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スタードライバー

 営業所の喫煙所で一人、煙草をふかすこともなく、缶コーヒーを飲んでいた。営業所に備え付けられた自販機は、百円玉一つで缶コーヒーが買えるとあって重宝している。まあ、スーパーなんかに行けばもっと安値で売っているのだろうが、僕はお金を入れてボタンを押し、がらがらと音をたてて缶が転がってくるのを聞くのが好きなのだ。
 味は何の変哲もない、微糖のコーヒー。インスタントや、豆を挽いて淹れたコーヒーよりもえぐみがあって、砂糖が大量に入っているのだろう、微糖でも甘い。微糖じゃない缶コーヒーを飲む奴の気が知れないと思うほど。体に悪いと思っていてもついつい飲んでしまう。何か中毒になるような成分が入っているんじゃないかな、と日野宮さんに言ったら、「お前だけじゃねえか」と白けた目で見られてしまった。
 スマートフォンで配車予約を確認する。今の時世、予約もなんでもスマートフォンだ。じゃあ営業所の配車係はなんのために存在しているかといえば、スマートフォンを活用できないお年寄りの対応のためだ。まあ、お年寄りが僕らスタードライバーを必要とすることなど、まあないだろうが。
 僕の今日の予約はゼロだ。いくら閑散期だとは言っても、まったくのゼロというのは厳しい。僕の車、スターリースカイ号のローンがまだ残っている上、別会社のスタードライバーと出合い頭に事故を起こしてしまったせいで、車のサイドミラーは今片方ついていない状態だ。まあ、運転に支障はないのだけれど、安全管理の徹底を謳う会社があれこれとうるさい。早急につけなくちゃならないが、先立つものがないのが現状だ。スタードライバーは、とにかく金がかかる。マシンも自分持ちなら、保険だって自分持ちだ。スタードライバーの保険なんて数がないから、高いのに入らざるを得ない。風通しの悪い業界だよ、まったく!
 ああ、僕たちの仕事のことを説明しなきゃ分からないだろうな。僕らスタードライバーは宇宙を走り、この世界と異なる世界を行き来する存在だ。これだけじゃ分からないだろうけど、そうとしか言えない。君たちの見ている世界とは異なる世界があって、その世界には宇宙のある座標から行き来することができる。君たちの科学力では、その座標を発見することはできないみたいだけど。
 僕は今日の仕事は絶望的だな、と思いながら配車予約アプリを閉じて、マッチングアプリを立ち上げる。本来なら向こうの世界で一泊するつもりだったから、久しぶりに妻や子どもの待つ家に帰ろうと思ったのだが、その当てが外れたので、今日一緒に寝る子を探そうというのだ。
「おうい、ロク。今日これから行けるか」
 営業所の窓ががらりと開いて、そこから所長の源藤さんの顔がにゅっと覗いて大声で叫ぶ。源藤さんは異なる世界にいるとき、柔道の世界チャンピオンだったらしく、顔と首の太さが一緒で、まるで肩の上に長い頭が載っているように見えた。一度投げられたことがあるが、何が起こったのか分からない早業で、気づいたら寝転ばされていた。その源藤さんはこっちの世界にもあっちの世界にも奥さんがいて、厳密に言えば法を逸脱しているのだが、まあ、僕らスタードライバーはそのくらいのことでは捕まらない。お偉方も、僕らがいなくなると困るからだ。
 え、あちらの世界にも柔道があるのかだって。あるさ、それは。こっちの世界とあっちの世界は、とても似通っているんだ。僕は自分のそっくりさんがこっちの世界で歩いていても驚かないね。まあ、出会う可能性なんて、それこそ何億分の一とか、天文学的な数字なんだろうけど。
 ちなみにロク、というのが僕の仕事上の呼び名だ。本名は別にあるけれど、みんながロクと呼ぶから、そう呼んでくれればいい。
「行けますよ。急用ですか」
「んあ、そうみたいだが、よく要領をえねえんだ。お前さん、ひとっ走り行って確かめてきちゃくれんか」
 僕はおもいきり渋い顔をする。電話で要領を得ないような客は、直接会ったって要領を得ないのだ。そんな客のために貴重な燃料を使うのは気が引けた。
 僕のその感情を表情から見抜いたのか、源藤さんは頭をぼりぼりと搔きながら、「燃料代はつけとくからよ」とこれまた渋い顔をして言った。
「そんなに大事そうなお客ですか」
 大抵こういう場合、燃料代はドライバーもちだ。営業所はあくまで客とドライバーの仲介が業務であって、仲介の結果乗車に至らなかった場合でも、責任はもたないというのが基本スタンス。だから源藤さんが燃料代をもつと言っている以上、これは厄介な仕事に違いない。
「何とも言えん。電話の主が言っていることが本当なら、上客だ」
 へえ、とこぼして缶コーヒーを飲み干して立ち上がる。「何て言ってるんです」
 源藤さんはさっきよりも激しく頭を掻いた。「いいシャンプー紹介します?」と訊くと、「おれぁ安物じゃないと肌に合わん」と甍のように四角い顔をさらに厳めしくして首を振った。
「やっこさん、自分がメールドテール皇国の皇女だと名乗っていやがる」
 メールドテール! 随分また思い切った大物の名前を出したもんだ、と妙に感心してしまった。
 メールドテール皇国はあっちの世界にある国の名だ。火星を人の住めるように改良し、こちらでいう地球に相当する星から大勢移住させて、火星丸々一つを支配下に治めた大国。第三次南北戦争(あちらではイデオロギーは南北に分かれて争っていた)で名だたる国々が没落していく中で、火星への移住計画を着々と進め、戦争から離脱して戦火の届かぬ地へと逃げ、国の存続を見事成し遂げた、教科書にも載るような国だ。
 そこの皇女様となれば、これは大物中の大物の客になるのだが、果たしてそんな大物が場末のスタードライバーにお声がけをするだろうか、というのは甚だ疑問だ。それに、皇国の一族は、衆目にその身を晒さないことが有名であり、誰も顔を知らないのだ。すべて表に出るのは政治家の首相だが、実権は首相にないと言われている。皇族が政財界に多大な影響力を及ぼし、どんな大企業とて皇族のお墨付きがなければ思い切った事業展開はできないと言われている。まあ、こんなしみったれた会社のスタードライバーには関係ないこった。
 問題なのはだ、顔を知らない以上、皇女だと名乗られれば信じるほかないということだ。まあ、払うものさえ払ってくれれば、皇女だろうがそこらの娼婦だろうが、望むところへ運んでやる、それがスタードライバーだ。
 本物だった方が、厄介ごとを運んできそうで嫌だな、と思う。思うと、そうとしか思えなくなってくる。こういうときの僕の予感は当たるのだ。流れ星に書かれた番号を予想してくじを購入する流星くじで二等を当てたときも、当たるという予感があったのだ。当たったは当たったが、スターリースカイ号のオーバーホールでほとんどすっとんでしまった。こいつはいわゆるクラシックカーというやつを本体に使っているから、耐久性も悪ければ燃費も悪い、おまけに定期的に部品を総入れ替えするオーバーホールが必要ときている。とんでもない金食い虫なのだが、僕の相棒はこいつしかいない。
 まあ、行ってみますよ、と所長から地図のコピーを受け取ると、スターリースカイ号に乗り込み、マップスキャナーに所長の地図を読み込ませる。エンジンスイッチを入れると、ぶるんぶるんと震えて、カエルの屁のように情けない音を出してエンジンが停止する。エンストだ。
「おいおい、大丈夫かよ」、所長が呆れ顔で見ている。いっけね、スイッチ入れる順番間違えた。
 今度こそエンジンを始動させると、ホバーペダルを踏んで上昇する。一定高度まで上昇すると、ホバーペダルから足を離して、前後の推進ペダルを踏んで前進する。スタードライバーは通常速度で運行しているとき、秒速八キロほどで走行している。これはこちらの世界で分かりやすく言うと、スペースシャトルの飛行速度に匹敵する。つまり、一時間半もあれば、地球を一周できるだけのスピードということだ。ただそのスピードで走っていては、あちらの世界とこちらの世界を行き来するのに気の遠くなるような時間が必要になるため、光速を遥かに超えた速度で走行する機能も備えている。だが、皇女様を迎えに行くのにそこまでの速度は必要ないため、通常速度で巡行する。
 ものの数十秒でマップの地点に到着したことを電子音声が告げる。僕はこの電子音声にマリーという愛称をつけている。電子音声と言っても、超高度なAIを搭載しているので、話していて普通の人間と遜色ない。その上で僕の好みは覚えてくれるし、一か月前にした会話だって覚えていて、僕がそれを忘れていると拗ねたふりもしてくれる(それが僕の好みに叶うと知っているからだ)と、もうマリーと結婚するよ、と言いたくなるくらい愛らしいのだ。
 近い将来、生身の人間同士で結婚しようなんていうことは、今僕らが時代劇や大河ドラマで見ている侍というものを見るが如くになるだろう。そして生身の人間同士が登場する映画やドラマが流行り、生身の人間映画村みたいな施設が作られるに違いない。
 下降して車から降りていくと、そこには誰もいなかった。一杯食わされたかな、と源藤さんじゃないが頭を掻いて見回していると、工事現場の廃材置き場らしき場所から顔を出している女が一人いた。
 夜に溶けそうなネイビーブルーのTシャツに、白いジーンズにスニーカー、といったラフな格好をした女だった。どこからどうみても皇女様には見えない。
 まあ、長い銀の髪は張り詰めた弦のようで月光を反射して美しく輝いていたし、顔だちにもどことなく気品がある。大きな目に長いまつ毛、まるであつらえたように人形じみた顔だった。その非現実さは、皇女らしさを感じなくもない、か。
「お客さん?」
 僕は帽子を脱いで覗き込み、銀髪の女と顔を合わせると、営業用のスマイルを浮かべて挨拶をし、頭を下げた。
「あなた、スタードライバー?」
「ええ、そうですが。お客さん、メールドテール皇国の皇女様だとか」
 怯えて不安そうな顔をしていた皇女? だったが、皇国の名前を聞くと元気を取り戻し、「そうよ、わたしはマリアフォレルア=メールドテール。特別に愛称のマリーと呼ぶことを許して差し上げます」と鼻を高くして胸を張って言った。
 マリー、よりにもよってマリーか。そう言えば、この皇女の声はどことなくマリーに似ているような……、いや、違う。断じて違う。似ているなどと認めてしまえば、マリーが肉の体を得てしまう。マリーは電子の存在だから穢れなく、崇高なのだ。何の不純物も混じらない、純粋な愛情。それが僕とマリーの間にあるものだ。これを事業所の仲間に熱弁したとき、年下のクロードからも「うわっ、きもっ」と普段礼節を弁えたことしか言わない彼をしてそんな言葉を言わしめてしまった。
「マリー、皇女様」
「なんでしょう」
 恐る恐るマリー皇女は出てきて、僕の前に立つ。そうすると彼女は結構長身で、男性の平均身長以上はある僕とそう大差なかった。年の頃は十代終わりから二十代初めといったところか。なんにせよ、僕より年下だろうと思う。だからといって態度を変えたりはしないが。
「行き先はどちらです」
 皇女は首を傾げる。「わたしが皇都以外のどこに帰ると?」
 皇女は心底不思議がっているようだった。これが悪意のものだったとしたらまだ頭にこないかもしれないが、天然で悪意ある人間と同じ嫌味が言えるというのは才能だと思った。皇女の言うことは至極ごもっともなのだが、客が誰であっても行き先を訊かないことには出発できない。それはスタードライバーの不文律のようなものだ。
「皇都までだな。それじゃ、乗ってくれ」
 スマートフォンで後部ドアを開けると、僕自身もスターリースカイ号に乗り込む。だが、いつまで経っても皇女は車に乗り込もうとしなかった。物珍しそうにスターリースカイ号を眺めたり叩いたりしている。いや、やめてくれ。叩くとボディがへこむ。前回のオーバーホールからそんなに経ってないから、ローンの支払いが残ってるんだ。
「皇女様、やめていただけると助かるんだが」
 僕の声に、一心不乱にスターリースカイ号のボディを叩き続けていた皇女の手が止まる。ボディは散々殴られてノックアウト寸前のボクサーの顔色みたいな色をしていた。それは元々か。
「マリーです」
「は?」、皇女様は眉を吊り上げて、非難がましい目で僕を見つめている。髪だけでなく、瞳まで銀色なのだな、とか関係ないことを考えていると、もう一度自分の名を叫んだ。闇を切り裂くような、鋭く大きな声で。
「わ、た、し、は、マ、リ、―、です! マリーと呼んでくださいませ」
 分かった、分かったから、と僕は慌ててマリーを宥める。周囲にはアパートも立っている。騒ぎになれば何事かと見咎められる恐れがある。警察なんかを呼ばれた日には最悪だ。僕らスタードライバーと警察の関係は劣悪と言っていい。奴らは僕らのことを翼の生えた暴走族だと思っているし、僕らは僕らで奴らを「キツネ」と呼んでいる。人を化かすように罪をでっちあげて牢屋に放り込むから、というところからもきているし、「虎の威を借る」とはよく言うだろう。奴らほど国家という威を借るキツネはいやしない。
「分かってくださいまして?」
 にっこりとマリーが言うので、僕はげんなりしながらも「よく分かりました」と肩を落とした。これなら酔っぱらいを家まで送り届ける方がよっぽど楽だったなと思う。
「じゃあ、乗ってくださいますか、マリー様」
 マリーは不服気に「様は余計です」と言いながらも車に乗り込んだ。
「本当にこんな鉄くずが飛ぶのですか」
 嫌味でも、悪気もなくマリーはそう訊いているのだった。不思議だったから口にしましたけど、何か問題でも? という無邪気さが表情に漂っている。
「言っちゃ悪いですけどね。皇国の車なんかは見てくれだけで、魂がこもっちゃいないんですよ。その点このスターリースカイ号は見てくれこそ悪いかもしれませんけど、魂のこもった走りで、マリーを安全に皇都までお届けします」
 喋りながらもホバーペダルを操作して飛び上がる。そして推進ペダルを踏もうとしたところで、嫌な予感がして左右推進ペダルに踏みかえて全開で踏み、ハンドルを切った。
 すると赤いレーザー光線がスターリースカイ号のいたところを走り抜けて行った。もし前進を選択していたら、レーザー光線に撃ち抜かれていたところだ。
「言い忘れておりましたが」
 バレルロールする車内の中で、笑い声をあげてはしゃぎながら、思い出したようにマリーが言いだす。
「わたし、皇国の反体制派の方に命を狙われておりますので、皇都まで『無事』お届けくださいます?」
 先に言え、と叫びながら推進ペダルを踏み、逆さまになった状態のまま前に進む。すると後方から黒塗りの車が飛び出てくるが、奴らも市街地などに被害を出したくはないのか、むやみやたらには撃ってこなかった。こちらが乗せている厄介なお姫様よりも常識的な連中と見た。まあ、こんな世間知らずのお姫様が世の中のことを牛耳っているのだと知れば、反旗を翻したくなるのも分からないでもない。だが、そこで僕を巻き込まないでほしい。僕はただのスタードライバーで、政治にも金にも縁のない男なのだから。
 ちょうど雑居ビルが立ち並ぶエリアに来ていたので、ビルの屋上すれすれを飛んだり、車体を倒して隙間に入り込んだり、黒塗りを撒こうと試みるが、相手もさるもので、容易に引き離せない。そうこうしていると、気づけば二台に追跡されていた。相手と水平のラインに入ってしまえばレーザーが飛んでくる。そのラインが二本になれば、逃げきるのは四倍の労力になる。どういう計算だって? 知ったことか。僕法則の理論による推定値だ。
「奴ら、なぜあんた、マリーを狙うんだ。皇女だと言ったって、権力ももってなさそうなのに」
 もたれていてたまるか、という思いで口にする。権力がないことは否定しないので、本当に実権は何ももたないらしい。
 マリーはあっけらかんと「わたし人質だったんですけど、逃げてきちゃったんです」ととんでもないことを言った。
「人質って、反体制派の?」
「ええ。わたしを人質にして、既に捕まっている反体制派の元リーダーの釈放を狙っていたみたいです」
 あ、やばい。水平のライン上に入った。慌てて僕は再びハンドルを切って横回転してレーザーを躱す。そしてそのまま急降下し、地面ぎりぎりのところで浮上し、ビルの隙間に突っ込む。「やっほー」とマリーは両手を挙げて叫んでいる。テーマパークのアトラクションか何かと勘違いしているのかと腹立たしい。こっちは命がけでやってるっていうのに。奴らの搭載しているレーザー砲は恐らくミーティア級の規格のものだ。そんなレーザーに当たってみろ、スターリースカイ号は木っ端微塵だし、僕は皇女様と運命を共にすることになる。そんなの真っ平御免だ。
「なんで警察に連絡しない!」
 僕が怒鳴るとそこで初めてマリーは表情を曇らせ、申し訳なさそうに細々と、「だって、兄さまが、困ったときは……スタードライバーに頼れ、と」と指を突き合わせながら言うので、僕はいらいらして帽子を脱いで放り、髪の毛を掻きむしった。
「奴らプロだ。僕のような素人とは違う。いずれ撃墜される」
「あら。あなただってプロでしょう。飛ぶことの。そうでなければこんなに見事に逃げられませんわ」
 ああ、ほら、レーザーが飛んでくる。左右推進の最低限の動きだけで躱したので、無事に残っていたサイドミラーをかすめ、サイドミラーは蒸発していった。ああああ、またローンがかさむじゃないか!
「そうだよ、僕だってプロだ。飛ぶことに関しちゃあね。だけど、レーザー砲を積んだ車から逃げるプロじゃないんだよ」
 僕は叫びながらホバーペダルと推進ペダルを組み合わせて踏んで操作し、上昇しながらも回転して追手を行き過ぎ、反対に後ろに着くことに成功する。
 追手たちは追いかけていたはずが追いかけられる立場になって戸惑ったのか、速度を緩めて逡巡した後で、二手に分かれた。
「見たか! 実戦でこれができるのは、スタードライバー多しといえども、僕くらいなものだぜ」
 言い過ぎたきらいがないでもないが、この際まあいいだろう。実際レーザー砲に追い回されて土壇場で成功できる人間が何人いるかと言えば、ゼロに近いに違いない。まず、レーザー砲に追い回されるという不運に見舞われるスタードライバーは、僕くらいのものだが。
 奴ら諦めてくれないかな、と思ったが、やはりそれは甘いらしい。二手に分かれたのは挟撃するためだったようで、前後を抑えるような動きをしていた。動きが予測できても、こちらから攻撃する手段をもたない以上、どうすることもできない。
「あの、挟み撃ちにされますよ?」
 分かってるよ、と怒鳴る。お願いだから黙っていてくれ。集中力が途切れる。僕は左手でナビ用のパネルを操作し、AIのマリーを呼び出す。
「マリー、聞こえるか」
「はい、マスター」「ええ、聞こえます」
 二人のマリーが同時に返事をする。そうだった、と思ってうんざりしながら「電子の方のマリーだ」と言うと、皇女のマリーは不貞腐れたように「紛らわしい名前ですこと」と今回は悪意をもって言っていた。
「後部ハッチの開閉はできるか」
「はい。ですが、走行中の開閉は、中の荷物が飛ばされ危険です」
 いや、危険でいいんだ。危険であればあるほど。確かトランクには工具やらスターリースカイ号用のパーツを積載していたはずだ。それを武器に使うしかない。奴らのレーザー砲と違い、一発だけの爆弾というわけだ。外せば死。確実なタイミングで仕留めなければ。
 できるなら二台まとめてお見舞いしてやりたいところだが、相手が相当の阿呆でない限りそれは難しいだろう。となると、一台は別の手段で潰す必要がある。武器が自分にないのならば、武器を持っている奴を利用すればいい。つまり、同士討ちだ。
「マリー、奴らに同士討ちをさせたい。誘発するいい手はないか」
 コンソールにしばらくお待ちください、というメッセージが表示される。こういうところも、こちらのマリーは奥ゆかしい。
「この先の地形を利用すれば可能です」
 マリーは飛行ルートを提示する。それで僕はマリーの意図が読めた。
「なるほどな。やっぱりこっちのマリーは頼りになる」
 僕の呟きを皇女のマリーは耳ざとく聞いていて、「こっちは、とはどういうことでしょう。こっちは、とは」と怖い顔をして睨んでいるが、聞かなかったことにした。
 マリーの指定したルートに入ると、後方の一台が追いかけてきて、もう一台は離脱した。恐らく先回りして挟み撃ちにするつもりだろうが、その思考がもうマリーの思惑にはまっているのだ。
 僕はビルの隙間を抜けながら、マリーのルートを細心の注意を払って辿る。高さ、速度、そういったものが僅かでも狂えば、こちらの想定通りに相手がはまってくれない恐れがある。
 後方の一台はやはり狭いビルの間ということもあってか、レーザーを撃ってこない。だが、撃つタイミングを虎視眈々と狙っているはずだ。
 ルートの最後のポイントを通過する。そこで僕はライトの出力を最大まで上げる。正面を塞ぐように聳えるビルの窓ガラスに光が反射し、視界を白く染める。僕は指でハンドルをこつこつと叩きながらタイミングを計る。ローリングストーンズの「Paint It Black」の歌の出だしくらいだな、と思うと、リズムを刻みながら待ち、「I see……」と入るところでホバーペダルを急上昇させる。
 すると後方から追ってきていた車から放たれたレーザーが、スターリースカイ号の腹の下を通り過ぎ、前方から回り込んできていた一台に直撃し、その一台は爆散した。
 ライトの反射で視界を塞いでいたため、後方の一台も回り込んだ一台の正確な位置を追えなかった。それは先行の一台も同じことで、うまくレーザーの発射を誘導して同士討ちをしてのけた。これもマリーの優れた分析能力と僕の類まれなるドライビングテクニックがあってのことだ、などと言おうものなら、日野宮さんにぐーで殴られて「馬鹿言ってんじゃねえや」とどやされそうだけど。
 さて、あと一台。
 僕は額の汗を袖で拭って、深く息を吐くと、慎重にハンドルを操作し、再びビルの隙間に入る。
「やりましたね。素晴らしいです。どうです、わたしの専属ドライバーになりませんか」
「ありがたい申し出ですけどね、僕はご遠慮申し上げますよ」
 マリーは理解できない、といった驚きの表情で僕を見つめ、「なぜです」と心底不思議そうに言った。だからだよ、と僕は言いたかった。僕らを理解しない雇い主のところで飼い殺しにされることなんて、僕らの心が許さない。それぐらいのことは分かってほしかった。源藤さんだっていい雇い主とは言えない。ピンハネくらいしてるだろうし、無茶な配車を振ってくることもある。それでも、皇女の飼い犬よりはましだろう。
「給金も保証されています。今の数倍になりますし、労働時間も常識の範囲内です。なによりわたしがこうした身の危険もありますので、あまり外出しませんし」
 労働環境としては、願ってもない環境なのだろう。それにそうした上流階級に沿った生き方をしていれば、マリーの(電子の方だ)ような理想的な美女と出会い、結婚というチャンスもあるかもしれない。生身の女性との結婚なんか諦めていたが、それも現実的になる。僕の生活はがらりと一変するだろう。
 だけど、僕はスターリースカイ号を買ったとき、心に決めたのだ。何よりも、何からも解き放たれた自由な翼であろうと。そして、僕は夜空に瞬く星の、所詮一つに過ぎず、そのちっぽけな星らしく、多くを照らそうという大それたことは考えまいと。
「だから、僕は僕であるために、あんたの誘いを断るんだ」
 ハンドル、ホバーペダルを操作し、相手の射線上にわざと入る。ここからは早撃ちの勝負だ。相手が車体を起こし、態勢を整えたのを見て、僕は叫ぶ。「マリー、後部ハッチ解放!」
「はい」「はいっ」
 二人のマリーの声が重なる。バックミラーで後ろを確認する。車体前部に取り付けられたレーザー砲に光が収束していくのが見える。ひどくスローモーションに感じた。こちらの後部ハッチが開き、無数の工具やパーツがあられのように黒塗りに降り注ぐ。だが、相手もただでやられる気はないのか、レーザー砲の射出スイッチを押したようだ。僕は「南無三っ!」と叫びながらホバーペダルを強く踏み抜いた。レーザーを急上昇してほとんど躱したものの、車体にかすってしまったようで、小さな衝撃が僕らを襲った。
 黒塗りはフロントガラスを叩き割られ、運転手が工具に頭を貫かれて死亡したことで制御を失い、ビルに突っ込んで爆発した。
 ああああ、やばい。こんなもの始末書ぐらいじゃ済まない。あいつら警察が今にもファンファンとサイレンを鳴らして追ってくるような気がする。それなら、こちらの法が通じない、あちら側にしばらく身を潜めておいた方がよさそうだ。
「マリー」
「はい、マスター」「あ、はい、なんでしょう」
 二人が返事する。あああ、紛らわしい、と苛立ちながら、「電子のマリー」と呼び方を変える。
「マスター、なんでしょうか」
「超光速でこの星を離脱し、あちらの世界に突入する。準備をしてくれ」
 マリーはしばし沈黙すると、「不可能です、マスター」と申し訳なさそうに答えた。この辺りの感情のさじ加減がAIの性能の良さだな、と感心した後で、「不可能ってなんでだ」と唖然として訊き返した。
「先ほどのミーティア級のレーザー砲の一撃が、エンジン系をかすめて破損させたようです。超光速走行は勿論のこと、通常走行もほどなく不可能になります」
「不時着か」
「不時着に最適なポイントの算出に移ります」
 僕はコンソールを叩きたいのを、我慢した。それを叩くことはマリーの体を叩くことに等しい、と僕は思っていた。パートナーに手を挙げるなんてのは、外道のすることだと思っている。そんでもって何の罪もないスタードライバーを追い回した挙句、その愛車を損壊したクズ野郎はもれなく地獄に落ちればいいと思う。
 あの、とおずおずとマリー皇女は手を挙げて、「皇都まで送っていただけますよね?」とすがるように見つめてくる。ここで見捨てれば、僕に残るのは車の修理代というローンだけだ。皇国から相場の倍以上の金額はふんだくってやらなければ気が済まなかった。それだけでなく、皇女の目は潤んでいて、捨てられた子犬のようだった。僕は昔から捨てられている動物に弱かった。どうしても哀れをもよおして連れ帰ってしまう。けれど結局は母に殴られて拾ってきた動物ごと叩きだされて、捨ててくるよう命じられるのだが。その根性が大人になった今でも抜けないらしい。
「なんて、こった!」
 僕は怒りのやり場がなくなって、つい衝動的に推進ペダルを強く踏みつけてしまった。
「あ、だめです、マスター」
 電子のマリーの制止も虚しく、強くペダルを踏まれ、前進を命じられたエンジンは限界を迎え、ぷすんという情けない音をたてて止まり、スターリースカイ号は下降を始めた。
「本当に皇都まで着けるのでしょうか?」
 逆さまになって下降する車内でも、マリー皇女は動じず、自分のペースをあくまで崩さなかった。
「さあて、星にでも願ってみな!」
 愛車を墜落させてスクラップにするものか、と僕は電子のマリーにエンジンの再起動を命じ、ハンドルとホバーペダルを踏み分け、再起に賭ける。
 後ろをちらと見ると、マリー皇女は本当に星に願っていた。
 その願い、叶うことを祈るぜ、と僕は二人のマリーに願った。

〈続く〉


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