【ブログ投稿100回目記念】ペンシルママが文章を書くようになった訳

ペンシルママです。この記事でブログ投稿100回目となります。とりあえずブログを初めて100作を目標にしてやってきたので、ようやくここまでこれたという達成感でいっぱいです。これまで記事を読んでくださり、スキマークを下さった皆さま、本当にありがとうございます(*'ω'*)今日はペンシルママがなぜ文章を書く(ブログを始める)ようになったのかについて書きたいと思います。

子どもの頃から母親がテーブルで物書きをしている姿を見てきました。何を書いていたのかは分かりませんが、日記だったり、原稿用紙に書いていたこともあります。新聞に投稿したりもしていました。そして時々母の書いた記事は新聞に載りました。母は丁寧に、新聞社に送る前の原稿と、載った新聞記事を見比べさせて、「こんなに文章直されてるよ((笑)」なんて言っていました。そして新聞に載るとお礼に商品券が送られてきました。それを時々ペンシルママや妹にくれたのです。「お母さんの原稿でもらったから、お母さん作家だね(笑)」なんて言っていました。

母はそんなわけで昔から文章を書いたり字を書くのが好きだったのでしょう。母の抱えるストレスも知っていました。字を書くことでそんな自分の内面を落ち着かせ、心と向き合っていたのかもしれません。

ペンシルママが高校生になった時、小学校の時の担任の先生に、懐かしくなって会いに行きました。その時に先生は母の書いた新聞記事を読んでいると教えてくれました。それにはびっくりして嬉しくなりました。母の書く記事は私達姉妹を題材にしたものもありましたから。
母は後にペンシルママが結婚式でバージンロードを歩いたことを書きました。それも新聞に掲載されたので、小学校の先生はペンシルママが結婚したことを、記事を通じて知ってくれたでしょうか。。先生はとっくに定年退職されている年齢ですし、もう会おうにも叶いません。高校生の時に「先生、また絶対来ますからね」とお伝えして以来、行けずじまいでした。学校は決して良い思い出ばかりではありませんが、その時その時で寄り添ってくれた大人が、親以外にもいたことは、自分の心の支えとなり、何とか無事に大人になれたのだと思います。

少しさかのぼり中学生の時です。担任の先生との面談で「あなた文才あるわよ。」と褒められたことは今でもよく覚えています。先生は英語の先生をしていましたが、とても優秀な大学を出られた方で、ジャーナリスト志望だったそうです。たくさんの文章を読み、書いてきた先生にそのように褒めて頂けたのは少しの自信となりましたが、当時は全く文章を書くことに興味がなかったのです。この頃にもっとこの特技を磨いていければ、今頃違った人生を歩んでいたのかもしれないと心の奥で思うことがあります。

そうして長い年月が経ちました。「5年日記」をつけ始めて4年目に突入しています。最初は何を食べたとか、どこへ行ったかといった内容ばかりでした。すっかり忘れていて何日分もまとめて書いた日もありますし、適当な一行だけの日もありました。しかし、過去に書いたものを読むと不思議とその時のことが蘇ってくるのことがあり、それが面白かったです。そのことが記録を残す意義となり、そして書く意欲へとつながったと思います。

ペンシルママはインターネットやソーシャルメディアがひどく苦手ですし、パソコンも文章を書いたりネットサーフィンをすることしかできないアナログ人間です。ブログを始めることもとてつもない恐怖があり、何年も始められませんでした。「今年こそはブログを、今年こそは・・」と年初めの目標に何度公言していたことでしょう。

しかし今年はついに「noteブログ」を始めることが出来ました。ペンシルママにはとてつもない大きな一歩でした。写真を上げるのにはまだまだ時間がかかりそうですし、一生上げられないかもしれません。ですがペンシルママはやはり文章が好きです。写真という視覚は情報を得るには手っ取り早いですが、これまでの人生で心を打たれたものは文章が多かったからです。ですのでペンシルママはこれからも文章を書きたいと思います。

「収入になるか」とか「仕事」とかそういうものを超えて、今は「ライフワークとして作家になりたい」と思うのです。ペンシルママが文章を書き始めた理由を書いてみました。

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