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【広報日記】 自分の人生が「愛おしい」と感じた日。私にとって「死とは何か」を考え続けたい。

皆さん、こんにちは。このページは、広報である私の思い・考え・学び・気づき、読んだ本のことを書き記しております。
文章を通して人と繋がること、これもまた意味深いことであり、新しい機会であると思います。今日もお越しいただきありがとうございます。



今日は、先日開催しました「僧侶といっしょに 死生観対話」 企画はこちらです。この日に気づいたこと・感じたことをお話したいと思います。




最期の瞬間に立ち会ったことはない

 おじいちゃん、おばあちゃん、親戚のおじさん、おばさん、色々な人の葬儀に参列してきました。けれど、私は死に目に会ったことは一度もないんだなぁ、と気づきました。ほんとうに最期の瞬間。人はどう死んでゆくのか。終わりを迎えるのか。ぼんやりとした勝手なイメージしかありません。その瞬間に出会ったらまた、自分の生き方に影響を与えられそうな、パラダイムシフトが起きるのかもしれないと、そんな予感がしました。

場所って大事。ここにしてよかった。



今ここにいる喜び 会えてよかった

 この日は、とてもいいお天気だったんです。風も気持ちよく吹いて、雲も程よく浮かんでいる。小鳥の鳴き声が聞こえ、子どもの声も聞こえてくる。そして、今ここに、人が生きている。当たり前なんですけれども。当たり前に流れている、この瞬間が、なんとも言えない気持ちになるんですね。
意識が目の前の対話に戻ると、大人たちが集まって真剣に死について話している。なんだか、不思議な気持ちになりました。

いい風が吹いてくれました。



子どもと葬式に参列する意味

 今葬儀に参列する機会が減っていますよね。私は、父が7人兄弟、母が5人兄妹で、親戚がたくさんいました。子どもの頃に、冠婚葬祭に出席する機会が結構あったんです。とくに葬式に参列するときは、本当にいろんなこと感じさせてもらっていたなぁと振り返って思います。
子どもが5歳の頃におばあちゃんが亡くなって、私は子どもにとって貴重な機会だと思いまして、葬式に連れていきました。人は最期どうなるのか、見て欲しいなと思ったんです。こればかりは、言葉で伝えることができない。見てもらって肌で感じてもらうのがいいと思いました。一番反応というか、子どもの雰囲気が変わっていたのは「骨になったのをみたとき」でした。あれ、おばあちゃんいないね、と。表情と様子から、少しびっくりしていた様子でした。言葉にしていなかったけれど。でも、大事な経験のひとつだと思っています。


ほんとうにいいお天気でした。



言葉にするって、すごく大事

 題名通りなのですが、言葉にするってこんなに大事なことなんだって気付かされました。心の中で思っているだけではなくて、言葉にするってことにとても大切な意味が含まれている。 それは、こうやってみんなで話してみてわかったことです。やってみて分かったことです。
私の場合には、死について分からないから考え続けたい分からないけど分からないなりに問い続けたいという気持ちがあることに気づいたんです。

紫陽花が咲き始めていました。


大人が真剣に語り合う場

「近いものを持っている人たちが集まって、他で話してもあまり興味を持たれないことを真剣に話せる。大人には絶対に必要だよね。」

Voicy 若松英輔さん

 本当にそうなんだなぁと、私も思うんです。あの日、自宅に帰ってから聴いた若松さんのVoicy。死生観対話の余韻にひたりながら、あぁ、そうそうって思いながら言葉をメモしていました。

死ぬこと、生きることについて、真面目に話せる場、空間が、大人には必要なんです。そういう場があって、そこで話す。人はまた生きていける。明日への希望になるのかもしれません。それは小さくて、ささやかなもの。心にぽっと灯る小さな炎のような感じがする。
だから、またやりたいなぁと思いました。たぶん、いや間違いなく、この言葉にも背中を押されたと思います。また開催したいと思います。

わたしにとっての死生観の本。

死なれちゃったあとで

喪失経験を淡々と語っている本。これくらい軽いのが逆にいい。死なれちゃったあとに、たくさん話したほうがいいよね、って教えてくれた。喪失について考え続けてもいいんだよね、ってわかった。

さよならのあとで

本屋で読んで泣いちゃった本。いつかその時がきたときに、きっと深く言葉が届く本。今からお守りしている本。

それでも食べて生きてゆく 東京の台所

今日も同じ空の下、生きている。台所は、その人の人生そのものが現れている。食べて、生きている。私だけじゃないって、なんか安心する本。



自分の人生が「愛おしい」と感じた

死にたい、もう生きられないと、何度も思ったことがあります。昔、「生まれてきたくなかった」とわんわん泣いたことがあります。繊細で敏感な心をもっている自分に気づいています。今は、心の奥底で「もう二度と人間として生まれてきたくない」という気持ちがあります。それでも、今日もちゃんとご飯作って、食べて、生きている。今回対話してわかったことは、私にとって「死とは何か」ということを考え続けたいということ。そして、こんな私の人生すべて丸ごと、愛おしいなぁってしみじみ思いました。

五月も最後の週ですね。
心身ともにどうぞお健やかにお過ごしください。
今日もありがとうございました。