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大好きだよ

 先日、友人がこの世から旅立ってしまった。気持ちの整理ができず、感情がふわふわとしている。何かしているときはいいのだけれど、ふと空白になったとき、ブワッと感情の波が押し寄せてくる。

 彼女との付き合いは、それほど長くはないけれど、大切に思っていた友人だ。子どもが小学生の頃、地区の子ども会の活動を通して知り合った。子どもの学年は違ったけれど、いつもにこにこ話しかけてくれる彼女に、わたしはほんわかとした気持ちになっていた。子どもたちが小学校を卒業し、子ども会との関わりはなくなったけれど、彼女とのやりとりは続いていた。わたしにしては珍しいことだ。彼女は、朗らかで、ほんとうにやさしい人だった。いつも人のために動いているような人だった。バイタリティーに溢れ、周りを明るくするひまわりのような人だった。

 確か、1年半くらい前のことだったと思う。久しぶりに近くのスーパーで、偶然彼女と会った。

「ひさしぶり、元気だった?」

話しかけるわたしに、笑顔で

「元気よ、cotyledonちゃんも変わりない?」

と、答えた彼女だったけれど、少し間があり、実は…と、話し始めた。
 子宮頚がんが見つかって、今治療中であることを教えてくれた。抗がん剤の治療で、体調がきつく、今日は久しぶりに外に出たとのこと。スーパーの中で、わたしたちはハグをした。わたしは、がんばっての気持ちを込めて。

 その後も、彼女は治療をがんばっていた。ほんとうにがんばり屋さんだから。抗がん剤治療は、とてもきつい。彼女の家の前を通るときは、どうしているかな、といつも思っていた。体調もあるだろうからと思い、あまり連絡はしていなかった。病気によく効くと言われる神社に行って、お守りを買ってきたこともあったが、直接渡すことはなく、LINEのメッセージを入れ、彼女の家のポストに入れさせてもらった。彼女のSNSも、更新されなくなり、多分ほんとうにしんどかったのだと思う。


 彼女からLINEが来たのが今年に入ってからだった。訪問看護をうけるけれど、わたしの勤めている病院と、もう1カ所で迷っているとのこと。わたしの勤めている病院を使っても、cotyledonちゃん迷惑じゃない?と。もちろん、なんの迷惑もないよ、と返した。彼女の迷っている病院も、わたしの勤めている病院も緩和ケア病棟のある病院だ。わたしは嫌な予感がしたが、彼女が具体的に言わないのであれば、聞かないようにしようと思った。
 そのLINEからしばらくして、彼女はSNSで、闘病中であったこと、年が明けて余命宣告を受けたこと、今は緩和ケアしか選択肢がないことを告げた。ショックだったけれど、少しでも苦痛なく、彼女らしく過ごせるといいなと思っていた。彼女は在宅でのケアを選んだ。

 その後、彼女は何度かわたしの勤め先の病院に入院をしたことがあったが、いつもすぐに退院していた。「帰りたい」「家がいい」と言っていたそうだ。入院中会いに行こうと思えば行けたけれど、行かなかった。彼女の顔は見たかったし、会いたかったけれど、病状が悪くて入院している時に、家族以外の人に会うのは辛いだろうと思った。気をつかう彼女のことだから、無理をしてしまうと思った。
 結局、そのまま会えないままで彼女は旅立ってしまった。彼女は最後のギリギリまで家で過ごしていたそうだ。前日まで、子どもたちの教科書に名前を書いたりしていたという。最後までずっと、いいお母さんであり続けた。彼女らしい。よくがんばったなと思う。薄いピンクの棺で眠る彼女は、ピンクのお花に囲まれてお姫様のようだった。フリフリしたかわいいものが好きだった彼女にぴったりで、彼女の妹さんと「よく似合ってるね、かわいいね。」と話した。彼女がわたしを呼ぶ「cotyledonちゃん」という声が、今もはっきりと思い出せる。この声を忘れたくない。

 ほんとうは、会いたかったよ、会ってもう一度ハグしたかった。大好きだよ。ありがとう、またね。

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