人生のリセット・リクエスト【短編小説】
「なぁ、ちょっとあれ、見て」
「どうした、急に。」
「あれやばいわ、ちょっと行ってくる」
そう呟きながら荷物を僕に投げつけた友人は、小走りに歩道橋へと向かった。
「ちょっ、と、まって君」
突然の状況にイントネーションがおかしくなった俺の呼びかけは、その子に届いているかわからなかった。
正直なところ、歩道橋から身を乗り出している青年がいる状況下で、声よりも体が先を急いでいた。
「まっ……って。」
そう声を出すことによって力を振り絞り、青年の後ろから手を回す。
その行為に驚いてか、青年の体はビクッと震えていた。
数秒後、僕は腰に痛みを覚え、青年は僕と重なるように倒れ込んでいた。
後ろから「大丈夫?」という声が聞こえ、大きな袋を両手に抱えた友人が顔を覗き込んできた。
内心「もっと早く来いよ」と思ったが、そんなツッコム状況ではないことから、痛みが走る腰を押さえながら立ち上がった。
一方、歩道橋から身を乗り出していた青年は、そのまま座り込み、自分が飛び降りようとした箇所をずっと眺めている。
あまり状況をつかめていない友人は、顔をキョトンとしながらも
「とりあえず、ファミレス行く?」と、その場に合わない誘いをしてきた。
ちょうどそのとき、17時のチャイム「赤トンボ」が流れた。
ファミレスに着くと、隣にいた友人が「奥の席の方がいい」と言うので、席を指定し、仕切りがある席に着く。
まるで僕たちにリードを握られているかのように、指定された方向へトボトボ歩く青年を確認しながら…。
席に着くなり友人は「好きなもの、頼んでいいよ」と、青年にメニューを渡す。
しかし、青年は下をずっと向いたまま5分ほど反応がない。
見かねた僕は「ドリンクバーを頼めば?」と提案し、おなじみのチャイムを鳴らした。
どれくらい時が経っただろうか。
ドリンクバーも2杯目に差し掛かったところで、青年は絞り出した声で僕たちに問いかけてきた。
「どうして、助けたんですか?」
「ドラマでよく聞くセリフだな」なんて不謹慎にも思いながら、青年を見つめる。
青年を助けた友人は、一瞬悩んだ後、このように呟いた。
「死のうとしていたから。」
僕は「まぁ、そうだよな」と思いながら、ストローに口をつける。
ジュースを飲みながら青年の様子を伺っていると、青年は助けてくれた友人。
つまり、自分を助けた人を見つめながら、真剣な眼差しで
「僕は死のうとしていなかった。ただ、リセットしたかったんだ。」
と、呟いた。
今まで、ワイワイと騒いでいた声が聞こえていたはずなのに、その言葉を聞いたときだけ、時が止まったような気がした。
青年の次の言葉を待っていると、店員が料理を運んできた。
それを受け取った友人は、フォークとナイフを探しながら「それはどう言う意味?」と聞き返した。
「そのまんまの意味です。僕は自分をリセットしようとしていただけ。
別に死にたいなんて、一ミリも思っていません。」
その返答に友人は「ふーん」と呟いた後、目の前にきたハンバーグに釘付け状態だった。
「こんなときにハンバーグかよ」と言いたかったけれど、僕はリセットの意味で頭がいっぱいだった。
「ねぇ、僕が思い浮かぶリセットには2種類存在するんだけど、君の場合はどっちかな。」
「2種類もありますか?」
「うん。1つ目は自分自身をリセットするという意味。もう一つは、全てをリセットするという意味かな。」
青年は僕を見つめながら考え込んでいた。
その隣で「うまっ」と呟きながら友人は、ハンバーグを頬張っている。
そもそも、僕が変人という友人だけれど、この状況下。
つまり、自分が助けた青年が必死に歩道橋から飛び降りようとした理由を考えているときに、食べるものではない。
というか、いつ頼んだんだ。
そのハンバーグは。
そんなことを思っていると、青年は話を始める合図のように一呼吸をしてこう考察をした。
「僕の場合は、たぶん自分自身をリセットしたいに該当するんだと思います。」
「それは、どれくらいまでリセットをしたいの?」
「できるなら、胎児から。」
「それは、やり直すという意味?それとも、別の人として生きるという意味?」
「自分の人生を。自分自身をリセットしたいんです。」
「じゃぁ、自分の人生をやり直したいわけか…。」
そこから、また青年との会話は止まった。
僕は口元に手を当てながら、考える。
この青年は死にたいわけではない。
自分の人生をもう一度、やり直したいと願っている。
「ねぇ、今からやり直すってことじゃダメなの?」
僕は、つい心に思ったことを聞いてしまった。
その言葉に反応して青年は、また顔をあげた。
「今から…ですか…?」
「そう、今から。だって、あそこから飛び降りたって君が望んだ方のリセットができるとは限らないでしょ?」
「まぁ、そうですね。」
「死ぬ気はない。けれどリセットしたい。その思いはきっと今からの人生に役に立つんじゃないんのかな。」
「でも、リセットできる確率もあるってことですよね?」
その言葉に、なぜか僕は違和感を感じた。
あの高さの歩道橋から落ちれば、間違いなく死んでしまう。
歩道橋から落ちた身体は、宙を一瞬舞った後、地面に叩きつけられて車に轢かれるだけなのだから。
「念のため、聞くんだけどさ。君は死にたくはないんだよね?」
「もちろんです。自分自身をリセットしたいだけですから。」
「それは、運よく記憶喪失になりたいみたいなこと?新しい自分を解放したいみたいな。」
自分でも何をいっているのかよく分からなかったが、この青年の『リセット』の意味を知るためには、必要な質問だった。
「僕は全部を一回なかったことにして、もう一度やり直したいんです。」
青年は、消え入るような声でそう呟き、初めて目の前のオレンジジュースに口をつけた。
なにが正解がわからない僕は、存在を忘れかけていた友人に目で助けを求めた。
しかし、カランコロンとストローで氷を回すのに夢中な友人には、僕の思いなど届かなかった。
これが終わったら、絶対に高級焼肉を奢ってもらうからな。
届くはずのない恨みの言葉を胸に抱き、僕は頭をフル回転させた。
一つだけ正解なのは、この青年を今日だけ。
いや、この一瞬だけでも救ってあげること。
ただ、それだけだ。
「これは僕の考えなんだけどね。たぶん、あの歩道橋からだと難しいんじゃないのかな。」
「それは、別の場所なら僕が望んだリセットができるってことですか?」
「正直分からない。でも、一つだけ伝えられるのは、君が望んでいる方のリセットをしたい場合には、かなりの運が必要だってことかな。」
「運ですか…。」
「そう。例えば、あの歩道橋から君が飛び降りたとして。
その時の時間帯や天候、人通りや交通状況。そして、人の質の高さによって大きく変化していくからね。」
「人の質の高さってなんですか?」
「分かりやすく言えば、君を助けてくれる確率かな。集団心理やリンゲルマン効果ってわかる?」
「いや、知りません。」
「自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう。という心理効果なんだけどね。これは人数が増えるごとに強く働くんだ。」
「それが、人の質とどう関係しているんですか?」
「君が倒れているのを見ても、誰かが救急車を呼ぶだろうと思う人が何人もいたら、救急車が来る頃には君はもう亡くなっている可能性が高い。」
「確かに…。」
「人の質って言い方は悪いかもしれないけれど、日本人は特に巻き込まれたくないって思う人が多いからね。君の”生きられる確率”というのが周りに人が多いほど低くなるってこともあるわけ。」
僕は、3杯目のコーヒーから揺れる湯気を見つめながら、こう続けた。
「君が望むリセットは、かなり運の引き寄せが必要だね。僕も歩道橋から飛び降りて、また自分の人生を再スタートできるなら、そうしたいよ。」
そう呟きながら、誰が描いたか分からない壁画を見つめる。
「運の引き寄せなんて、考えたことありませんでした。」
そう青年は呟き、続けた。
「人生をやり直すって言い方、あるじゃないですか。あれって、どうすればやり直したことになるんですかね。」
不安がこちらに伝わってくるほど、青年の声は震えていた。
「僕、このまま生きていても人生をやり直す事はできないんじゃないかと思うんです。やり直すって事は生まれ変わるって事じゃないですか。」
「まぁ、それに近いね。」
「でも、その人は生まれ変わってやり直せているって思っていても、周りの人がそう思うとは限りませんよね。」
「そういうこともあるね。」
「それって、その人が勝手に思い違いをしているだけじゃないですか。実際にやり直せているなんて事はない。」
下をむいた青年の目には何が写っているんだろうか。
僕は、ふとそう思った。
「こんなことを聞くのはあれだけれど、君はどうしてそんなにやり直すことやリセットにこだわっているの?」
青年は、少し息を吸い込むと僕を見つめて
「人を殺したいと思ったからです。だけれど、今の日本ではそれは無理でしょ?捕まる覚悟もないし、家族に迷惑はかけたくない。だからといって、この気持ちを抑えるのも限界なんです。」
それを聞いた僕は、唇を少し噛み、息を飲んだ。
さすがに、隣でハンバーグを食べていたのんきな友人も、手が止まっていた。
「あっ、心配しないでください。まだ、そのようなことはしていないので。」
そういう心配なんてしてねぇよ。と言いたかったが、この後の発言によってこの青年の人生を動かしてしまうのではないかと思い、口をつぐんだ。
「んー。どうして人を殺してみたいと思ったのか聞いていい?」
僕は、とりあえず次の回答を考えようと、ありきたりな質問を青年に投げかけた。
「きっかけは分かりません。いつの間にかそう感じていたんです。」
「イジメに遭っているとか」
「ありません。」
「家庭内に問題があるとか」
「ありません。どちらかというと、なんでもやらせてくれるので幸せな方だと思います。お父さんもお母さんのこともいい人だと思いますし。」
「じゃぁ、いつの間にかその衝動を抱えるようになったってこと?」
「はい。その通りです。」
ここまで、人と会話をしていて後悔したことがない。
普通、自殺を考えている人はイジメとかそういうのではないのか。
まさか、このような悩みで飛び降りようとしていたなんて
最近のミステリー小説でも、なかなかないだろう。
そんな後悔の念を抱えていると
「ならさ、別に君が死ぬ事はないんじゃない?」
デザートのメニューを見ながら、友人はぶっきらぼうに言い出した。
「こんな感情を持つなんて、おかしいじゃないですか。だから僕は自分の人生をリセットしてやり直そうと…」
青年が全て言い切る前に、友人はため息をつきながら椅子に座り直し、青年の目を見つめながら、こう言った。
「君は自分勝手すぎる。自分は飛び降りる事でやり直せる!なんて希望を抱いているけれど、君の家族はそのことを了承してくれているわけ?」
「いや、それは…。」
「ほら、みろ。
君がやろうとしていることは、君がさっき言っていた"自分勝手にやり直せたと勘違いしている人”と同じことなんだよ。
運良く記憶喪失にでもなってやり直せたとしても、周りはいい迷惑だよ。」
なぜか、チッと舌打ちをした友人は、店員にいちごパフェを頼んだ。
「でも、僕はどのようにして、この気持ちを抑えたらいいのか分からないんです。」
その答えを聞いた友人は、フッと笑ったかと思えば口を開いた。
「そもそも、そのようになった原因さえ君自身が分からないのに、俺らがその気持ちの抑え方を分かるはずもない。まず、君がやるべきことは原因を探ることだな。そうすれば自ずと解決策も見えてくるものさ。」
「原因…。僕がこうなった原因ってなんででしょうか…」
なぜかこちらに目線を向けてきた青年に少し動揺しながら、僕は答えた。
「君が物心ついたときには、そう感じていたの?」
「いや、そんなことはなかったと思います。」
「じゃぁ、嫌いな人がいて酷く憎んだという経験は?」
「いや、自分で言うのもおかしいですけど、人間関係は順調です。」
「それじゃぁ、ドラマを見てそう思ったとか…」
「いや、テレビは経済系と母親が好きなラブストーリー系ばかりです。」
「これ、カウンセラーとして料金支払われる?」
「……ここを奢るくらいなら…。」
その後、また青年は下を向いてしまった。
僕には、この会話の終わりが見えないように感じていた。
この青年のことを詳しく知っているわけではないし、唯一分かっているのは家族円満で、特に問題となる原因は今のところないということだけだ。
そんなことを思い、時計に目をやると、もう2時間経とうとしている。
「ねぇ…。」
友人が口を開いた。
「はい。」
青年は、友人の方を少しびっくりした様子でみつめていた。
「この会話、終わりが見えないんだけど、そろそろ帰らない?」
「はい。」
青年は、もう心残りはないと言わんばかりにリュックを背負い始めた。
僕は「飛び降りようとした人を放っておく」ことに少し迷ったが、答えは出ないし、これを逃したらいつ帰れるか分からない。
すごい音を立ててジュースを飲み干した友人も、もう帰り支度を始めていた。
お会計を済ませると、外はもうすっかり日が沈んでいた。
「ありがとうございました。」
なんの感謝なのか分からない「ありがとう」を受け取った僕らは、「気をつけて帰りなよ」とだけ言い残し、青年に背中を向けた。
あれから、どれくらい経っただろうか。
青年のことを忘れた2年後、ひょんなことから青年と再会を果たした。
再会といっても顔を合わせたわけではなく、青年はテレビの画面の中。
そして、僕はリビングでくつろいでいるときだった。
ぼーっと見ていたニュースの中に、青年は映り込んでいた。
そのニュースを注視していると、アナウンサーが口早に情報を伝えてくれた。
『○月○日の17時ごろ、閑静な住宅街で殺人事件が起こりました。犯人は息子であるY・K氏。殺されたのはY・K氏の父親と母親であり…。Y・K氏は「早く自由になりたかった」と語っています。』
そこからの記憶は、一切ない。
ただ「Y・K氏っていう名前だったのか」と思うだけだった。
テレビに映った青年は、あのファミレスの青年とあまり変わっていなかったが、目だけが虚になっていたことは確かだった。
その日の夕刊を読むと、さっそく青年のことが面白おかしく書かれていた。
殺した理由は、両親からの重圧に耐えられなかったというものだ。
「成績優秀で優しい青年を変えたものとは」「教育熱心な両親に…」という見出しに、なぜか僕はイラついて新聞をゴミ箱に捨てた。
あのときの青年は、普通に幸せだと言っていたはず。
だが、2年後には殺してしまうほど両親を恨むようになったのだ。
いや、違うかもしれない。
あのときの衝動が抑えきれなくなり、つい両親を殺してしまった。
しかし、それなりの理由をつける必要があるから”耐えられなかった”という表現をしたのかもしれない。
一瞬、青年を助けた友人に電話しようと思ったが、やめることにした。
友人に電話しても沈黙が流れるだけだと思ったからだ。
僕は、あの青年を助けることができなかった。
しかし、どうすれば助けることができたのか分からない。
そんなことを考えていると、モヤモヤとした感情と思ってはいけない感情に挟まれていた。
思ってはいけない感情。
つまり、青年に対して「君の悩みが、ようやくなくなったね。」という感情だ。
この感情は、誰にも話すことはできない。
でも、どうしてかテレビに映った青年を思い返して、そう感じてしまったのだ。
こうして、彼によって僕の悩みもなくなった。
−Fin -
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