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息の中に映る京都と青春(読書記録27)


■つけ忘れた気がする読書記録

間に何か読んでいた気がするのですが、どの本を読んだか分からなくなってしまったので、直近で読んだものからまたつけ始めます。

ということで、今回読書記録をつけるのは、いしいしんじ著:「息のかたち」。

物語の概要は、金属バットが頭に直撃した夏実が人の息のかたちや色を見ることができるようになり、その不思議な力を伸ばすために呼吸の達人に弟子入りしたり、息の力でコロナウイルスと戦ってみたり、高校時代の青春を描いたものです。

この作品は三つの章に分かれていて、一章では主に呼吸の師匠との出会いと修行の日々が描かれ、二章では陸上部での活動と、走り方を小学生に教え、その最中に迫るコロナウイルスと戦うのが中心になります。三章では、陸上をやめ、絵の大学に通おうと予備校に通っている夏実と、叔母の交流、そして母の面影を感じる、そうしたことが物語の中心になっています。

■文学の呼吸 壱の型 締切破り

作中で「息」、という扱っているものの共通点からか、「鬼滅の刃」に言及する場面があります。

確かに「鬼滅の刃」でも呼吸が、扱っている登場人物によって様々なかたちや色で描かれているのが共通しています。「息のかたち」でも物語の冒頭で呼吸の修行をするところなんかは、「鬼滅の刃」を彷彿とさせるかもしれません。

夏実も修行の結果、息を自在に操ることができるようになり、細く伸ばしたり、遠くに離れたものを物理的に動かしたり、色や気配でコロナウイルスが近づいていることを察知したり。副次的な効果として、息を自在に操ることで、どうしてかモテるようになってしまい、一日に何人もから告白されるなど、人生最大のモテ期を迎えることになります。

呼吸の力を使って、遠くから迫ってくるコロナウイルスの大群と戦い、走り方を教えた弟子ともいえる小学生たちを守ろうと奮闘したところは、大きな見せ場だったでしょうか。

■京都のことば

舞台が京都ということで、会話文は京都のことばで展開されます。
いしいしんじさんの、地の文の柔らかな文章表現と相まって、京都のことばのやわらかさが引き立っています(京都のことばはよく二面性をもって語られますが、私は気づかないいけずなので、そこは無視します)。

「夏ちゃん、いまモテたはんのん、男子からだけにみえるやん。でも、どうなんやろ、うちらこないして、夏ちゃん囲てんのんて、どうゆう気持ち。自分の彼氏や、好きなひとに告らせたない、て、ほんまにそれだけやろか。正直、どうなん」

いしいしんじ著:「息のかたち」より抜粋

このセリフは高校の同級生、笙子が、人生最大のモテ期が到来した夏実を迫りくる男子たちから隔離したときに言うセリフです。

たおやかで奥ゆかしい、と評される笙子のセリフに、私は京都のことばのもつ柔らかな音の響きというものを感じました。

全編通して会話文は京都のことばでなされるので、関東出身の私としては、馴染みがない響きの言葉が多く、読んでいてすんなり入ってこないところも正直ありましたが、抵抗感というのは覚えませんでした。
その辺りが作者の力量によるものなんだろうなと思います。

作者が京都在住ということもあり、自然なことばになっているのではないかと思いますが、私は京都の人間ではないので断言はできません。外から見た京都像とことばが一致している、とでも言っておきましょうか。

■苦手な青春物語

苦手です。書くのも読むのも。
年齢的に振り返って「青春」という事象が見えるかどうかというと、果てにぎりぎり見えるかな、というところにいますが、そもそも「青春」らしい青春がなかった人間には、振り返っても何もないのです。

ゆえに実体験を基に、という手は使えず。

じゃあ想像の力で、と言いたいところですが、どんなマジックにも種や仕掛けがあるのと同じく、物語もまったくの無から生み出すわけではなく。様々な知識や経験を繋ぎ合わせて作るものですが、「青春」物語を作るための「青春」のリソースが圧倒的に足らないのです。

読んできていないから。小説も漫画も。
学生同士の恋愛だー、スポーツだー、青春だー、という内容のものには興味がなく、素通りしてきてしまったので、この年になって通過しようとすると、それらはあまりにも眩しくて眼球が焼かれ、容赦呵責なく身を突き刺していきそうで、最早手に取ることはできないのです。

だから、私がもし高校生を主人公にしたとしても、何だか暗い展開だったりとか、奇態な登場人物が出てきて引っかき回したりとかします。

そう、私の書くものに青春を求めてはいけないのです。
青春ってなんなんだ、というのは言葉で真に説明できるものではなく、体験した、言語化できない感情が中心になる事象だと思うので。

■作中で印象的だった文章

幸か不幸か、僕はまだ、なんとかこない生きてますねん

いしいしんじ著:「息のかたち」より抜粋

作中で印象的だったセリフです。
夏実の師匠になる袋田京一が、夏実との初対面の際に言ったものです。
どういうわけか、私はこのセリフが妙に心に残りました。

色彩にせよデッサンにせよ、なにも描かれていない紙の上で、はじめは明確にみえていた色かたちが、紙の上に線が引かれ、絵の具が重ねられていくうち、淡い逃げ水のように遠ざかり、そのうち、どこにも見当たらなくなる。

いしいしんじ著:「息のかたち」より抜粋

心に残った地の文はここです。
小説でもそうだなって思います。真っ新な原稿の上には、想像力の塊みたいなものがひしめいているのに、書けば書くほど、塊は解けてばらばらになり、ちぎれて消えていく。無数にちぎれた塊は、もうどこが本旨だったのかも分からない。

印象的だった部分を引用して、今回の読書記録は幕とさせていただきたいと思います。

それではまた、次回の読書記録で。

〈了〉


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