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ハロー、イングリッシュワールド

数年前まで数年間、英語が公用語とされる組織にいたことがある。入社するより前だが、会社をあげて某国際テストに躍起になり、当時ニュースになっていたりした。まさか自分が入るとは思わなかったが、ちょっとした縁で入ることになった。

内規ではそのテストの規定点があり、それをクリアするまで減給がされ続ける仕組み。なかなか酷な仕組みだ。

そうまで躍起になっていたのはいずれ国内需要が先細りとなるのを見据え、国際化を急がねばという危機感と特にエンジニアなど優秀な人材を世界中から採用するのに「日本語」という壁を取り払いたかったという背景があった。

で、日本語が分からない又は日本国籍ではない人が参加する会議は英語での会議となる。
ところが、出張で来た人以外はほぼ100%日本に住んでいるので、実は皆さん日本語が出来たりする。それも割と流暢だ。

「ここ、もうちょっと詳しく教えてもらえますか?」会議後の質問は日本語で聞かれたりする。こちらもそのまま日本語で答える。

こういうシーン以外にも、外から聞いていた話とは大違いで、日本人同士又は日本語を流暢に操ると分かっている人が参加する会議はほぼ日本語で行われていた。なんだかなという感じだが、まあそうなるよねと。

でも、日本に来たばかりの人や長年住んでいても仕事のことになると英語の方を好む人がいる場合は英語の会議になる。まあ、要するに時と場合とで使い分けている訳だ。

もちろん、母国語が同じ人同士はその国の言葉で、話している。フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、韓国語、ヒンドゥー語など色んな言葉が聞こえてくる。
宗教も考え方も違うので、相互理解を必要とする環境だ。

あと、当たり前だけど、とにかく口に出さないと理解してもらえない。
以心伝心とは程遠い世界だ。これがなかなか疲れるのだが、良い経験にはなる。

まあ、そんなこんなで色々な国の人達が肌の色、言語、出身国関係なく、わんさかいた。
僕個人としては英語云々よりこんな環境が楽しかった。世界中旅しなくたって、各国の人達と仲良くなれるのだから。

国際化。この意味ではこの取り組みは成功したと言っても良いのだと思う。

一方でやはり英語に苦手意識がある又は本当に苦手な人もいて、ずっと減給状態の人もいた。これは、気の毒だった。それが理由で辞めていった人も。

「何かを取れば何かを失う」ではないが、本当にこういう取り組みで良いのだろうかは常に思っていた。が、自分の仕事が忙しく、どこかに疑問を投げた訳ではなかったのは今となってはちょっと悔やまれる。

最終的には英語云々以外の所で社風的についていけなくなり、辞めることになるのだが、その後、英語の必要性や重要性、学校での英語教育のあり方などが報道されるたびに、その組織は先見の明があったのだなと感心をしている。

少し前に上司だった人に食事に誘われ、「戻ってこないか」と請われたが、社風がすぐに変わる訳もなく、「考える時間をください」などと時間稼ぎをして、結果、お断りしたのでした。この場を借りて「ごちそうさまでした。そして、すいません」。

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