タナカユウイチ

雑文を書くのが好きです。フォローすると幸せになります(僕が)。

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最近の記事

人は何を残すのか

今日(2月19日)は父の命日だった。 例年のように遺影を横に霊会通信をしながら二人で飲んでいる。 これも例年通り「今年もお前はパッとしなかったな」と説教されている。 父が他界して15年くらいになる。 年を追うごとに降りかかる人生の問題も増えてきて、もっと父親として、男としての身の処し方について教えを乞うておくべきだったという後悔も年々強くなってきている。 たぶんそんな事を考えているからあの世からも父に説教されるのだろう。 来週は子供の誕生日だ。 奇しくも、というべきか、父

    • 別の裏通りを夢見て

      今日も終電に滑り込み、深夜の裏通りを家族の待つアパートに向かって歩いている。体は8時間噛み続けたガムのようによれよれである。もう何年こんな毎日を繰り返しているだろう。 家までの最後の坂を登りながら、ふと思う。あの時別の道を選んでいたら、今は違う道を歩んでいたのだろうかと。 疑問は一瞬で消えた。別の道を選んでいても、今とは「別の」日本のどこかで、「別の」終電に乗って、「別の」裏通りを歩いて「別の」家族の待つ深夜のアパートに帰っているだけのことだ。環境のせいで今がこうなんじゃない

      • Y先生のこと

        半世紀近く生きてくると、これまでの来し方を振り返る事も自然と多くなる。 そして稀にだが、幼かった頃や若かった頃の自分と今の自分を重ねて眺めてみると、あの時のあれはこういう事だったんだな、と「人生の答え合わせ」みたいな考えに至る時がある。 高校時代にY先生という方と知り合った。担当は国語(と古文)で、高校の時に3年間教えを受けた。 その当時は明確にそう思った事はなかったが、Y先生は僕が自分の適性に気が付く機会を与えてくれた人だった。 先生自身も確か新任だったのだが、先生

        人は何を残すのか

          命日に

          今日は、父の命日だ。 毎年のように遺影を前にして、父の好きだったスーパードライを飲んでいる。 今年はいい報告と悪い報告が両方できた。 昨年と一昨年は悪い報告だけだったので、ずいぶんマシだ。 と言っても、あっちから見てる父には全てお見通しなんだろう。 「幾つになってもしっかりしない奴だ」と怒ってるか、それとも「まあ…しょうがない」と笑っているかのか、それはなんとも言えない。 ただ、この歳になってみると、やはりもう一度会いたいなと思う。父も僕ぐらいの頃に同じような葛藤や悩みを抱え

          感謝(匿名の)

          毎月、月初に神社にお参りをしている。 前月の反省とか今月の抱負とか、後はお願い事をしたりしている。 昨年末までは一年半ぐらいずっと、家内の心が少しでも軽く、楽になりますように、ばがりをお願いしていた。 その家内は年が明け類友頃からようやく落ち着いてきた。 その入れ替わりで、次は子供が高校受験を迎えた。 それまでは家内にかまけて優先的に祈ってやれなかったが、今度は子供が、悔いなく力を出し切れますように、とそれだけを願った。 子供は無事志望校に合格した。 こうして僕らは新し

          感謝(匿名の)

          待合所の二人

          会社を出て家に帰るため最終のバスを待っていた。 待合所に人は少ない。隣に、家財道具一式の詰まったバッグを2つ持った、ホームレスと思しき人が居る。知り合いではないがよくここで会うので(おそらく向こうにも)面識がある。 最終が無くなり待合所が閉まるまでの短い時間をいつもここで過ごしているのだろう。 知らない人を観察して回るような趣味はないので、人となりなどはよく分からない。もちろんどういういきさつで今のような暮らしをしているかなど、僕には想像のしようもない。 (極端に言えばホーム

          待合所の二人

          縁が切れてしまった人達も、今この瞬間もどこかで生きていると考えると感慨深い。 同じ空の下にいるのだ。

          縁が切れてしまった人達も、今この瞬間もどこかで生きていると考えると感慨深い。 同じ空の下にいるのだ。

          喪失と悔恨と再生と明るい笑顔と

          「シヴィル、思い出さない日はないわ」 ドラマ「ダウントン・アビー」でこんなセリフがあった。 産褥で夭折した三女シヴィルを悼み、祖母バイオレットが言った言葉だ。 僕の母も同じことを言っていた。思い出さない日はない、と。 妹の法事のため帰省し家族で朝食を囲んでいた時、テレビで「ごちそうさん」の総集編をやっていた。子供を戦争で亡くし己を失っていため以子に緑子さんが 「子供を失った悲しみは一年や二年泣いたところでどないもなりはしまへん」 と言った。僕ら誰もが母は今この言葉をど

          喪失と悔恨と再生と明るい笑顔と

          出自不明の言葉

          僕はよくノートの隅にメモをしている。 仕事のこととか、こうした日記のネタとか、単なる思い付きとか、内容はいろいろだ。 あまり目的があってのことでもなく、なんとなく「忘れたら損だな」ぐらいの気持ちで書いている(書いたこと自体をすぐ忘れてしまう)。なので中には落書きとしか言えないものもあるが、調べ物のついでとかなにかの折に目に入ると結構面白い。 今日、ノートのページ数が少なくなったなと思いながら何気なく最初の方をめくっていたところ、 「迷ったときは、高いところに登れ」

          出自不明の言葉

          形状と思考の類似性についての考察

          1.形状の類似性Twitterを見てたらタトゥーの事を呟いている人がいて、それを読んでふと「僕がタトゥーを入れるとしたら何の図案にするか」について考えた。 答えはすぐに出た。 鳥取県(の形)しかない。 今でも魂を置いてきている僕の故郷であり、さらになんとなくPUMAのロゴにも似ていてカッコイイからだ。 昔、会社の同僚に「今朝、駅で向こうからプーマのでかいロゴの入ったTシャツを着てる奴が歩いてきて、近くで見たらヒョウじゃなくて熊の顔で、"KUMA"ってロゴだった」という話

          形状と思考の類似性についての考察

          「前向きにと言うが、前ってどっちなんだろう」と悩む人に、「あなたが今向いている方が前なんだよ」と答えたという話を前に読んだ。自分を肯定しきれない時に、ふとこの言葉を思い出す。

          「前向きにと言うが、前ってどっちなんだろう」と悩む人に、「あなたが今向いている方が前なんだよ」と答えたという話を前に読んだ。自分を肯定しきれない時に、ふとこの言葉を思い出す。

          もらい事故

          昔、「色々なことが起こるものだなあ」と思った時の話。 ある食品メーカーのカタログを、制作期間3か月にしてにめでたく下版した。 2万部印刷で月曜日納本の予定だったが、水曜日に印刷会社から連絡があり、刷り直しをさせてほしいと言ってきた。 文字が欠けている部分があるとのことだった。 営業づてだったので要領を得ない部分があったが、どうやらブランケットに問題が起きたらしい。 刷り上がり、箔押しも製本も終わった後に気が付いたようで、しばらくしてからそのだめなカタログを見ることが

          涙と想像力

          僕は小さい頃、いつも泣いて(なかされて)いた。図体が大きいのにすぐ泣いてしまうのがコンプレックスだった。 元々涙のハードルが低いのだが、年を取るにつれてさらにそれがひどくなった。 特に子供はいけない。 自分の子供はもちろん、よその子供でも泣いている姿を見るのは嫌だ。 もっと言うと、「泣いている子供の絵」を見ただけで悲しくなってくる。 前住んでいた土地で、地元の商店街が作ったものだろうが、危険を感じた子供がこのお店に避難してもいいと呼びかけるポスターを見た。「こわくなったら

          人生再設計第一世代なんだそうだ

          出世魚、と呼ばれる魚がいる。 成長過程において呼び名が変わる魚のことで、有名なものではブリなどがそうだ。例えば関東では、稚魚から成魚までで ワカシ → イナダ → ワラサ → ブリ と呼び名が変わる。〜wikipedeiaより〜 (山陰では、ショウジゴ → ワカナ → メジロ → ハマチ → ブリ、だそうだ) これを人間で考えてみるとだ。 例えば中学生がゲーセンで恐喝されたら、「カツアゲ」である。 が、僕が巣鴨で恐喝されてたら、「あ、オヤジ狩りだ」と言われるだろう。

          人生再設計第一世代なんだそうだ

          夜の高速バスですれ違った青年のこと

          最終の時間ギリギリだったのでバス停まで小走りで急いだのに、バスはいつものように少し遅れて来た。 バスのタラップを上がりながら、定期はコートの左右どちらのポケットに入れただろうかと探していたら、ふと一番前の座席に座っている人が目に入った。 まだ若い。20そこそこぐらいだろう。ぼさぼさの茶髪に黒いスーツを着ているが、普段着慣れていないのが見て取れた。 定期は右のポケットに入っていた。リーダーにタッチすると、空いている席を探した。 先ほどの彼の横を通ると、彼は首を垂れて何かに見入っ

          夜の高速バスですれ違った青年のこと