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 文章や漫画や映画、TVのニュースでもそうだが、たまに嘘が出てくるときがある。TVのワイドショー系なんて、ひどいもので、ちゃんと裏をとらずに平気で嘘をついたりする。
 文章でいえば、有名な朝鮮人の慰安婦問題、朝日新聞がでっち上げた記事。2014年に訂正とお詫びをしているが、韓国の方はいまだ鼻息が荒い。
 本人がその気でなくとも嘘をついてしまう時もある。思い込みというやつだ。筆者の前回の投稿のラップの件などは、右利き左利き関係ないはずであるのに、思い込みで書いてしまった。ここにお詫び申し上げます。
 漫画や映画、ドラマなどは、ドキュメンタリーでもないかぎりは、嘘は許される。フィクションというやつだからだ。だからどんなに荒唐無稽でもそれは作者の作品への思いだから批判されるべきではない。
 もっとも作者の意図に反して、公共に著しく不興を招くようなもの、いわゆる差別的表現とかは、フィクションでも許されるものではない。
 TVのニュースで嘘をいってしまうのは最悪だ。しっかりと調べていないからであろうか、特ダネで他社より先んじようと、慌てていたからであろうか、認識が不足していたせいであろうか、いろいろ理由はあると思うが、良識を疑ってしまうので、十分注意はしているのだろうが、気をつけていただきたい。
 まあ人間なんだから間違いや嘘はそりゃああるさ。そう割り切ってしまっても僕みたいなシロウトなら許されるであろうが、プロはなかなかそうはいかない。とはいっても司馬遼太郎のような人もいる。
 平気で嘘を文章にするのだが、そこは小説だから問題はないのだが、読んでいる読者が司馬遼太郎が書いているのだから本当のことだと錯覚するシーンがいくつもある。また書き方がウマイ。さすがは昭和の大歴史小説家である。
 ただ小説にはしなかったからいいけれど、ノモンハン事件の認識についてはだいぶ実際とズレがあり、思い込みと偏見があったようだ。実は僕はノモンハンについては司馬遼太郎の文章を信じていて、後年、事実を知って愕然とした思いがある。
 マスコミや物書きが嘘をついたかどうか、見極める頭がこれからは必要だろう。特にインターネット社会になってフェイクニュースは当たり前になってきている世の中だからこそである。

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