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【読書】「戦争の世紀を超えて」姜尚中・森達也

あまりにも私は無知だった。20世紀に起きた戦争の数々。そして、その背景にある歴史や動機、被害者・加害者の状況など、あまりにも知らないことが多い。そのような戦争の世紀があり、今、21世紀に生きている。

本書にあるように20世紀は「過剰殺戮と富裕化の時代」だった。平和であること、自由に発言できること、自分の好きなことをできること、これらはすごく大切なことで、それを当たり前のことにしないといけない。

一方で、当たり前だとは思わずに、この平和な時代をどう継続させるか、人と人の間に分断を起こさず社会を回していくには何に気を付けなければいけないのかを考えさせられた。

集団意識の怖さ、国や組織からの指示をそのまま受け入れて行動してしまう心理状況。会社などの組織はある意味マインドコントロールに近いことを行い人、集団としてのチカラを最大化しようとする。それを良い方向に使うのは良いが、ネガティブなことに使ってはいけない。しかし、人は危機感や恐怖に弱い。そして、それらを感じた時に大きなチカラを発揮する。そして、それらを悪い方向に使うリスクもある。20世紀に人間が経験したことを引き継いで、21世紀に生きる人間としてより良い行動をとっていきたい。歴史修正問題もあり、また様々な思想があるのでこれ以上は記載しないが、一人ひとりが考えていかないといけないと思った。

ヒトラーとユダヤ人、ポーランド。朝鮮戦争、太平洋戦争、東京裁判。911.イスラム過激派。一度は耳にしたことのあるこれらの言葉、文字。その裏側にある事実を受け止めなければならない。

(正直、左寄り的な本書だが、ひとつの考え方として知っておいた方が良いと思った。私はまだどちらのスタンスでもないし、本書の意見についてすべて同意しているわけではない)


▼記録しておこうと思ったポイント:本書より要約

P.76(アウシュビッツ)

アウシュビッツでガス室送りの選別のとき、ユダヤ人に警戒心を持たせないようにロールプレイングをSSの将校たちは日々こなしていた。。


P.124(アメリカとイスラエル)


ヨーロッパから自発的に出ていったピューリタンが作った国、ヨーロッパで迫害を受けて、シオニズムという形を作った国、そのアメリカとイスラエルとが、ある意味でよく似ている。
イスラエルがアメリカを扇動している面もある。

P.157(日本:一億総玉砕の裏側)


戦争について語るとき、その時代がグルーミー(憂鬱)で、人々が打ち沈んでいて、嫌々ながらという印象は、捨て去らなきゃいけない。

日本には働く摩擦がない。葛藤や傾悶が薄い。個の中のギアがつるつる。これは日本の特異性か。


P.164(日本:東京裁判)


GHQの転換のレトリック
虚構を摩擦なくリアルに転換してしまったこの戦争の本質


P.179(日本:終戦)


アメリカが日本を占領できた理由(GHQ幹部が当時のアメリカ大統領ルートマンに送った書簡に書いた3つのポイント)①日本人が劣等感の固まりであったこと、②天皇を残したこと、③日本人はそもそも封建的な奴隷だからだと書いている。


P.186(日本:戦後)


北朝鮮拉致問題と、残留孤児もしくは残留婦人に対する世相の温度差に、戦争の記憶と忘却のちぐはぐさがシンボリックに現れている。
当初は鳴り物入りで迎えたのに、(中略)言葉も不自由で仕事も見つからない彼らは、日本社会に居場所すら見つけられない状況。


P.214(21世紀)


21世紀としての「現代」は、過剰殺戮と過剰富裕を実現した、極端な時代であり、そこに革命的な意味があった。21世紀も、そうした「現代」の延長上にある。

人類は戦争から永劫に逃れられないとのテーゼに嵌りませんか。進化の過程で人類は、一世代前の原人を虐殺してきたという説がある。かなり強引なバージョン・アップを重ねてきた。フロイトは破壊衝動で説明した。タナトス(死の本能)。生への欲求であるエロスと死への欲求であるタナトスとが営みの源泉であるならば、進化するために旧態を破壊したいという衝動は終わらない。ならば人類は、今後も永劫に戦争とは手を切れないとの仮説が成り立つ。

過剰な戦争テクノロジーの進化が、逆に敵の陳腐化をもたらすという人もいる。


P.219(日本:拉致問題)


拉致問題の深い哀しみや苦悩など、テレビの前の第三者が簡単に共有できるはずがない。共有しているのは憎悪の表層部分。「許せない」などの述語が典型的。つまり主語がない。強いて言えば、「私たち」などの曖昧な複数名詞。だから述語は簡単に暴走する。


P.220(日本:交通事故)


交通事故の場合、日本国内で1日20人以上死んでいる。年間で8000人あまり。膨大な数字。考えてみたらとなでもない文明の利器。もしもPL法が100年前にあったら、これだけの犠牲が伴う商品など実用化できるはずがない。でもこの現実に対して、事故の当事者じゃない限りは誰も痛痒を感じない。
もしも1日20人の人質を殺すテロ組織が日本に現れたら、世の中は大変な騒ぎになる。何が違うのか。自分もその恩恵を受けているという意識と、日常になってしまっていることの麻痺がますある。でも何より大きいのは、交通事故の場合はほとんどが過失ですから、よほどのことがない限りは加害者を憎悪できない。だから世相はヒート・アップしない。


P.234(アメリカ:イラク戦争)


ブッシュがイラクへ侵攻した。これは石油利益や軍産複合体、ネオコンなどのレベルじゃない。ブッシュは善意。本気でイラクの市民を圧政から救い出すつもりで、空爆を始めた。だから強い。まさしくミッション。

評論家の加藤周一さんが非常に劇的なことを言った。今後、奴隷の平和に甘んじるかどうか、という問題提起。平和なら、極端に言えば奴隷でいいという考え。奴隷でいいと言うのは、世界で悲惨な出来事が起きていても関係ない、正義も関係ない。生活のアメニティ(快適さ)だけを求めて、いいものを食べてエンジョイできればそれでいいんじゃないかという意味。そういうふうに平和に甘んじる生き方。


P.255(チャイルディッシュであることの怖さ)


チャイルディッシュやイノセンスが、成長過程で獲得したはずの回路が何かの拍子に停まるとき、すとんと簡単に、虐殺や戦争行為に直結する。

残虐や極悪非道だから虐殺が起きるのでは決してなく、むしろ全く逆で、潔癖で純真でイノセンスだからこそ、人を大量に殺してしまう。


P.271(第三者の使命)


第三者が、どれだけ冷静に考えるかが重要。大切なことは、一緒になって「許せない!」とか「被害者の痛みを知れ!」と声を張り上げることじゃない。だって誰も当事者になる必要などないし、そもそもなれるはずもないのだから。今のこの社会が共有しているのは、被害者の哀しみでなく、加害者への表層的な憎悪。第三者だからこそ、気軽に憎悪を発動する。要するに主語がない。だから述語は、新たな標的を求めながら暴走する。こうして戦争は連鎖する。


以上。

最後に:これまでの読書感想文のご紹介





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