小さい頃、漫画や映画から「良き人生へのヒント」を得ていた、が、今は平凡・・・
小学生の頃。
ちばあきお氏の、「キャプテン」(漫画)が大好きだった。野球が下手な谷口ががんばる話。決して上手くない弱小チームが、谷口キャプテンを信じて、その努力に惹かれて、がんばる話。やさしいリーダーシップ。キャプテン翼と違って、最初から野球が上手いわけではない。努力が報われるわけでもない。でも、がんばるってことの素敵さを感じた。
シュリーマンのトロイ遺跡の発掘。今では、彼には虚言癖があり、嘘ばかりと、賛否両論。でも、小学生当時のボクは、伝説・神話を事実と信じ、そのために努力して金持ちになって、その資産で発掘を志した話に心を打たれた。考古学者が活躍するインディアナ・ジョーンズ(映画)の1作目を父に連れられ映画館に行ったのは小学生か幼稚園あたり、その影響も加味されて、夢、努力、勝利を信じたものだった。
さて、こんな小学生は、ありがちな流れで少年野球に入る。が、漫画と現実は違う。偉そうな先輩に、監督も暴力的(だった記憶)。坊主で、水も飲むなの時代。仲間意識もなく、がんばる気がうせる。集団行動・不条理な上下関係に嫌悪。。。「キャプテン」を繰り返し読みながら、どうして違うの、って悲しい気分。。。
また、高校での進路を決める際、大学での専門は考古学ってありか?と考えたが、そんなのは映画の世界だけで、現実の学部は文学部になるし、就職の可能性も鑑みると潰しがきかない、なんて周囲に言われ、雑音で、やーめた、と、違う学部へ。
小さい頃から、努力や友情や信念や夢や、「良いこと」を感じてはいたはずながら、残念なことに最も大切なことが欠如していた、と振り返る。
周りに流されず、自分を貫くこと、周囲は所与ではなくて自分が周囲を変えられること。
谷口にもシュリーマンにもインディアナ・ジョーンズにも明確にそれがあった。自分のチカラで周囲を引っ張る、周囲を変える。そんな自分発の行動力。そこが欠けていた。気づいていたはずなのに。。。幼い頃は、周囲が一定レベルで良い環境を作ってくれるものと思っていた。その枠の中での努力でいいんだと。まったく取り違えていた。
個の力が知らず知らずに他者に影響を与えている姿を読んで、見て、感動していたはずなのに。。。谷口にも、シュリーマンにも、インディアナ・ジョーンズにも、明確にそれがあったのに。。。ボクはそこまで読み取れていなかったのだろう。。。
だから、今、平凡なのだ。
でも、平凡は無能とは違うと学習した。
平凡は不幸せではないとも学習した。
平凡に何も問題はない。平凡も幸せ。
でも、夢があって、枠を超えた行動をしていたら、周囲と共にそれに向かって行っていたら、そんな人生だったら、より充実し、平凡ではない幸せを得ていたかも。。。
それは違う質の幸せなのかな。。。
今の平凡が導いてくれる幸せと同じなのかな。。。
わからない。。。
ま、これから確認してみればいいのかな。
お読み頂きありがとうございます。
(v9_71)