詩の同人誌とは何か

ぼくはこれまでに同人誌には2度参加している。若い頃に「グッドバイ」を、歳をとってから「生き事」を創刊した。

詩の同人誌と言っても、大きく2つに分かれる。ひとつは、自分が創刊に関わっている場合で、もうひとつは、すでにある同人誌に参加する場合だ。

後者の場合は、多人数であったり、著名な詩人が主宰していたり、ほとんど商業誌のようなものもある。ただ、ぼくはこういった同人誌に参加したことがないので、いったいどんなものかを、詳しくは知らない。

ぼくが経験したのは、さきほども書いたように自分が創刊号に入っていた同人誌、つまりどのような雑誌にするかという判断に加わったものばかりだ。

そして、これらの同人誌の存在は、ぼくの詩にとって大きな意味を持っていた。

特に「グッドバイ」の創刊時は、ぼくはまだ自分以外の詩を書いている人を知らなかった頃だったから、見るもの聞くものすべてが新鮮に感じられた。

上手宰、島田誠一、三橋聡、目黒朝子とぼくの5人で創刊した。

月に一度、午前中に喫茶店に集まり、夜まで熱く語り合った。幾度も語り合った。

ところで、詩を読む、という時に、同人の詩を読むということは、通常の詩を読む行為よりもずっと深みまで行けるということだ。

新しい号に持ち寄られた同人の詩を、どこか、自分が半分書いたかのような気持ちで、ドキドキしながら読むことになる。書く、という行為がかぶさった読みになる。

詩を読む、ということにはこんな側面もあるのかと、知った。そして、この時の、自分に引き寄せて人の詩を読む、という行為が、詩と自分の距離をぐっと狭めてくれたように思う。

同人誌に入ることは、自分なりに詩を、より深く読むことができるようになる、そのきっかけになったことであり、そのことが、詩全般の理解と愛情を再認識させてくれることになったと、ぼくは思う。

むろん同人誌は、一緒に雑誌をやっている人たちによっても印象は違ってくるし、そのような意味で、ぼくはとても幸運だった。

そして、もうひとつの同人誌「生き事」からも、もちろん受け取ったものは多い。その話はまたいつかしたい。

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