見出し画像

2021年のnoteを振り返って

行く年来る年。武石たけしの牛。

去年も似たような記事を書きましたが、今年も区切りということで、noteにおける私blue1984の2021年を振り返ってみたいと思います。

振り返ってみると、今年初めから記事の表紙に画像をつけることが多くなりました。昨年末にパソコンを新しくして画像をサクサク処理することが出来るようになったことが原因です。

さて3月に栄村で行われた復興灯明祭の記事を書きました。その際に栄村のことを少しでも多くの人に知ってもらいたいと思い、自分が撮影した写真をみんなのフォトギャラリーに投稿しました。

投稿した画像のフルバージョン

すると、ある方の記事でこの画像を見だし記事として使用していただくことになりました。

同時期にコンをつめて記事を書くスタイルに変えて、3月くらいから日記形式で記事をあげるようになりました。結構楽にスキを稼げるし、日常をメモしておく行為は忘れ去れさられてしまう生活の再発見につながる良い習慣だと思ったのですが、プライバシーとの兼ね合いも有り、書く内容が限定されてきて、ちょっと辛くなってきたので、8月でやめてしまいました。(文才が足りないのですね・・・)

毎日の日記の投稿にあわせて、書いた記事には必ず見出し画像をつけていました。文章だけではあまりに寂しいからです。「みんなのフォトギャラリー」にもいい画像はあるのですが自分撮影した写真の方がしっくりくる気がしたので、見出し画像のために季節感のある写真をとることが土日の日課になりました。

撮影した写真の一部は見出し画像に使用する以外に「みんなのフォトギャラリー」に投稿していました。栄村の画像が見だし画像して使われたことで少し気分を良くしたからです。また、どのような写真が見だし画像として使われるのか興味がありました。

ちなみにその時期投稿したもので比較的使用された画像は以下のもの。

上田市内にある宣教師館の和室

どうしてこの画像に需要があるのか、よくわかりませんが5以上の記事で見だしに使われています。

8月に日記をやめた後も、すっかりカメラの楽しさにはまってしまい、土日に行っていた風景写真の撮影は続けることにしました。そして、取ってきた写真はつぶやきに添付して公開し、みんなのフォトギャラリーに投稿するという形式をとりました。

10月下旬にnoteから#紅葉前線レポートというお題が出てきました。紅葉は以前から好きだったので、何枚か応募して見たところスキが結構集まったので、調子にのって応募を続けたところ、

こんなつぶやきが、

で取り上げられました。公式さんどうもありがとうございます。

また、

で私の記事がとりあげられています。取り上げていただいた小諸市もありがとう。

ちなみに、note公式で紹介された紅葉の写真がこちら

この写真、奥の東屋を一つのポイントにするために上下をぼかすジオラマモードで撮影しています。少し東屋がぼけたことで意図せず紅葉が強調される効果をうみました。正直、撮影した際の印象は狙いすぎな感がしました。

少し話題は変わるのですが、11月には3年前くらいから趣味として続けていた詰将棋を何題か作成して画像をあげてみました。これは人生論ノートのこんな言葉に影響されたものです。

娯楽は生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。単に見ることによって楽しむのでなく、作ることによって楽しむことが大切である。

三木清 人生論ノート 娯楽について

専門紙に投稿できるようなレベルではないと思ったので、note上で公開してみました。(すでにあるものかもしれませんし・・・)紅葉の写真ほどリアクションが良いものではないのですが、これからもちょっとムラッとしたらnoteに投稿するかもしれません。

改第3弾をさらに1手加えた11手詰

話を戻して、写真の話。12月になってクリスマス用にイルミネーションをいくつか撮影し「みんなのフォトギャラリー」に投稿しました。記事のスキは良くなかったのですが

軽井沢高原教会のクリスマスツリーのオーナメント
(キラキラ感を出すために少し明るめにカメラを設定しています。)

上記の画像がクリスマスの週に急に使われだし、結果30以上の記事で見だし画像として使用されました。一つの画像がどんなに伸びても10以上の記事で使用されたことがなかったので驚きました。おそらく「みんなのフォトギャラリー」の検索でひっかかりやすくなっていたのだと思います。

今年を振り返ると、自分のテーマとして「外の世界へ」ということを意識してきたつもりです。「『人生論ノート』 ー運命についてー」はそのような気持ちをもって書いたものです。

昨年末に新しいパソコンを買い、3月に栄村の写真を「みんなのフォトギャラリー」に投稿を行い、それが見出しになったこと。毎日の日記記事を投稿することによって、写真の撮影を行うようになりそれらを次第に楽しむようになったこと。それらが偶発的にそして運命的につながって、11月には撮影した写真がnote公式等に取り上げられ、12月には見だし画像として多くの人に取り上げられる写真を投稿することができました。

ふとしたきっかけで始めたことが、いろいろな人の力に微力ながらお役にたてたことは良かったと思います。今年の自分のテーマ掲げていた「外の世界へ」が一つ形になったように思えます。

ふと、この記事を書いていて人生論ノートの言葉と、自分自身が過去の記事に書いた言葉が今回の記事の内容とリンクしている気がしていきたので掲載します。

 人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。もし一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら運命というものはまた考えられないであろう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっているゆえに、人生は運命なのである。
 希望は運命のごときものである。それはいわば運命というものの符号を逆にしたものである。もし一切が必然であるなら希望というものはあり得ないであろう。しかし一切が偶然であるなら希望というものはまたあり得ないであろう。
 人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。

三木清 人生論ノート 希望について

もちろん、問い続けるというのは、ただ考えているだけ、ただ思っているだけということではなく、積極的に世界へ働きかけることを意味しています。希望は「私」の中で生み出すものではなく、いつか、「世界」から与えられるものだと信じて行動し続ければ、新たな希望が生まれるのかもしれません。

blue1984 『人生論ノート』 ー運命についてー

ざっと1年振り返りました。記事を読んでいただいている皆様一年間ありがとうございました。まだまだ試行錯誤しながら記事の作成を来年も続けていければと思います。

では、皆様よいお年を。

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