葉っぱについた水滴が好きだ。葉っぱの上で丸まって、キラキラとした水滴は宝石のようだ。子どもの頃は、どうにかあの形のまま家に持って帰れないかと思案していた。葉っぱからわたしの手に乗せた途端、水滴は崩れてしまい、さっきまでの宝石のような丸みも輝きも無くなってしまう。べちゃっとわたしの手に広がる、ただのお水になってしまう。葉っぱの上だからこそ、キラキラ、コロコロとなるのだ。 小さい頃は、雨の日が好きだった。お気に入りの傘と長靴があった。白地に赤いラインが2本入ったシンプルな傘
私は、人を笑わせるのが好きなんだと気がついた。もっと早く気がついていれば、お笑い芸人とか落語家を目指していたのかもしれない。いや、ないか。 うちの子たちはよく笑う。くだらないことで、大笑いをしていることがよくある。子どもたちが笑っているのを見ると私まで嬉しくなる。子どもたちも、私が笑っていると、なぜかつられて笑っている。笑いの連鎖はすてきだ。 病院で仕事をしていく中で、気がつくと、患者さんに笑ってほしいなと思って仕事をしていた。あの手この手を使って、笑わせてみたくな
仕事で失敗をしてしまった。 とても落ち込んでいたのだけれど、帰り際デスクの上に、メッセージ入りのキットカットが置いてあった。 多分、同僚が置いてくれたんだと思う。いつも私の変化にすぐ気がついてくれる。気持ちを切り替えて、またがんばろうと思えた。
私は料理が好きではない、たぶん。 食べるのは好きだ、とても。 食い意地は張っている方だと思う。 毎日毎日の生活で、食事は省くことができない。結婚前は外食が多くて、 「何食べようかな〜。」 と考えるのも楽しかった。 駅前のパスタ屋さん、職場の近くのお好み焼き屋さん、港の近くのうどん屋さん、近所のラーメン屋さん…書いているだけで食べたくなる。結婚して引っ越したので、もう今は簡単には食べられないが、どの店もおいしかったな。 結婚してからは、私が毎日の家族の食事を担って
娘と息子は性格が全然ちがう。娘はポップコーンのようで、息子はスルメようだ。 娘は、活発でエネルギーに溢れている。いつも落ち着きなく動いているか、しゃべっているか、歌っている。しかも、しゃべるときも早口で、声も大きい。小さい頃も油断すると、どこに行くのかわからず、目が離せなかった。学校に入ってからは、自分から積極的に動く子で、リーダー的な役割を率先してするタイプだった。感情の起伏も激しく、怒ったり笑ったり忙しい。ほんとに、ポンポン弾けるポップコーンのようだ。 一方息子
息子にとって中学生最後の中体連だった。最後の大会であったけれど、息子はユニフォームをもらえなかった。1・2年生に混じって、コートの外で応援をしていた。言葉には出さなかったけれど、きっと悔しい思いでいっぱいだったと思う。子どものそんな姿を見るのは、親としては辛いものもあるけれど、中学最後の試合を夫と2人で応援に行った。 息子は、小学時代特にスポーツをすることもなく、むしろ運動が苦手な子どもだった。ぽっちゃりとして、走るのも遅く、体力もなかった。中学に入っても、運動部に入る
雨が降りだした 嫌な気持ちで うちをでる 鉛筆で塗りつぶしたような 重たい景色が広がる 神様がいるなら 綺麗な景色に変えてほしい 苦しまぎれの嘘も 計算された嘘も この世からなくなればいい 寂しさなんて 知らなかった 隅っこでうずくまる 背中合わせで そっと寄り添う 楽しさがこんなにも 近くにあったなんて知らなかった つまらないことばかり テーブルに並べて眺めていた 隣り合わせだったなんて 涙がこぼれても にっこりと微笑んで ぬれた頬を拭って 猫のように 伸びをする
私の祖父は大正の初めに生まれた。今はもういない。生きていたら、とうに100歳を超えている。なかなか気難しい大正の男だった。小さい頃は、ちょっと祖父が怖かった。厳しい人で、言うことを聞かないと、叱られていた。うるさいのもあまり好きじゃなかったようで、おしゃべりな姉に向かって、 「うるさいから、黙ってしゃべれ!」 と怒っていたことを今でも覚えている。怒られた姉の横で私は縮み上がっていた。今思うと、しゃべることは否定しないなんて、優しいじゃないかと思う。当時は怖かったけれど
小学生前に、私が住んでいた家はとても古かった。トイレは汲み取り式だし、家の中には土間があった。台所(キッチンと言えるようなものではなく…)も土間にあり、居間に行くには、スリッパを履いて、土間を渡らなければいけなかった。とにかく、古い家だった。当時は、ネズミが出ていて、土間にはパチンと挟む金属の鼠取りを置いてあった。夜になると、天井裏をネズミが走る音がしたり、昼間には、裏口からヘビが入ってくることもあった。ホースと間違えて、私は青大将をつかんでしまったことがある。住んでいたの
小学生の頃、私はやせっぽちで食も細く、偏食だった。それにもかかわらず、風邪もほとんどひかないし、熱も出さない元気な子どもだった。それでも、時々熱を出して学校を休む時があった。そんな日の特別な思い出。 思い出は断片的だ。それぞれが繋がっていたのか、それともまた違う時なのか。 学校を休む日の朝は、心許ない。家の前の道路をワイワイ言いながら、小学生たちが登校していく。その波に乗れず、布団の中で寝ている自分に、少しの優越感と寂しさが混じる。そのうち、近所のおばちゃんたちの声
このところ、ずっと不調で気分がすっきりしなかった。休みになると、ついベッドで読書して昼寝して…ということばかり。今日は平日の仕事休み。思い切って、1人で出かけた。きれいな景色を見て、あー、これが必要だったんだと思った。 夜は、大好きなそら豆を塩茹でして食べた。ビールが欲しい。
息子がまだ小さかった頃のこと。保育園から帰った息子は、 「オタガガムシの絵本をよんでもらった。」 と、保育園で読んでもらった絵本の話をはじめた。 オタガガムシ…聞いたことのない虫の名前だ。なんだろうと思いながら、息子との会話を進めていくと、正体がわかった。 「オタマジャクシ」だった。 オタマジャクシ→オタガガムシとなってしまったようだ。わからなくもない。かわいらしい間違いだ。オタマジャクシよりも少しいかつい感じを受ける。私の想像では、オタガガムシは黒っぽいゴツゴ
あなたが旅立ってしまって、もう15年です。あなたの新しい歌が聴けなくなって、もうそんなにも経つのかと、改めて寂しさと驚きの気持ちです。 わたしがあなたの声を聞いた、一番古くて鮮明な記憶は、中学生のころだったと思います。テレビで流れていたパパの歌です。リビングのテレビから流れる、のほほんとした曲調と歌詞に心奪われました。のんびりとした出だしから、ハイテンポになり、働くパパを讃える歌詞に胸が熱くなりました。 大人になり、わたしはあなたのライブに行きました。あなたのライブに行
子どもの頃、泥だんごを作るのが大好きだった。握るとぎゅっと硬くなる、泥だんごに向いている土がある。雨が上がり湿った土は作りやすかった。おにぎりみたいに、いや、おにぎりよりももっと力を入れて、ギュッギュッと握る。綺麗な丸い形になるように、少し手の中で転がしながら握っていく。形ができたら、さらに手の中でコロコロと転がして、まんまるにする。 次は、まんまるになった泥だんごに、サラサラとした粒子の細かい土をかけていく。少し湿った泥だんごに、乾いたサラサラの土がくっついていく。これ
文章を書きたい気持ちはあって、でもなんだか頭の中がまとまらない。そんな感じだ。 このところ、自分の気持ちがトゲトゲしているのがわかる。疲れているんだろう。私のトゲトゲがなんとなく子どもたちにも伝染している気がする。ごめんね。子どもたちも新学期、環境の変化で疲れているはず。今ここで止めておかないと、と思うのだが、なかなかこれが難しい…。 それでも、書き始めると少し気分が落ち着いてくる。不思議なものだなあ。私のトゲトゲを抜いてしまって、柔らかいなめらかな白玉みたいになり
先日、友人がこの世から旅立ってしまった。気持ちの整理ができず、感情がふわふわとしている。何かしているときはいいのだけれど、ふと空白になったとき、ブワッと感情の波が押し寄せてくる。 彼女との付き合いは、それほど長くはないけれど、大切に思っていた友人だ。子どもが小学生の頃、地区の子ども会の活動を通して知り合った。子どもの学年は違ったけれど、いつもにこにこ話しかけてくれる彼女に、わたしはほんわかとした気持ちになっていた。子どもたちが小学校を卒業し、子ども会との関わりはなくなっ