宇呂草見

自転車と釣り具、カヤックを持って旅をします。誰も見たことがない景色、誰もやったことがな…

宇呂草見

自転車と釣り具、カヤックを持って旅をします。誰も見たことがない景色、誰もやったことがない経験を求めて

マガジン

  • 琵琶湖をゆく

    日本最大の湖、『琵琶湖』を自転車とテントで。 でかい湖にはでかい出会いがある

  • 写真

    写真をまとめてます🏔

  • 1分でわかる魚図鑑

    手軽に魚のことを紹介してます。 平日の夕方に更新します🐟🐠🦐

  • ショートショート

    100字くらいのショートショート物語。 深夜に更新

  • 水産系研究and豆知識

    研究やその他豆知識をまとめてます 休日の夕方に更新します🐙🦑🎣

最近の記事

奇抜髪型の彼と学校、その理由

夕暮れが早くなり、4時を過ぎた頃には空が夜へと変わろうとしていたときに僕は彼と出会った。 駅から家へと歩いていると前方から高校生の集団が歩いてきた。近所の高校の下校時間にどうやら重なったらしい。 歩道は2人が横になるほどの幅しかなく、集団であるく高校生たちとすれ違うのは至難の業だが(特に下を向いてあるく子)肩を引いて半身になり避けていった。 しかし、その少年集団の中に妙な少年がいた。 髪型がおよそ高校生らしくないのだ。 チリチリにパーマがかかった彼の髪は肩まで伸び、

    • 車椅子の君

      山手線の車両の端で車椅子の彼女は体の左側の手すりを右手でつかんでいた。 上体を捻って、外を眺める彼女。 目線だけを外に向けているのではない。顔ごと窓の外へ向けている。 何を思い、外を見るのだろうか。 偶然読んでいた本から顔をあげたときに彼女の外を眺める姿に興味が惹かれた。 ただ単に次の駅で降りるためになんとなく外を見ていたのかもしれないし、車椅子が動かないように支えていただけなのかもしれない。 それでもなんとなくみるのであれば左手で支えて目線を外にしたらいい。動か

      • 1ヶ月ほど圏外の恐れがあるため読むことも投稿することもできません💦💦

        • 琵琶湖をゆく#10~マキノ~

           湖北の木陰を過ぎると湖西への街乗りが始まる。  都会の、車に相当の注意を払いながらビル群を彷徨う街乗りではない。静かな道路を古くからある民家に囲まれながら進んでいる。道の左右に民家があるが広々とした庭をとおして琵琶湖は絶えず望める。きちきちに所狭しと敷き詰められた、太陽すら満足に確認できない都心とは何もかもが違う街乗りだ。  マキノというカタカナで表記する街がある。日本初のカタカナ町名だ。昭和の時代に4つの村が合併するさいに揉めに揉め、観光地として栄えていた近くのマキノ

        奇抜髪型の彼と学校、その理由

        マガジン

        • 琵琶湖をゆく
          7本
        • 写真
          10本
        • 1分でわかる魚図鑑
          20本
        • ショートショート
          7本
        • 水産系研究and豆知識
          6本

        記事

          琵琶湖をゆく~湖北2~

          湖北の水の透明度に驚かされた。 池や湖というのは閉鎖空間であるからなかなか透明度が高い状態が保たれることはない。現に琵琶湖の南側というのは大して水がきれいではない。琵琶湖はいくつも流入河川があるが流出河川は南側にある瀬田川(宇治川)のみである。であれば琵琶湖を大きな川にたとえると湖北は上流と言うことになる。気温も日本海から離れるぶん高く、そうなるとプランクトンも発生し水が濁る。 下流側は開発も進み、都市化がされている。湖北はまだまだ田舎風景残る昔ながらの街並みだ。都市化が

          琵琶湖をゆく~湖北2~

          自転車で琵琶湖旅~湖北~

           小鳥の鳴き声で目が覚めた。日が出始めたばかりの朝6時だ。  テントで旅をしていると日の沈むのと同時に睡魔に襲われ、明けるのとともに起きることが良くある。  気温は5度を指しており、なかなか冷え込んだ夜であったことがわかる。  朝食はテントを片付けた後で食べるか、それともテントの中で食べるか、という2択が朝の寝ぼけた体でまず第一に考えることだ。中で食べるとだらだら過ごしてしまう、ということがよくある。しかし、こうもさむいとなかなか外に出るきもおきない。結局寝袋にくるまっ

          自転車で琵琶湖旅~湖北~

          自転車で行く琵琶湖の旅〜湖東〜

           湖岸沿いにはところどころ湖岸公園がある。公衆トイレや駐車場もある。しかもほぼすべての公園でキャンプOKという旅人に優しい地域である。今日の野営先は米原駅から北に10キロほど進んだ公園だ。琵琶湖は琵琶湖大橋を境に南湖と北湖にわけられる。北湖はさらに湖東、湖北、湖西に分けられている。現在いるのが湖東である。今日の野営地の公園は湖東の中では一番北にある。ここより進んでしまうとしばらく公園が無いためまだ16時前と時間に余裕はあるがここでテントを張ることを決めた。  自転車から荷物

          自転車で行く琵琶湖の旅〜湖東〜

          琵琶湖をゆく~長浜~

           自転車は普段乗るときよりも圧倒的に重い。前後につけている荷物のせいだ。前側には5Lの鞄を、後ろ側には25Lの鞄を左右それぞれにつけている。後ろ側の上側にはテントや釣り具を乗せている。  湖側から強い風が吹き付けてきた。湖の周回道路につくと湖面が白く波立っているのが見える。僕の頭の中の琵琶湖は早々に崩れ去っていた。湖と言えばキンと平面が静まりかえったイメージだったのだが、海と変わらない荒々しさだ。バチャン、と壁に打ち付けられた水しぶきは道路にも舞ってくる。  琵琶湖は面積

          琵琶湖をゆく~長浜~

          琵琶湖をゆく~米原~

             大垣で最後の乗り換えをして、終点米原を目指す。  天気は曇っているが雨が降りそうだというわけではない。僕のスマホの天気予報も雨ではないし、なによりも僕が晴れ男であるからやはり雨は降らないだろう。  5時20分に家を出発して8時間。僕はとうとう琵琶湖漂う米原に到着した。  はやる気持ちを抑えながら荷物をまとめて、駅から出る。駅前ロータリー横の開けた場所で荷物をおいて、まずは自転車を組み立てる。  ドッペルゲンガーの黒い輪行袋から取り出した自転車もようやく日の光を浴

          琵琶湖をゆく~米原~

          琵琶湖をゆく~大垣~

          ※今回の話は第4話です。1話は↓です。  豊橋駅を出発した電車の車内には僕以外に2人しかいない。パーソナルスペースをしっかりととることができる空間だ。  都会の人は人と人の心の距離感は遠いが物理的な面では密着した生活を送っている。田舎の人は人と人の距離感が近いが、パーソナルスペースは広くとる。田舎から都会に出た身である僕からすると満員電車の密着具合にはうんざりさせられたものだ。いつかの選挙では満員電車をなくす、と公約に掲げた政治家もいたが2021年現在満員電車は続いている

          琵琶湖をゆく~大垣~

          琵琶湖をゆく~豊橋~

          *これは3話です。1話はこれです↓ https://note.com/boukentan/n/nba7cb69c514c 現在は18切符を使って琵琶湖に向かっているわけだが、新幹線と違い目的地までビュンといけるわけではないから時間がかかる。のぞみもびっくりな遅さだ。しかも、乗り換えが多いからどうしても乗り換えミスが起きやすい。    発車時刻に間に合わなかったり、次乗る電車がいった何番線なのかわからなかったり、乗り換え時間が短いほどミスが起きる。    今回の道のりも例

          琵琶湖をゆく~豊橋~

          琵琶湖をゆく~小田原~

          ※この話は第2話です。第1話は1つ前のものになっています。 小田原駅での乗り換えは20分の余裕がある。 ここからはJR線に乗り換えるため改札を1度出る。そのためこのくらい時間に余裕があるのはありがたい。今回の琵琶湖までの電車旅は小田原、沼津、静岡、豊橋、大垣、で乗り換えて琵琶湖の最寄り駅米原駅を目指す。小田原以外の4カ所での乗り換え時間はそれぞれ約5分しかない。ここでの時間の余裕は特別だ。 ここでも当然先頭車両が来るホーム端まで進む。時間は7時をすぎ、通勤する人々が増え

          琵琶湖をゆく~小田原~

          琵琶湖をゆく

           早朝5時20分、家を出発して青春18切符で琵琶湖へゆくため最寄り駅へと向かった。  もう3月も下旬になり、この時間でも空は明るくなってきている。気温もそれほど低くはなく、気の早い街の山桜たちはその花を咲かしている。もうあと2週間もしたら本格的な桜シーズンだろう。  しかし、大荷物を抱える僕にそんな花を楽しんでいる余裕はない。片手には電車に乗るために分解した自転車、もう片手にはテントや寝袋なんかをつめた120Lのキャリーケース。しめて30キロの大荷物だ。普段の空身の状態な

          琵琶湖をゆく

          旅の最中なので簡単に写真だけ。

          コロナでホームシック

          ※現在旅に出ていてちゃんとしたもの描けなくてすみません。 コロナでホームシック 大学1年の時、実家のある鳥取を離れ、上京した。 それから1年ホームシックと言われるものは起きず、楽しく東京で暮らしていた。 しかし、1年が経ち春休みに鳥取に帰省するとそれから約半年コロナウイルスのため東京に戻らず、遠隔授業を受けることとなった。 上京した後だから気付けることが多くあった。 大学は10月から再開され、僕は東京に戻った。 今、去年起きなかったホームシックが起こっている。

          コロナでホームシック

          旅に出る前の人間が1番不安に感じていることは忘れ物だろう。 どれだけ荷物をチェックしてもその不安からは逃げることができない。 特に長い時間とお金をかけてする旅ほど忘れ物をしてしまったときのショックは計り知れない。 しかし、旅先に着き、忘れ物の恐怖を乗り越えたときに待っているものは幸せだ。 まだ到着しただけでも充分な満足感がある。 旅は行くまでが90%、行ってからは10%。 旅先を決め、調べて、準備する。これで旅の大部分は終わっている。