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ポンコツストーリー5 -芸術性の根源にあるもの-

これまでのポストを読んでくださった方は、私の特異なセンスをある程度把握してくださったことと思われる。
それが、大衆に受け入れられるものかどうかは別として美術や芸術にはものすごく感心があったし、自然界のデザインにも非常に興味があった。

大層なタイトルを付けてしまったが、ただの気まぐれである。私の生い立ちが書かれているだけなので、違う目的を求めて開いてしまった方は閉じることをおすすめする。

前回も少し触れたが、車やバイクのフォルムやエンジンの形状に関心を持つようになったのは父親の影響が大きい。

美術や芸術への関心は、母からの影響が大きい。

実家は東京の下町にあり、上野にもほど近いエリアだ。
上野といえば、国立美術館、国立西洋美術館をはじめ、藝大の美術館なども含め美術館が多数点在しているエリアでもある。
比較的行きやすいという理由もあったと思うが、母は西洋美術が好きだったので小さい頃から美術館にはよく連れて行ってもらった。
加えて、デパートなどで開かれる特別展などにも必ず連れて行ってもらった。
ミレーの「落ち穂拾い」や、レンブラントの「夜景」など絵画の有名どころだけでなく、ツタンカーメンの黄金のマスクが日本で展示さるときにも見に連れて行ってもらっていた。
なかでも、国立西洋美術館にあったクールベの「波」や、レンブラント展で見た「夜景」など比較的色調が暗めな作品が私の好みだった。

ツタンカーメンの展示のときには、それと共に多数の埋蔵品も展示されていたが、ツタンカーメンのマスク本体よりも小さな虫やエジプトの神々を模した小さく抽象的な作品の方が興味をひいた。

それらの展覧会の際には、帰宅後も楽しめるようにカタログや、特に気に入った作品のポストカードなども買ってもらって部屋に飾ったりしていた。

また、爬虫類展などもよく連れて行ってもらっていた。
南国に生息する、毒々しい色の蛇やカエル、トカゲ類などが一堂に会する展覧会だ。
鮮やかな色の赤やオレンジ、黄色に緑と見ているだけで心躍るような色彩だ。
もちろん、こんなものとたまたま歩いていたジャングルで出会ってしまったら穏やかな気持ではいられないだろうが、ガラス一枚隔てた安全な場所で観察してみると本当に美しいのだ。
小さなウロコ一枚一枚に色がついていて、動くたびにそれらが伸縮していく様子はゾクゾクするくらいに美しい。
ただ、自然界が本当にすごいと思うのは、猛毒を持つ個体ほどこの色が鮮やかだということだ。
まるで人間に近づくなと言わんばかりの威圧感。
この色彩センスも私のセンスに少なからず影響を与えたと言わざるを得ない。

このように幼少の頃から、非常に芸術性の高い作品に数多く触れさせてもらっていたにも関わらずアウトプットされた作品があのようなものなので、母のがっかり顔は想像に難くない。

とはいえ、何かを作る、何かを描くということに関心が高かったため、高校はいわゆる普通科ではなくアート系の科がある学校に進学した。
高校を選択する年齢になると、自分が「普通」ではないことは自覚していたので「普通科」にいくことはふさわしくないと考えていた。
「普通科」とはそういう意味ではないということは後になってから知ることになるのだが、当時の私にとって「普通科」とは非常につまらない所という印象しかなかったのだ。
絶対に自分が行ったら浮くであろうことは理解していた。

進学に関しても、しっかり考えたように見えて実は何も分かっていない程度のポンコツではあるのだが、親は私の選択に異議を唱えることも説得することもしなかった。

ちなみに、このシリーズでは私のポンコツエピソードを書いているが、思い出せば出すほど親が以下に寛容であったかを思い知ることになっている。
このエピソードを書いたからなのか、歳のせいなのか分からないが親には感謝しかない。
イキっている日本人ヒップホッパーが突然に、そして必ず行き着くと思われる「マジ両親リスペクト」状態である。
きっと、彼らも私と同じように両親が自由にさせてくれた末にやりたいことをやれており、それに満足しているからこその「リスペクト」なのであろう。

そんなことで、このシリーズを書くことで親への感謝も深まるので、もう少し続けていこうと思う。

今回は、特におもしろエピソードもないので好きな映画をあげておく。
ティム・バートン「ビッグ・フィッシュ」
前回に引き続きティム・バートン作品だが、この映画は彼の作品の中でも特に好きだ。
父親の空想のように思える生い立ちや自分の半生、それを聞かされてきた息子は父親と距離を取りたがるが、それらのストーリーに出てくる人に会いに行き、父の素性を知り…
とはいえこの映画、空想と現実が非常に曖昧に作られていて何回見ても視聴後に不思議な浮遊感にとらわれるのだ。
この映画の主人公も、最終的に父親をリスペクトし、自分の子どもに父親から聞いたおとぎ話のような話を聞かせ、このストーリーを受け継いでいくというような内容に私は捉えているのだが、おそらくこの映画の考察や解釈は様々だと思う。
いずれにしても、どんな親でも尊敬や感謝を持って接することができれば双方にとって幸せなのだろうと思う。

という、ちょっと真面目そうなことを書いて今回はおしまい。

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