僕はなぜ研究するのか
研究、研究、研究…
何か英語教育に関する研究を進めたくて、頭の中ではいろいろなことがグルグル。
でも、こんなこと調べたって意味ないよな…って思ったり、計画がうまく立てられなくてモヤモヤ。
頭の中には、「〜理論かな」とか、そういうことでいっぱい。
理論を生かして授業に組み込んで、うまくいったり、いかなかったり…。
研究が見つけ出した理論が、全ての子どもたち、クラスに当てはまることはない。
環境、性格、相性、年齢などの全ての条件が揃うなんて確率は少ないしね。
それでも、僕が研究をしたい理由とは何なのか。
なにかしらの一歩へ
研究するということは、まず不思議に思うものについて実験などを通して、解き明かすということが言えるよね。
でも、一番底にあるのは、その分野の発展だよね。
どちらが先に生まれたかっていうのは、鶏が先か卵が先かと同じような議論になってしまうと思うんだけど。
現在においては、さまざまな派生があるよね。
何が言いたいかって、研究することで少なからず進歩はあると思うということね。
医療だってそうでしょ?
たくさんの研究の末、寿命が伸びたり、治らないと言われていた病気が治ったりしている。
悲しいことがあったかもしれない。それでも、全ての研究に携わってきた先人のおかげで、救われた命があるんでしょ。
教育に当てはめる
教育も研究によって進歩があるでしょ?
英語教育だったら、効果的な英語教授法が議論されてきたり、言語習得の過程が明らかになってきているからこそ、そこに倣うような学習手順を考えることができたりしているわけじゃない。
動機付けだってそう。研究が進んだからこそ、「褒める子育て」みたいなのが流行っているんでしょ?(褒める子育ては、どうにも誤解されている感はあるんだけどね。)
だからこそ、目の前の子どもたちに全力で向き合うためにも理論を知るということは必要だと思うんだよね。
僕が研究したい理由
僕は、目の前の子どもたちに全力で向き合うためにも理論を勉強します。
そして、研究を考えます。
でも、それは決して子どもたちのことを実験対象のように見て接するということではないんだよ。
子どもたちにとってより良い何かを探したいから研究したいんだよね。
そして、それが理論化できて一般化できたとしたら、それはもしかすると出会ったこともないどこかの先生が教える子どもたちに還元されると思うんだよね。
僕のオリジンは「英語嫌いを減らしたい」。
だから、僕は英語教育、特に動機付けに着目して研究する。
そうして、「英語楽しい」を超えた「言葉楽しい」の世界へ、子どもも大人も連れていきたい。
お互いを高め合う感覚
だからさ、お互いを高め合っていきたいよね。
論文で出されているものは、「絶対使えー!」というものじゃないはず。
「うちんとこでやったら、こんなんなったよ!」って紹介し合うんでしょ。
必要ないと思うなら、読まなければいいだけ。
先行研究だって、取捨選択するでしょ?
あ、これは、不都合なものは読まないとかそういうことではなく、ね?
馴れ合いをしてくださいとも言わないけど、本当にお互いを高め合えたらいいなって思う。
Please enjoy my other post when you have the time🥰
あれこれ、考えてしまうから。
一つのことをしっかり完結させたいな。
そんじゃ!Have a good one😘
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