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関ジャムを見て、歌う苦しみから解放された日を思い起こした。

先日、関ジャムという音楽番組にてボイトレ特別編が放送された。

関ジャムという番組はただの音楽番組ではなく、かなりニッチな世界まで取り上げる音楽好きには堪らない番組である。
以前もゴスペラーズと、彼らを指導するボイトレの安倉先生が出演するボイトレ回があり、声質の種類など専門的な話をしていた。

そして今回は関ジャニ∞に270日密着し、彼らのボイトレの成果を共に見ていくという、壮大なドキュメンタリーとなっていた。

今までは分析的な音楽の知識に関する話が多く、専門家を呼んで学ぶというような講義型の番組だったのだが、今回はより視聴者(一般)に近い関ジャニ∞が、自分達の身をもってボイトレ効果を伝える形であった。
そのため、一視聴者である私も、関ジャニ∞のメンバーのような気分になって見ていた。

彼らのボイトレの様子、成長や努力を見ているうちに、私はある記憶を思い出して涙を流してしまった。

それは、私自身の、歌うことが苦しくてツラかった日々と、その苦しみから解放された日のことだ。


▶1:横山氏の壁

私が自分の記憶を思い出す引き金になったのは、関ジャニ∞横山裕氏が、自分の歌と向き合っている場面だった。

関ジャニ∞のメンバーの中でも、彼は歌に対して苦手意識があり、今回の番組内でも「僕が歌うより皆が歌った方が良い」「グループに迷惑がかかる」とまで言っていた。

それでも、グループのために、お客さんのために、「ボイトレの先生の言われたことをやるしかない」と心に決めて、自分の苦手分野に向き合い必死に努力していたのである。

彼の姿を見て、ゲストのゴスペラーズ北山陽一氏が、

「音楽をやるならこういう事をやりたい、歌うならこういう歌を歌いたい、という部分と、自分が今音楽的にできることのギャップに苦しんでいる。」

「それができなくても、『伝えたいことがある』『だから歌う』ということにストンと落ちた時に、歌手として生まれ変わる。」

「この苦しみを超えた先に喜びが待っている」(一部抜粋)

と言葉を投げかけた。

この言葉、まるで私にかけられているのか、と思ったような気分だった。
私も横山氏の壁と同じような経験をした事があったからだ。


▶2:私の身に起きた事件

私がこれだけエンタメ好きになった理由は両親にある。
私の両親は大のエンタメ好きで、私はそんな両親の元で鑑賞としてのエンタメはもちろん、自分自身が表現する側となるエンタメの機会を与えられた。

私は物心ついた時から音楽教室に通っていた。
両親は熱烈なステージママ/パパでは無かったが、私に直接的なエンタメ教育もさせていたのだ。

私自身も音楽教室が楽しくて、先生から指導を受けた思い出は幼稚園に入る前のものまで覚えているくらいだ。

小学生になると、私は音楽のみならず、演技やダンスもできるミュージカルを習うことになる。
そして、何回か人前で歌ったり踊ったりする経験、舞台で表現をする経験を重ねていき、小学五年生になった時に事件が起きる。

歌のレッスンは、同世代の複数人で受けていたのだが、私は、周りの友達のやる気の無さに嫌気がさしていた。

思春期というか、これくらいの年になると、かえって真面目にやることが馬鹿らしく感じてしまって、本気でレッスンを受けなくなっていく生徒が何人か現れる。先生も度々ちゃんと歌うようにと怒った。

かく言う私自身も実は100%で歌えなくて、それは同じく思春期的な気持ちだったり、周りと違うことをする怖さだったり、同級生なのに自分よりも歌が上手い子がいる事実を理解できるようになって、歌に自信が無くなったからだったり。それが自分の中でも引っかかっていた。

それでも、やっぱりダラダラやるのは違う気がして、私は大きな声を出して歌った。

そして、盛大に音を外したのだ。

思いっきり音を外したのは初めての経験で、しかもこんな大きな声で外したことも無い。私の外れた音だけがパーンと響いて、そして周りの子にひどく笑われた。

やる気なくダラダラやっている人に笑われる筋合いは無い。でも大外ししたのは自分でもよく分かっていて、何にも言えずに、ただ悔しさとか悲しさとか驚きとか怒りとか、色んな感情で涙が込み上げて、ぐっと耐えた。

そして目に涙を溜めながら我慢する私の頭を、先生は撫でた。

私は自分が何だか惨めに感じて、続くレッスン中は誰よりも小さい声でしか歌えなかった。

何故、あんなに音を外したのか。それなりに高い音ではあった。想像した自分の歌声じゃない声が出てしまった衝撃、自分の声をこうもコントロール出来なんて理解できなかった。

今思えば、声が出しにくくなっていたし、声変わりが始まりかけていたのかもしれないと思う。きっともっと丁寧に歌えば、あの時の実力でも出せる音域だっただろう。

音を外してしまうのが怖い。馬鹿にされて笑われるのが怖い。
一度のその経験で、あんなに楽しかった歌が拷問のように変わった。

次第に声は小さくなる。もしまた大きな声で音を外してしまったら?
そんなことをしたら本当に全てを失ってしまう、歌を完全に歌えなくなってしまう、そんな気がした。

それから私は完全に歌に自信が無くなって、苦手意識が強くなってしまった。音を外して笑われることの不安からレッスンも真面目に受けられなくなってしまうという悪循環で、どんどん歌から遠ざかっていく。

さらに、私は物心ついた時からレッスンをしていた、というある種''芸歴''とも取れるような足枷によって追い詰められた。

長いことやっててそのレベルなのか、と人に思われるのが嫌だった。
実際、最近レッスンに参加し始めた歌が上手い子に「この間、すごい音外してたよね」と笑われた。それも私の傷に塩を塗る形となってトラウマが進行した。

何より、塩を塗ってきた一番の人間は自分自身だった。音楽が好きだからこそ、今まで楽しくやってきた分だけ耳は肥えていて、自分で下手だと分かってしまうのもツラかった。こんなんじゃダメだと自分が一番感じていた。

そして、それから数ヶ月経った小学五年生の終わりに、先生からある課題が出されたのだ。


▶3:先生から出された課題

今年の締めくくりとして、全員に同じ課題曲が出された。

それは、怒りを表すような曲調で、子供が演じて歌うには何分難しい曲だった。CDを聴くと、子供の明るい声とは正反対の深く太い大人の歌声で、しかも静かに沸々怒っていた。

これを今年最後のレッスンにて、一人一人が皆の前でフルサイズで歌うということになった。

私にとって絶体絶命の瞬間だった。
トラウマがフラッシュバックする。あの時に笑ってきた友達の前でフルサイズ歌唱をする。それが何を表すか分かった時、私は怖くて怖くて仕方なかった。

でも、このまま何もしなければ、歌う数分間をずっとツラい思いをして過ごさねばならない。今度はきっと、涙を堪えることは出来ないだろう。

それから、私は毎日何度もその曲の練習をした。
車で出かける時もエンドレスでその曲を流して歌って、家族も覚えてしまうほどだった。

何度も練習している内に、自分が歌いやすい歌い方を見つけた。さらに、どうやったら怒りを表現できるか研究して、より音源に近いような深くて太い声を出せるように練習した。

そしてレッスン最終日がやってきた。

私の順番は皮肉にも一番最後だった。
皆が歌うのを聴かなくてはいけなくて、それがまた私の心を苦しめた。

たまに音を外してしまう人はもちろんいるけれど、あの時の私のようにスカッと完全に大外しするような人はもちろんいなかった。ただ、普段のレッスンを怠っていた子達は、やはりそれなりの歌になってしまう。

私に「すごい音外してたよね」と言ってきた歌の上手い子は、元々声が太かったので、非常に上手く課題曲をこなしていた。先生もよく褒めた。

そして、私の番がやってきて、出番を終えてスッキリしている子達の前に立った。あの時笑った子達、みんなが私に注目している。

私は怖かった。でも、もう乗ってしまったジェットコースターは前に進むしかないのである。どうせ音を外してしまうなら、思いっきりやった方が後悔しない!
急にそんな気持ちになって、今できる全力で歌った。

今まで、生徒の誰一人やらなかったようなオーバーな演技、歌だった。恥ずかしさとか人の目とかそんなもの一切無くなった私に、怖いものなんか無かったのだ。

歌い終わると、先生が一番驚いていた。
スタジオの中の皆がキョトンとしているのが私にとって嬉しかった。

先生は、「音が半音低いけど、怒っている雰囲気が伝わって凄く良かった」と言ってくれた。私は大きく音を外していなかったが、何と全ての音が半音外れていたのである。それでも気持ちでカバーして歌いきってしまったのだ。

いつもと何か違う歌を歌えた気がして、今年のレッスンは終わった。

しかし、次の年の最初のレッスンで驚きの報告があった。
なんと、あの課題曲は次の舞台のオーディションだったのだ。

そして私は選ばれた。
今度はもっと大きな舞台で、お客さんの前で、あの課題曲を歌わなくてはならない。さらにもう一曲追加され、なんとソロ2曲の大役だった。

さらに驚くべきことに、ダブルキャスト(1日2公演あってそれぞれ別のキャストで行う)で私と同じ役に選ばれたのが、あの歌が上手い子だったのだ。

歌の上手い子からしたら、「なんで私があんな下手くその奴とダブルキャストなの?」と思うだろう。
その子からの抗議の視線を強く感じた。

嬉しさよりも、まだ私の地獄は続くのか、という事実に焦りや不安が押し寄せた。


▶4:なかなか乗り越えられない壁

ここから私はどうやって自分の歌に向き合ったのか。実は舞台本番までの記憶があんまりない。なぜなら向き合いきれなかったからだ。

私はやっぱり高音が出しにくくなっていて、まだまだ音程はブレてしまう所があった。それに、あの高音を大外ししたトラウマは未だ健在で、ソロ曲の高音域が近づくたびに緊張していた。

課題曲を練習したときに身に着けてしまった歌いやすさは、「半音下げる」という高音逃れのための悪い癖となって表れた。深く太く歌おうとすると半音下がる、その癖を治すのに非常に苦労した。

もう一つのソロ曲は打って変わって高音域ばかり。そちらはとにかく常に「どうしよう……どうしよう……」と思いながら歌い、緊張のせいで毎回違う歌のように安定しなかった。

それでも本番はやってくる。苦手になってしまった歌うことに対して、とにかく先生が指導してくれることをひたすらにやるしかなくて、自分でも良くなっているんだかあんまり実感できないまま、とにかく練習するしかなかった。

その原動力は「負けたくない、見返してやる」の一心だったように思う。
ダブルキャスト制の良いところであり悪いところだ。

とにかく頑張って頑張って、そして本番はやり切った。
でも、その時は負けない気持ちだけが原動力で、音楽を楽しもうとか、もっと技術を磨こうとか、お客さんに楽しんでもらおうとか、そんなことは考えられなかった。

何度も歌の練習をしたことで、確かに歌に触れ合うことへの恐怖心は薄くなったかもしれない。でも、根本的に「苦手な歌を克服する」という段階までは行けなかった。

舞台は終わったその時は、何となく満足した。
けど、次第に満足感は無くなる。もっとこう出来たとか、ああ出来たとか、そんな気持ちばかり芽生えてしまって、空っぽの達成感が残った。

音楽を好きになればなるほど、目標がどんどん高くなって、それが出来ない自分が悔しくなった。音楽に向き合えば向き合うほど、''私の歌''と向き合うことが嫌になった。

あんなに努力したのに、壁を越える事は出来なかった。
オーディションの時の方がきっと輝いていた。

「伝えたいことは何なのか?」
「私は何のために歌っているのか?」

それが分からないまま。
私は宙ぶらりんだった。


▶5:小さな積み重ねと気づき

それが何なのか見つけるために、そこから私はまた苦しんだ。やっと自分の歌を好きなれたのは、それから5年後の高校2年生くらいである。

苦しみながらも歌から離れることはしなかった。
今まで聴かなかった音楽を聴いたり、カラオケに通ったり、自分の歌声を録音して聴いてみたり、自分の歌声が嫌なことを逆手にモノマネに力を入れてみたり。

結局、自分の歌声には向き合えなくても、根本的に歌が好きであったから続けられたのだと思う。

そうして好き勝手歌っているうちに、一緒にカラオケに行く友達や私の歌声を聴いた人から「一緒にカラオケ行くと楽しい」とか「あなたの歌声好きなんだよね~」なんて、ちょこっと褒めてもらえたことが積み重なって、ある日やっと”私の歌声”に向き合えるようになった。

試行錯誤や、人との出会いや、自分のあらゆる経験が交差して、ある時何だかストンと腑に落ちた。
自分の声を好きになってくれる人がいるの嬉しい!ってか歌うのが楽しいってそれでいいじゃん!なんで気付かなかったんだ!と。

やっと私が私を認められる地点に一歩前進した。
そこまで辿り着くのが大変だった。
楽しい歌が歌えるまでに凄く苦しんだ。でもその苦しみを超えた先には喜びがあった。

今でも、自分の歌声に対して気になることはいっぱいある。もっとこう出来ないのかとか、この音もっとこう出せないのかとか、そもそも私の声質変えられないか?とか。

そうやってまた新しい壁が現れても、喜びを知っているからまた頑張れる。やっと歌う苦しみから解放された。


▶花よ咲け

横山氏の姿、そして北山氏の言葉を聞いて、私はそんな自分の記憶を思い出した。

自分の歌と向き合う苦しさを知っているからこそ、横山氏の並々ならぬ努力に尊敬した。北山氏の経験談、熱く心強い言葉に美しさを感じた。

それに、私は関ジャニ∞の歌に助けてもらった。
苦しんでいた時に、今まで聴かなかった音楽を聴いたと言ったが、その一つが関ジャニ∞であった。全く興味のなかったジャニーズというジャンル、偶然出会ったのが関ジャニ∞のアルバムだ。

そこで一番最初に耳にした歌声が横山氏の声だった。彼の歌声は今まで聴いたことがないような不思議な歌声で、鼻にかかっているような、それでいてウィスパーな、優しいけどくどい、かなり変わった声をしていた。

他の関ジャニ∞のメンバーもそれぞれ個性豊かな声をしていて、ハモったりユニゾンをしたりすると、個性がぶつかり合って不協和音になった。特に横山氏の声は相性が難しくて、彼と誰かの声が重なるとむず痒くなった。

でもそれが、次第に癖になって、気が付けば心地よくなっていった。彼らの奏でる”心地いい不協和音”という不思議な音色にすっかり虜になった。

それは個性的な声の魅力を身体で感じた瞬間だった。ある意味、この出会いが私の自分自身の歌声、個性に向き合えるきっかけになったとも言えるのだ。

そんな私のきっかけになった横山氏が、何年もの時を経て、今一度自分の歌声と向き合っていると知って、何だか感慨深くなった。
あなたのおかげで、その壁を超えられた人間もここにいるのだと伝えたくなる。

苦手意識のあるものや、自分自身に、真っ直ぐ向かい合うには相当のパワーがいる。その苦しさを乗り越えられた時、人間は大きな芯を持って花を咲かせるのだ。

私の苦しみながらも努力した日々や鎖から解き放たれた瞬間、そしてそのどれもが新しい壁を乗り越えるための糧になっていることを思い起こさせてくれるドキュメンタリーだった。


🌈最後までお読みいただきありがとうございます

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