詩と生きて行くってどういうことだろう

ぼくは、これまで何度も言ってきたように、子どもの頃から詩を書いています。若い頃に一生懸命に書いていて、でも限界を感じて書く事をやめました。悔しかったかと言われれば、そうだったのかもしれません。でも、元来が鈍感にできているから、仕方がないや、と思っていました。自分よりも優れた詩を書く人はたくさんいるし、それはもうどうしようもないことなのだし、自分に出来ることはやったのだから、もういいかなと思ったのです。別のことをして生きてゆこうと思いました。大切な家族のために生きようと思いました。

それで、歳をとってから、また詩を書き始めたのは、正直、何故なのかはわかりません。会社を定年になって、気がついたら夢中になって書いていたのです。その頃には、夢にも思わなかったことなのだけれども、幸運にも思潮社から『現代詩文庫』を出してもらって、以前よりも詩を読んでもらえる機会が増えたようにも思います。時々、知らない人から詩についてのメールをもらったりするようになりました。

ありがたいことだし、すごく感謝をしているけれども、詩を書いて生きて行くって、そこだけにあるのではないんだと思うのです。

自分の詩がどれほど世間から認められたかっていうこととは、別のところにあるような気がします。自分が書いた詩について、人がどう思うかは大事でないとは思わないけれども、もっと別のところに、書くということの意味があるように思えるのです。

もちろん中原中也や谷川俊太郎みたいに、人の胸をゆさぶる詩がいくつも書ける人はすごいなと思います。でも、ほとんどの人はそれほどの詩は残せません。ぼくもそうです。ただ、詩はとても好きだし、生きている限り書いてゆきたいと思う。そしてそこにこそ、詩で生きて行くということのすべてがあるように思うのです。

余計なことを考えずに、詩とただ真面目に付き合ってゆきたいと思うのです。

人がどう評価するか、よりも、自分がどれほど詩を大切に思って生きて行くか、ということの方が、何百倍も大事だと、ぼくは思うのです。

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