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【エッセイ】あの日、私と京都は。その1/晴れた日の午後、『活きた時間』を語る教授。

最近、1日があっという間だ。

朝ご飯と弁当つくって、息子を送り出して娘送って、仕事して仕事してそれから仕事して、娘迎えに行って息子の宿題見て、夕飯つくってお風呂入って寝かしつけ。起きれたら早朝か夜中に仕事を少々。

気づけば「えっ、もう夕飯?」だし、何なら毎週「あれ?もうサザエさん?」を繰り返している。
そのうち「ん、もう年末?」になるのは目に見えている。

別に、この速度感自体は嫌じゃないのだ。むしろ嬉しい。充実してると思うし、ありがたいと思う。

けれどたまに、ふと

「なんで私はここにいるんだっけ」

と思う時がある。

南国の宮崎で、子育てしながら非常勤講師して、フリーランスもしてるという今。
過去の私は、そんな未来を一体いつ想像できただろう。

記憶を遡ると決まって、京都に住んでいたときの自分に行き着く。

私の京都時代。
それは、初めて親元を離れた大学生活から始まる。
そして就職、結婚、出産、育児。
私にとって20代のターニングポイントが全部詰まった“めくるめく時代”だ。

そこには同時に、さまざまな角度の初心がある。
右も左もわからない、だからやるしかない、進むしかない。
京都という文化的で個性的ながら、掛け値なしにおもろい環境で、続々と現れる人生の分岐点。私はまっさらな心でぶつかってきた。

ともすると、忘れがちなあの時代。

私にとっては大切な、でも私以外の人にはきっとどうでもいい(笑)記憶だろうけれど。

人生の備忘録として、残していきたいと思う。

***

【その1】あの日、京都で、教授は言った。「活きた時間を過ごせ」と。

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学生時代、私はいわゆる超難関大と言われる大学に進学し、京都のキャンパスライフを満喫していた。

ただ思い出といえばサークルとバイトが大半で、授業の記憶なんてほとんど残っちゃいない。
マクロ的には日本屈指の大学でも、ミクロで見たら、一学生のキャンパスライフなんて他の大学とそう変わらないものだ。

けれど間違いなく、この大学でしか得られなかった授業がほとんどだった。思い出せと言われたらごく一部だが、残っているのはどれも強烈な印象を残した授業ばかりである。

私が毎週楽しみにしていた講義が、地学の授業だった。

「こんないい天気の日に来たんだ。みんな物好きだねぇ」

その教授は天気がいいと決まってそう言った。サッパリと切り揃えられた髪、細身の体、いつもジーンズか皮パンを履いている。あまりに細身過ぎて「レディースがぴったりのときもあるんだよね。今日履いてるのもレディースのジーンズ」と言ってるときもあった。

なお、後にこの教授は「大学の名物教授」と呼ばれ、テレビ露出も講演会も出版本もがんがん増えるのだが、当時はそこまで有名ではなかった。
その証拠に、大講義室が埋まったのは初回の登録日だけで、あとは十数名足らずで自由に座っている状態だった。回が進めば常駐メンバーもほぼ固定し、大体座る位置も決まってきて、名は知らずとも互いに顔見知り状態だった。
そう、私がいた頃は出席点もうるさくなく、影で二重登録をしたり、レポート一発で取れたりする講義もゴロゴロあった時代である。楽勝と言われる講義にわざわざ出るのは、よほどの物好きか、暇人か、その分野が好きな変態か、というぐらいだった(注:変態=褒め言葉)。

ちなみに私は文学部で、地学なんて専門外も甚だしい。それでも私は、欠かさず出席した。

それは物好きで、暇人だからなのと、この教授がもたらす「未知のエネルギー」に惹かれていたからかもしれない。

「こんな日はさ、鴨川にでも行って昼寝した方がいいんじゃないって思うけどね。いいよね、デルタとかさ、あの辺で。こんな授業聞くよりよっぽど有意義かもしれないよ」

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せっかく来たのに授業より鴨川に行けというのは、投げやりかひどい謙遜に思えるかもしれないが、この教授に関しては「本当にそうかもしれない可能性」を言っているだけだった。

誰にとって、何がどれだけ有意義か。
それは人によって異なる。鴨川でも、部室でも、河原町や四条へ出かけるのでも、私たちは自由に選べる。

それでもこの講義を受けにくる私たちは、間違いなくこの時間を「他の何よりも優先したい時間」として位置づけていることに間違いはなかった。

「君たちにはね。『活きた時間』を過ごしてほしいんだ」

これは、この教授がよく使う言葉だった。

「この講義を聴いてもいい、寝てもいい、鴨川に出かけてもいい。それがすべて、君たちの人生にとって『活きた時間』であると位置づけてほしいんだ」

この教授にかかれば、講義で眠るのもすべて「自分にとって必要な時間だったんだ」と正当化されるのである。そんな懐の広さはさすがだと思う。

この教授の講義は、いつも学生からの質問メモや感想などから方向性が決まるので、何がどう転がるかわからないワクワク感もあった。
自分の感想が読まれると嬉しいし、質問がもとで授業の方向性が決まるのもエキサイティングだ。そんな講義のライブ感が好きで、「私が出席しなかった回は、どんなライブが繰り広げられていたんだろう」と思うのが勿体ない気がしたので、私は毎週出席していたのである。

「せっかく来てくれたからね。起きて聞いくれてる人にとってはね、有意義な時間にするよ。それじゃあ、今日の一発目は・・・」

午後の陽だまりでぽかぽかしながら、改修前の古い講義室で、オシャレ教授のライブを聴く。
そしてひらめいたことがあれば、今日も手元の紙に感想を書く。

それはこの上なく贅沢で、きらきらした午後だった。

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ところで、今の私は、「活きた時間」を過ごせているだろうか。

・・・などという疑問は、あの講義を無欠で受けた身としてはナンセンスである。

なぜなら、人生すべてが「活きた時間」であるからだ。
寝てもいい。失敗してもいい。本を読んでも子供と遊んでも、何をしてもいい。

自分自身が、そのすべてを「活きた時間だ」と思えば、その時間は活きるのだ。
あらゆることが人生にとって必要で、大切で、その先の自分につながる糧となる。

学生時代、あの教授に(しかも有名になる前に)出会えたことは、本当にラッキーだった。
社会人になってから、教授に一度だけお会いしたことがあり「先生の講義を受けた者です」と言うと、「え!ほんとに!ペンネームとか何だった、多分わかると思う」と言われたが(感想にはペンネームをつけてよかったのである)その場は大したことも言えなかった。

本当は、言いたかった。

あのときもらった『活きた時間』、今もずっと、活き続けてるんですよ。


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