☔雨のち晴れ☀

ご訪問ありがとうございます。 不妊治療をして、授かった娘は18トリソミー でした。 大…

☔雨のち晴れ☀

ご訪問ありがとうございます。 不妊治療をして、授かった娘は18トリソミー でした。 大切な家族を亡くし、絶望から何とか前を 向いて生きる方法を模索しながら 立ち直っていく日々を日記のように 淡々と書いていきます。 よろしくお願いします。

最近の記事

このブログを書くにあたっての裏話

このブログは 初め、別の所で書いていました。 18トリソミーの娘を産んでから 18トリソミーの情報を得ようと いくつかブログを読んだのですが、 私が読んだブログはどれも 最後には赤ちゃんは亡くなって お葬式で終わっていて、 その度、私は号泣していました。 そして ” このママ達は その後、前を向いて生きられているだろうか、 幸せになれているだろうか・・・" という事が気になっていました。 だから、私がもしブログを書くなら 立ち直った所までを書こう と思っていました

    • ☔雨のち晴れ☀ ~娘が産まれた意味~

      色んな人との出会いと 息子が問題なく、 元気に育ってくれている事で 私は娘の死を完全に 乗り越える事ができた。 息子が産まれた事で 娘の産まれた意味が 分かった気がしている。 私を人として成長させ、 母になる為の教育と 弟の天君をこの世に ベストな状態で送り出すため (私の中では娘が戻ってきたのではなく、  娘と息子は別人格のように感じている) だったのではないだろうか。 子供を産み育てる自信のない 私の意識を変え、 母性を引き出し、 命の尊さや子を思う親の気持ち

      • 2度目の出産

        37週。 いつ赤ちゃんが産まれても 大丈夫な時期に入った。 一度目の出産の時より 赤ちゃんは2.5倍の大きさなので " 痛みも2.5倍・・・!? ” と出産の痛みが怖かった私は 早めに産みたいと思い、 お腹をさすりながら 「37週に入ったから もういつ出てきてもいいよ。 なるべく早めに出てきてね。」 と声をかけた。 37週と1日。 満月の日。 満月の日は出産が多いと言われているので 予定日より20日も早いけど、 「もしかしたら今日産まれるかも?」 と雲く

        • 赤ちゃんを授かる為に私がした事。

          病院に通ってタイミング療法と 毎日、基礎体温を測る以外に 私がした事。 ① 体を冷やさないために   冷たい飲み物を飲まない。 白湯をよく飲む。   ー と言いつつ、夏はアイスを食べていた。 ② 布ナプキンを付ける。   ー 冷えを改善してくれるらしい。 ③ 鍼灸院に5回程通い、  お灸してもらう。   ー 行かなくなってからも    ツボを調べて自分でお灸していた。 ④ なるべくバランスの良い食事をする。   ーサプリにも頼る。    太り過ぎない

        このブログを書くにあたっての裏話

          出生前診断を受ける

          出生前診断の予約の電話を入れると 必ず旦那さんと来るように など色々条件があった。 私は前回18トリソミーの子を産んでるので その事で色々と詳しく聞かれた。 予約した日になり、 雲くんと車で向かった。 予約はしているのだけど 名前を呼ばれるまでかなり待った。 胎児ドックでエコーチェックをして、 赤ちゃんが動いているのを見る。 ポーンポーンと跳ねたりしていて とても可愛い ♪ 首のむくみ、心臓の血流など 細かく診てもらう。 検査の結果、 顎が小さい事、 35才以上

          出生前診断を受ける

          出生前診断について再び話し合う

          4度目の妊娠が分かり、 大きな病院で 診てもらう事になった。 2度、心拍が確認でき、 赤ちゃんも順調。 きっともう大丈夫だろうという頃、 雲くんと出生前診断の話になった。 雲くんは 「今度は絶対に出生前診断を受けてほしい。 あんな経験(子供を亡くす)は もう二度としたくない。」 と言い、 この考えは頑として譲らない といった感じだった。 私は ” あんな辛い事、 二度も続かないだろう・・・。 何も知らずに運命に任せたい " という気持ちは少なからずあるけれど

          出生前診断について再び話し合う

          挫けそうな頃、4度目の妊娠。

          流産から半年経ったので また産婦人科に通い始めた。 排卵はちゃんとしているけれど、 今度はすぐに授かる事が出来ず、 数カ月が経ち、 焦りが出てきた。 何歳まで頑張ればいいんだろう。 何となく私の中では45才位までかなぁ と思っていたけれど、 産んで終わりではないし、 仕事しながら病院通ったり、 授かる為に色々やるのも疲れが出てきて、 もうそこまで頑張れないかもしれない・・・ と思い始めていた。 そんな頃、 また遺族会のお知らせがきた。 また私だけ参加した。 帰

          挫けそうな頃、4度目の妊娠。

          気晴らしにスカイダイビングをする

          しばらく妊活もできないし、 ” 一生に一度でいいからやりたい " と思っていたスカイダイビングを 気晴らしもかねて やることにした。 本当は新婚旅行のハワイで やる予定だったけれど 色々な事情があって止めて 「いつか日本でやらせて。」 と雲くんにお願いしていた。   ”自分より大切な守るもの (子供)が 出来たら怖くてできなくなる。 今しかない!” と思い立ち、 近場でスカイダイビングができる所を探した。 ネットで調べると 兵庫県にある 【スカイダイビン

          気晴らしにスカイダイビングをする

          前を向く為「引き寄せの法則」のセミナーに行ってみる。

          「子供はまた授かる」 と希望は持てたものの、 しばらく妊活もできない。 前向きな気持ちを持続させたい と思っていた時、 スピリチュアルカウンセラーの方が 近くで1日セミナーをする事を知り、 行くことにした。 内容は 「リアルにイメージしたものは現実になる」 という、私がよく読んできた本にも 書かれているものだったけど 分かりやすくて為になった。 そして、 セミナーで話を聞いていく内、 ハッとなった。 私は娘の事を時折 思い出しては泣いていた。 思い出す事が供養

          前を向く為「引き寄せの法則」のセミナーに行ってみる。

          前を向く為、スピリチュアル鑑定に行く

          2度の流産で 私は心が不安定になっていたのか、 雲くんと些細な事でケンカして、 涙が止まらなくなった。 雲くんが心配して傍にきてくれたのだけど、 ケンカの事は引き金に過ぎない。 何故だか、涙が溢れて止まらない。 辛い事が続いて 私の心はボロボロだったのだろう。 心が壊れそう。 このままではダメだ。 何とか気持ちを切り替えなければ。 前向きになれるような何か・・・ 探して行動に移そう。 結婚前に2度ほど行った事がある 占いを思い出した。 結婚してからは行かなくな

          前を向く為、スピリチュアル鑑定に行く

          稽留流産で子宮内容除去術を受ける

          休み明けに病院に行き、 診察してもらう。 やはり赤ちゃんはお腹の中で 亡くなっていた。 子宮内容除去術を受ける事になり、 手術の日を決める。 その病院では 家族の付き添いが必要だと言われた。 雲くんは仕事があるし、 休んでもらってまでは・・・ という気持ちがあり、 お義母さんにお願いすることになった。 両家の両親には 変に悲しませるだけだし、 1度目の流産の事も言わなかった。 今回も言わないつもりだったけど、 付き添いが必要なのだから 致し方ない。 雲くんだけ実

          稽留流産で子宮内容除去術を受ける

          3度目の妊娠。 妊娠継続か大腸内視鏡検査か。

          流産から半年程が経ち、 また産婦人科に通い始めた。 そして数カ月後、 またタイミング療法で 妊娠検査薬に陽性反応が出た。 産婦人科で診てもらうと やはり妊娠していて、 形も正常なようだった。 ” 出産から1年経っているし 今度こそ大丈夫・・・! ” そう思った。 心拍も確認でき、 次回から出産した病院で 診てもらう事になった。 でも、ひとつ問題があった。 同じ位の時期に 健康診断も受けていたのだけど、 その検査結果に 大腸が引っ掛かった。 説明を聞きに病院に行

          3度目の妊娠。 妊娠継続か大腸内視鏡検査か。

          子供を亡くした人が集まる遺族会に参加する

          病院から子供を亡くした人達が 集まる会があるので参加しませんか? というお知らせが届いた。 NICUの看護士さん達とも また話せるだろうし、 行くことにした。 雲くんは 「悲しくなるから」 という理由で行かなかった。 その遺族会には 電話をくれた看護師さんも 参加していて 「あの電話で救われました」 と御礼を言う事ができた。 NICUと小児科のグループ 2つに分かれて輪になって、 順番に話し始める。 私の順番になり、 娘の事を話し出すと号泣してしまい、 嗚咽

          子供を亡くした人が集まる遺族会に参加する

          前を向く為、マヤ暦の初級講座を受ける

          年上の知り合いCさんから 「マヤ暦の初級コースを受けてみない?」 とお誘いを受けた。 話を聞いてみると面白そうだし、 マヤ暦の先生の資格を持つCさんも お子さんに障害があり、 マヤ暦を習った事で救われたようだった。 私を元気付けようとしての事だし、 私も前を向く為に できる事はやろうという気持ちだったので 受ける事にした。 マヤ暦は 生年月日からKINナンバーを出して 太陽の紋章とウェブスペルを出していく。 私はKINナンバー120。  太陽の紋章は 「黄色い太陽

          前を向く為、マヤ暦の初級講座を受ける

          娘を亡くした後、友達からの一番嬉しかった言葉

          娘を亡くしてから友達と会う気力が 無かったのだけど、 娘の死後5カ月頃、 小学校からの友達から誘いを受け、 会う事になった。 娘の話を聞いてくれて ホロッと泣いてくれたのだけど 今後の事など話していると 「思ってるだけで何もしなかったら 何も変われへんで!」 と言った。 𠮟咤激励してくれたのだけど まだ全く傷が癒えていない私には きつかった。 ただ今は 話を聞いて共感してくれるだけで良かった。 友達が悪い訳ではない。 私が今、どん底だから。 まだ友達と会うのは

          娘を亡くした後、友達からの一番嬉しかった言葉

          仕事と不妊治療を再開、二度目の妊娠

          出産後、半年程が経ち、 仕事を始める事にした。 まだ、働ける状態ではない、 という気持ちもあったけれど また不妊治療を始めるなら お金も必要だし、 仕事して忙しくしてる方が 娘の事を考えて 泣く事も無くなるかもしれない とも思った。 仕事も決まり、 働き始めた。 仕事中も娘の事を思い出して 涙ぐむ事もあったけれど 接客業ではないので それ程、問題はなかった。 不妊治療の専門ではないけれど 近くの産婦人科にも通い始めた。 体の状態を見てもらうと 「排卵もちゃんとし

          仕事と不妊治療を再開、二度目の妊娠