で無我夢中で駆け抜ける。

 反対側の歩道へと渡るべく、竜崎は歩道橋を駈け上っていく。そのまま全力で駆け抜け、下り階段へ足をかけた瞬間。

「がはっ!」

 これまでで最も激しい激痛が胸を貫き、堪らず竜崎は転倒。そのまま階段を転がり落ちていった。

「……なんでこんなことに」

 薄れていく意識の中で竜崎は、自分が転落の原因を作ったあの中年男性も、今の自分のように天地無用の景色を体験していたのだろうかと、改めて己の犯した罪を悔いた。
 腰部を、鼻を、頭を、次々と打ち付けていくがすでに痛みは感じない。胸の痛みが激しすぎてそれ以外の痛みがまるで理解出来ない。

「私は罪は犯しました」

 階段を転がり落ちた時には竜崎の瞳からはすでに光が失われていた。

「おい、誰か落ちたぞ!」
「君、大丈夫か」

 転落した竜崎の下へ通行人が慌てて駆け寄った。頭を打っているかもしれない。誰もがその不安を感じていたが、竜崎の状態は階段からの転落にしてはあまりにも奇妙な姿だった。

「胸? どうして……」

 後頭部からの出血は微々たるもの。代わりに胸部からのおびただしい出血が竜崎のティーシャツを真っ赤に染め上げていた。分厚い胸板の真ん中が不自然に裂け、そこから大量に出血している。その姿は文字通り胸が張り裂けていた。


第四話

第一話


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