2024年2月の記事一覧
社会的な事象や事件を詩に書くということについて
詩の教室をやっていて気付くのは、社会的な事象や事件を詩に書く人が少なからずいることです。ウクライナのことや、ガザ地区のこと、あるいは気象変動のことや地震のこと、さらには原爆のこと、あるいは政治のことを詩にしてくる人もいます。
確かに、生きていて、心をじかに揺さぶられることに出会い、それを自分の言葉で表現をしたい、という欲求はわかります。ですから、社会的な事象や事件を詩にする人は、自分の思いを存分
スランプの時は「ちょっといい詩」を書くつもりで書く
ぼくだけの感じ方かも知れないけど、今となってはすごいと感じている詩も、初めてその詩を読んだ時には、「この詩、ちょっといいな」と感じただけだった。それが時間が経つとともに、その「ちょっといい」と感じた詩が「すごくいい詩だ」と感じるようになっている。
それはなぜかとずっと考えていて、「この詩はちょっといいな」と感じた時の「ちょっと」にはほとんど意味がないのではないかと思った。つまり、初めて読んだので
わからない詩を責めようとは思わない
ぼくは、自分がわからない詩は、すべて意味がないとは考えていない。
だから、自分がわからない詩を責めようとも、いじめようとも、思わない。
あるいは、自分がわからない詩を好きで読んでいる人に、「その詩は意味がない」なんて、とても言う気はない。
だって、その人とぼくの鑑賞力の差を、だれが知ることができるだろう。自分にはわからないのだから、ほかの人が好きでいるものは、そっとしておく。それでいい。
詩と生きて行くってどういうことだろう
ぼくは、これまで何度も言ってきたように、子どもの頃から詩を書いています。若い頃に一生懸命に書いていて、でも限界を感じて書く事をやめました。悔しかったかと言われれば、そうだったのかもしれません。でも、元来が鈍感にできているから、仕方がないや、と思っていました。自分よりも優れた詩を書く人はたくさんいるし、それはもうどうしようもないことなのだし、自分に出来ることはやったのだから、もういいかなと思ったので
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