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熱と桃缶

 小学生の頃、私はやせっぽちで食も細く、偏食だった。それにもかかわらず、風邪もほとんどひかないし、熱も出さない元気な子どもだった。それでも、時々熱を出して学校を休む時があった。そんな日の特別な思い出。

 思い出は断片的だ。それぞれが繋がっていたのか、それともまた違う時なのか。


 学校を休む日の朝は、心許ない。家の前の道路をワイワイ言いながら、小学生たちが登校していく。その波に乗れず、布団の中で寝ている自分に、少しの優越感と寂しさが混じる。そのうち、近所のおばちゃんたちの声が聞こえたり、一階の自動ドアが開く音がしたり(うちは自営業で、一階が店舗だったから)、母の回す洗濯機の音が聞こえたりする。たくさんの音に包まれながら、再び眠りに落ちる。
 おでこに冷たさを感じて、目が覚める。洗濯物を干し終わった母の手がおでこに触れている。ほんのりとせっけんの香りがする。

「まだ熱があるね。食べたいものある?」

 私に一声かけて、母はまた忙しそうに母の日常に戻っていく。私はぼんやりとした頭のまま時計を見る。まだ10時前、2時間目をしている頃だろうか。天井を見ながら考える。

 しばらくすると、また母がやってくる。手には本を一冊持って。

「気分が良かったら、読みなさいや。」

 本屋さんに行って、買ってきてくれたのだろう。「それいけズッコケ三人組」を渡してくれる。(シリーズものの一番最初で、この後私はズッコケシリーズにはまっていった。)布団の中で、ページを捲る。読んでいたら、いつのまにか正午の鐘が鳴る。

 父と母と祖父と祖母と私、5人でのお昼ご飯。あまり食欲もなく、少しだけ食べる。私の体調を気にかける父、心配してくれる祖母、寡黙な祖父、いつも通りの母。私は、軽いご飯を済ませ、またニ階の部屋で横になる。しばらくすると、外から低学年の子どもたちの声が聞こえてくる。学校が終わったのだろう。下校のおしゃべりや笑い声を聞きながら、天井を眺める。


「桃缶たべる?」

 母が、お皿に缶詰の桃を入れて持ってきてくれる。ドーム状のまるんとした桃。普段、ほとんど桃缶を食べることはない。時々、バナナや缶詰の果物と一緒にヨーグルトサラダ(と、母は呼んでいた)に入っていたが、一口サイズにカットされている。こんなに丸ごと食べられるのなんて、熱がある時くらいだ。うれしい気持ちで、桃を口に運ぶ。よく冷えた桃は、やわらかく、甘くて、口の中がひんやりとして気持ちがいい。


 夕方になると、姉たちが帰ってくる。私が寝ている部屋の襖を開けて、「どう?」なんて聞いてくる。そろそろ、私の休みも終わりだ。多分熱も下がってきて、明日にはもう治っているだろう。

 大人になった今、寝込むこともほとんどなくなった。熱を出したのは何年前だったのか、思い出せないくらいだ。元気なのはいいことだ。でもたまには、子どもの頃のように寝込んで、誰かにやさしくされたい気もする。冷たい手でおでこに触れて、冷たい桃缶をベッドまで運んで欲しいのだ。

 冷たくて暖かい、熱を出した日の思い出。



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