俺の赤字経営マニュアル
前回までのあらすじ:
窓枠のコーキングのひび割れから雨水が入り、社内に水があふれ出た。
築25年を経て、全ての窓枠にヒビが入っていた。
俺は、社長になってから、親父が作った巨大な社屋の経費を削減すべく、補助金を使って様々な修繕工事をやった。
一方では、事業所内保育所をつくり、社員不足を回避した。
こうやって色々やってきてわかるのは、経営者って大変だということ。
サラリーマンから経営者になるということは、考え方を180度変えるということでもあった。
要するに、給与をもらう方から、給与を支払う方になるということなんだけど、単純にこれだけではない、根本的な意識改革が必要だったんだ。
経営者になるって、嫌われる覚悟いるよなあ。とつくづく思う。
経営が厳しいと昇給が難しい。
だから、アメリカのスタバのアルバイト社員の時給額を聞いて正直ショックだった。
それでもなんとか、毎年わずかだが昇給はしている。
しかし、俺が故郷に帰って20年間、社員の給与はあまり上がってない。
日本経済と同じ流れだ。
そして、たぶん、ぜったい、賞与は20年前より少ない。
公務員や大企業とは違って、給与や賞与をどんどん上げていくことはできない。
一方、俺たち経営者の給与は、経営が厳しいと見直しをして大幅に減額したりするんだが、基本的に社員の給与より高く設定されている。
もちろん、経営者だからっていうのはある。全ての責任を負うんだからな。
でも、じゃあ、具体的にどういう責任を負うんだ?と思うだろう。
目に見える例だ。
それは、いざというときの自己資金投入。
ある時、運転資金である当座預金がいつの間にか0になっていた。
当時は、口座を預かる役職社員がいて、日々口座管理をしてくれていた。
けど、残念なことに、間違えずに入出金をすることは完璧だったが、口座の残高が減っていることには無関心だったんだ。
社員から連絡を受け、慌てて親父が自分の預金を投入した。
その当時の俺には気づかなかったが、今思えば、運転資金の流れを見るっていう一番大事な仕事ができてなかった、ってことになるよなあ。
親父とともに仕事して、10年間で学んだことは、経営者になったということ。
だが、しかし、親父のやり方は黒字経営のやり方だった。
俺が社長になってからは、運転資金の管理は全く怠っていない。
なぜなら、赤字だから 笑。
借入れをする際にも、全てを借りると返済も大変になることから、一部自己資金を投入する、ということも実際やった。
自己資金を投入することは、やり過ぎると良くないが、効果的に使うと、経営も楽になる。
会社からは、利息なしで、毎月少額ずつ返済をしてもらう、という仕組みだ。
・・・・
実は、故郷に帰ってから、俺が帰ったことで親父の作った会社が潰れてしまわないかって、すごく怖かった。
何で結果が出ないんだろう。
俺の努力が足りないのか。
俺の能力がただただないのか。
世間では、素晴らしい経営をしている社長たちが紹介されている。
赤字を黒字に転換させた、という人たちの話が特に多い。
本当に自分が情けなかったよ。
でも、黒字倒産というのもあるんだよな。
決算はもちろん黒字であるべきだけど、決算書が黒字になっていても、現金がなければ倒産してしまうということなんだ。
だから、親父は貯金しながら借入れをした。これは正しい選択だったということだ。
言い方を変えると、万が一、運転資金がなくなっても、どこかに現金があれば、それを取り崩して使うことで、経営を続けることができる、ということだ。
それはもちろん、会社の別の預金でも良いが、定期預金などに入れているとすぐに引き出せない。そこで、経営者の給与が大事になってくる。
だから、運転資金が無くならないように常にチェックすることが必要。
上手に運転することが大事だということだ。
そんな俺だったが、コロナを前にして、新たな問題に直面することになった。
ああ、一息つく間もない、、、
つづく
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