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喪失と悔恨と再生と明るい笑顔と

「シヴィル、思い出さない日はないわ」
ドラマ「ダウントン・アビー」でこんなセリフがあった。
産褥で夭折した三女シヴィルを悼み、祖母バイオレットが言った言葉だ。

僕の母も同じことを言っていた。思い出さない日はない、と。

妹の法事のため帰省し家族で朝食を囲んでいた時、テレビで「ごちそうさん」の総集編をやっていた。子供を戦争で亡くし己を失っていため以子に緑子さんが

「子供を失った悲しみは一年や二年泣いたところでどないもなりはしまへん」

と言った。僕ら誰もが母は今この言葉をどう聞いただろうかと思っていた。

なのでシヴィルのエピソードは見ていて辛かった。自由で奔放で因習に囚われない三女というところも、妹によく似ている。

確かに一年や二年は、泣いてもどうにもならなかった。しかし三年経って変わった。「忘れた」でも「薄れた」でもなく、ただ「変わった」。それは自分でもよく分かる。言葉にするのは難しいが、悲しみと喪失感が自分の一部となって、そこにあるのが自然になったのかもしれない。

それも含めての僕であり、僕の家族だ。妹はいなくなった。声は聞けないが、確かに僕らと共にある。

僕も思い出さない日はないよ。

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