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【嫌われる勇気】すべての悩みは「対人関係」の悩みである

「嫌われる勇気」はアルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を鉄人と青年の対話形式で紹介している本である。

私は、アドラー心理学はもとよりフロイト、ユングの教えさえも詳しくは知らない。
しかし、ここに登場する青年もまた私と同様にアドラー心理学を知らない。
青年が同じ視点に立ち、私たちと同じような疑問を持ちながら話が進んでいくので、心理学がよくわからない人にとっても解釈がしやすい構成になっていると思う。

ここで紹介される思想は、中にはとても納得できるものがあり、中にはさすがに言いすぎじゃない?と思うこともあり、人によってさまざまな意見が出てくると思う。
しかし、こんな考え方もあるんだなぁと知っておくことで、人生が少し楽になるような本である。

ここではそんなアドラーの思想をいくつか紹介し、私が感じたことを述べていこうと思う。

すべての悩みは「対人関係」の悩みである

「人間の悩みは、すべて人間関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙の中にただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。

『嫌われる勇気』p71

多くの悩みは「対人関係」の悩みである、そう言われたら私はとても納得する。
家族、恋人、友人、上司、同僚などとの関係についての悩みがなくなれば、確かに多くの悩みを感じることはなくなるだろう。
直接的に人間関係に関するものでなくても、例えば顔や体形に関する悩みは人目があるから悩みとなり、自分しか存在しない場合それは単なる事実でしかない。

ここまでは理解できる。
しかし、「すべて」とまでは本当に言い切れるのだろうか。
私は反例を考えてみた。

・病気が進行し、体が痛い。
・おなかがすいたけど、食べられるものがない。

…意外と思いつかない。
1つ目は悩みと言ってよいのか?とか、2つ目はだれもいないということは野生の食材は食べ放題なんだからそんな悩みは生まれないとか、定義が曖昧なため、重箱の隅をつつくような例は出てくるが思ったより悩みは最終的には人間関係に終結するもんだなぁと思った。

以下私の今思いつく悩み
・お金をもっと稼ぎたい:もっと好きな服とか旅行とか行きたい→服誰にも見られないからなんでもよくない?誰もいない土地に一人で行きたいとは思わない、、

・恋人とたまにうまくいかない時がある:もはや恋人という概念がない

・転職したい:もっと給料と聞こえがいい会社に入りたい→人がいないとお金使わない。聞こえとかいう評価基準がなくなる。というより、まずは転職ができない。

・痩せたい:誰も見てないなら好きなだけ太っていてよい。

確かに人がいなければ、悩みはなくなるけど、なくなって欲しくない便利さや楽しさも同時になくなっている、、

素人の私が偉大な心理学者にケチをつけるのは何だが、私がこの章に題名をつけ直すとしたら

「今あるほとんどの悩みは対人関係の悩みであるが、今の社会を経験したまま人間がいなくなると他者がいたことによる幸せの大きさにも気づいて結局余計病みそう」

こんなところであろうか。
回りくどくなってしまったので、やはり素人がでしゃばるのはやめておこうと思う。

言い訳としての劣等コンプレックス

アドラーは劣等感を、「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」だと考えている。
そして、通常使われている意味での劣等感は正しくは「劣等コンプレックス」であると述べている。

この2つの違いは以下のようである。
劣等感:理想の自分と現状を比較して、自分が劣っていると感じること。  
    誰もが持っているものであり、成長の促進剤にすることができればむしろ良いものである。

劣等コンプレックス:劣等感を言い訳に使い始めた状態。

背が低いことに劣等感を感じている人を例にとるとこのようなことだろうか。
①解釈を変更
背が低いことで人に威圧感を与えず、親しみやすい印象を持ってもらえる
→劣等感ではなくなる

②よい劣等感
背が低いことは気になるけど、その代わりに勉強や仕事を頑張って高身長の人以上に魅力的な人間になろう
→劣等感を成長の促進剤にする

③劣等コンプレックス
背が低いからだれからも好かれない。ほかのところを努力しても無駄だ。

私の解釈が正しければこういうことだと思う。

このように見ると劣等コンプレックスを抱いている人に対して、なんて心の貧しい人なんだと思うかもしれないが、私には劣等コンプレックスの心当たりがたくさんある。

学歴が高く年収が高い仕事についている人に対して、仕事の悩みを話しているときにまぁあなたにこの悩みはわからないだろうね、と思ってしまうことがあった。

じゃあ私は何か努力をしているのか?というと、自信をもってしているとは言えない。
そんな不甲斐ない自分への悔しさを何も関係ない相手への怒りに変換してしまう私にとって次の文はとても納得すると同時に、耳が痛かった。

単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また現実的な努力をしたくない。いま享受している楽しみーたとえば遊びや趣味の時間ーを犠牲にしてまで、変わりたくない。つまり、ライフスタイルを変える"勇気”を持ち合わせていない。多少の不満や不自由があったとしても、いまのままでいた方が楽なのです。

『嫌われる勇気』P83

そしてこのような人が陥りがちな心理状態として「優劣コンプレックス」があるという。

優劣コンプレックスとは、あたかも自分が優れているようにふるまい偽りの優越感に浸ることである。

その方法として、自慢をする、反対に不幸自慢をすることがあるというがこれもなんとも耳が痛い話である。
今の自分に満足していないから過去の栄光にすがってしまう、大変な環境から努力した自分を表現するために自分の過去の不幸話をしてしまう。
どちらも身に覚えがある。

そしてこのような「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」を解消する方法として人生を他人との競争ではなく、自分との競争であるととらえることが重要であるという。

人は能力さはあれど対等であるということを理解する。
一直線上ではなく平面上に人々がいるという意識を持ち、他人との比較をなくせば劣等感もなくなり、他者を攻撃することなく、仲間として幸せを喜べるようになる。

これらは今の自分に必要な考えであると思っている。
すぐに思考を変えることは難しいが、これらの自分の目標がうまく言語化されただけでも、劣等コンプレックスのない自分への一歩だと思う。

普通であることの勇気

先ほど述べた「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」を解消する最も必要なもの。
それを端的に表している言葉が「普通であることの勇気」だと思う。

私には普通であることの勇気がない。
特別すごい人にはなれないし、特別悪い人にもなれない。

だから普通じゃないすごい人に対して嫉妬心を抱いてしまうし、いわゆるレールから外れて生きている人に対してなんだかうらやましさのような感情を抱いてしまう。

自分が普通であることは誰よりも自分が一番わかっているのに、それを受け入れられないから苦しい。

ではどうすればよいのか。
この本にはそのヒントが書いてあった。

まず、人生を点の連続であるととらえること。
我々は「いま、ここ」にしか生きられない。
だから、何かの途上なのではなく、「いま、ここ」をただひたすら丁寧にいきていくことが大事だとアドラーは言う。

しかしそれでは向かうべき方向が分からなくなってしまう。
そんな時指針とするべきは「他者貢献」であるという。

他者に貢献するという導きの星を見失うことがなければ自由に生きてよい。

すごくシンプルだけど、この考えのもと生きていけば生きるのが楽になるような気がした。

アドラーの教えは一見突拍子の内容に聞こえるが、自分の感情や経験と照らし合わせてみると納得できるようなものも多いと思う。

人によって抱えているものは様々だから刺さる思想は人それぞれだと思うが、複雑化した現代社会において、アドラーの新しくかつシンプルな教えは複雑に絡まった糸がほどけるような感覚を感じさせるものだと思う。

今回紹介したもののほかにも面白い教えはたくさんあったが、今の私に刺さるものは特にこの3つであった。
きっと、違う悩みを抱えているときに読んだら違う感想が生まれてきそうな本なので、またしばらくしたら読んでみようと思う。


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