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久しさ。愛おしさ。

これを書き始めたのはバレンタインである2月14日。
「また月曜日が始まってしまう」と、少し陰鬱になりながらも、
生きていくためには仕方がないと、犬歯がすり減るくらい歯を食いしばってやっている。(実際すり減っている。涙)

別に仕事が嫌いなわけでもないし、人間関係的にしんどいとかってわけでもないと思う。(たぶん。)
ただ言葉に敏感だから、なんてことない一言とかに良くも悪くも左右されるところで、メンタル的にくることはある。


リアルガチで6年ぶりくらいに、中学時代からの友人とご飯に行く機会があった。
お互いSNSで繋がっているから、なんとなくの近況は把握していたけど。(SNSってすごいよねって話もした。確かにね。)
それでもこうやって、会って話すことができるのは、素敵な時間だったと思う。

それ以前も「バンドを一緒にやっていた友人と4年ぶりとかに会って話をした」っていう記事を書いたような気がするけど、今回も鼻の奥がツンとなるような懐かしさと、安心感とがある。
まぁそれも、人によるのだとは思うけど、僕が会いたいなぁと思った人は似たような空気感というか、距離感とかを持っていると思う。
小学生が卒業するような年数がたっても、あってもらえる仲間がいるのはすごく素敵なことだし、ありがたいし、とても嬉しい。

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この1ヶ月半を振り返ると、僕は外に助けを求めていたのだと思う。

自分とはある程度の距離感を持った人と話すこと、会うことで、閉鎖的なストレスの捌け口にさせてもらった。


別に周りにいる家族や友人であり同僚が受け付けない訳では無い…。
…いやこれは嘘なのかもしれないなと書きながら、今思った。
ある種の自己暗示、そうでないと言い聞かせている、そうであってほしくないと願っている。

人間関係が煩わしい、何も考えず、なんの責任もない空間を作りたい。
自分の生き方を固められそうになる時間が煩わしい。
本音はきっとそうなんだろう。

まだまだ青いな、ガキだなと言われるだろうけど、こんな人間もいるのだ。

何気ないところで溜まっていくものがあるんだろう。
徐々に腐食するあの鉄の棒みたいに、空気や水で削り取られていく岩のように。
1日単位ではわからないけど、月や年を通すと違いに驚く。
そしてそれに気づいた時にはボロボロになってしまうのかもしれない。

そんなエマージェンシーな状態を救ってくれた時間や出会いや繋がりが、愛おしいし、有難い。


今これを書いている僕は、3月19日である。
冒頭の書き出しから1ヶ月以上が経っている。
「バレンタインだー。」なんて言っていたら、ホワイトデーが過ぎた。

仕事の量がジェットコースターで、息つく暇がなかった。
終わったと思っても新しいものが降ってくる。
これを書いている今も、僕らが生き抜いていくために、新しいことにチャレンジしていかなければならないタスクができた。

生きるってそういうことの連続なんだろうけど、
今はただの友人とコーヒーを飲んだり、何も考えずに旅行に行ったり、
ふら〜っとどこかへ行ってしまいたい。



春の匂いがする。梅の花が咲いていた。

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