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[書評] チ。-地球の運動について- (1~3巻)

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

20代中盤まで一人暮らししていた頃は
よくたくさんのマンガを買っていたものだが、
ある時期からは基本「完結済」に絞って
読んでいくことにした。
(今、唯一の例外が「アオアシ」である)

そこには悲しい過去や種々の悩みがあるのだが、
それはまた別の機会に。

さて、そんな私は最近、作品を買う前に
マンガ喫茶で一読してから
判断するようにしている。

全巻とおして読んでみて、
「また『何度も』読み返したいか」
或いは
「いつでも読み返せるようにしておきたいか」
のセンサーが反応するかで、購入するかを決める。
一度読んで「十分だな」と思えば、購入はしない。

今回紹介する
「チ。-地球の運動について- 」
は全8巻なのだが、3巻目を読んだところで
なんとセンサーが反応し過ぎて
ぶっ壊れてしまった。
思考回路がショートしてしまった)

あまりの感動に、全体の半分も読んでないのに
全巻購入を即決してしまったほどである。

それがつい昨日の日曜日のことだから、
実はまだ最終巻まで読み終わっていない。

前置きが長くなってしまったが、
とにかくこの感動をすぐに伝えたい。

それが今回の書評を書くに至った動機である。


天動説と地動説

そもそも私がこの作品に興味を持ったのは、
歴史(主に世界史)好きが発端である。

古代ギリシャ・ローマから
中世の欧州世界において、
長らく信じられてきた
天動説(地球中心説)

「自分たちの住む
 この地球(世界)こそが
 全宇宙の中心である」

かのプトレマイオスが体系化して以来、
千数百年にわたり正しいとされてきた命題

その価値観が まさに「コペルニクス的転回」で
ひっくり返ったときの驚きたるや
どれほどのものであったのだろうか。

一時期、本気でプトレマイオスの
アルマゲスト」を(訳書とはいえ)
読んでみようかと考えるくらい
この天文学論争に興味があったので、
このマンガを知って、
ぜひ読んでみたいと思ったのだ。

世界観はまさに中世

はじまりの舞台は15世紀(前期)のP王国。
(おそらくコペルニクスの出身国
 ポーランドがモチーフだと思われる)

場面は、C教による拷問のシーンから始まる。
(これは明らかに あの宗教がモデルだろう)

C教にとっては、地動説とは
異端・異教の考えに過ぎないのだ。

中世のこの時代
(どこまで史実に基づくのかは分からないが)、
考え方が違う者は「人間ではな」く、
「殺さなければならない」対象だった。
...ということは、第4回の書評でも書いたとおりだ。

この作品は、そんな世界の中で
「本当は地動説の方が正しいのではないか」
と考え、それを証明しようと
奮闘する者「たち」の物語である。

ちなみに「~者『たち』」とわざわざ強調したのは、
もちろん理由がある。
それは第1巻を読めば、すぐに分かる。
私は読んでいて思わず「え!?」と驚いた。

感銘を受けた「奇蹟」

さて、肝心の地動説の展開については、
全巻読破してからの書評に任せたい。

今回、作品の途中までしか読んでいないにも
関わらず書評を書くに至ったのは、
第3巻に収録されたあるシーンに
非常に感銘を受けたからなのだ。

あまりの感動と興奮に
「これはぜひ紹介したい」と思い、
書くにあたった次第である。

それは、文字の読み書きができない男 オグジーが
文字の読み書きができる聡明な少女 ヨレンタに
「文字が読めるって、どんな感じなんですか?」
と尋ねるシーン。

ヨレンタ は オグジー にこう答える。

・・・C教徒としてこんな表現を気軽に
使っちゃいけないことはわかってます。
・・・でも、その表現以外で表せないから、
言いますけど・・・

文字は、まるで奇蹟ですよ。

(中略)
アレが使えると、時間と場所を超越できる。
200年前の情報に涙が流れることも、
1000年前の噂話で笑うこともある。
そんなの信じられますか?

私達の人生はどうしようもなく
この時代に閉じ込められてる。
だけど、文字を読む時だけは
かつていた偉人達が
私に向かって口を開いてくれる。
その一瞬この時代から抜け出せる。

文字になった思考はこの世に残って、
ずっと未来の誰かを動かすことだってある。

そんなの・・・まるで、奇蹟じゃないですか。

チ。-地球の運動について-
第3巻
第21話より

私はこのシーンに衝撃を受けた。
(あまりの衝撃の大きさに、
 引用が長くなってしまった)

私は文字が読めなかった頃の記憶はほとんどない。
なにも就学前から文字が読めたわけではなく、
その頃に自我と結び付いた記憶が ほぼないのだ。
(ほんのうっすらした記憶はあるが…)

それもあって、私には文字が読み書きできることは
少なくとも母国語(日本語)においては
至極 当然のことであった。

作品の舞台が中世の
(明らかに)欧州世界だとはいえ、
「文字が読める」という
私たちには 一見 当たり前のことについて
その素晴らしさを
これほど見事に表現できるとは!!

時代は違うし、
紙ではなく note という電子の世界ではあるが、
ひとりの物書きとして感動を禁じ得ない表現だ。

あまりの感動に、全巻読破を待たずに
「この作品は私にとって買うに値する!!」
と思い、すぐさま全巻購入した次第である。

まとめ

肝心の地動説については、
まだ核心に迫る段階まで読み進んでいない。

それでも、このシーンの表現を見ただけで
このマンガは素晴らしい作品であると断言する。
(何かの事情で、未完結で終わった
 …とかでもなければ)

この作者は、どのような人生経験を経たうえで
この表現に行き着いたのであろうか。

中世の天文学論争に加えて、作者の人生観にも
思いを馳せずには得られない作品だと思う。

こんな人にオススメ!

・天動説や地動説に興味がある人
・中世欧州世界の考え方に興味がある人
・「文字」や「言葉」を大切にする人
・「文字が使えるのは当たり前」と思っている人
・上記に紹介したシーンに興味がある人

こんな人には合わないかも…

・拷問などの痛々しい表現が苦手な人
・頑なに地動説を認めない人

↓ 続編出ました!!

お読みいただき、ありがとうございました。

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