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”音”が掻き立てる感性とヒラメキ、を大切に。



街×音、を考えさせる、興味深い記事を読みました。


街と音、そして人間の関係性について感じた事があるので書いてみます。

”音”が与えてくれるものは、普段の生活の中にたくさんあるけれど、気づかずに終わってしまうことが多いから、無駄にしないためにも。


2021年1月24日(日)朝刊

NIKKEI The STYLEの記事より。

電子版でURLとしてシェアできない記事でしたが、

公式Twitterに特集の言葉で少しだけ記載がありました。





”音”は見えないけど、力になる



『情報化社会で生活する我々は、

日常の中でふとした「気づき」がしにくくなっていると思う。

渋谷という街の音を聞きながら、

その先に広がる様々な景色を思い浮かべてほしい』



これを読んで私は、なんで自分がよく渋谷に作業をしに行くのか、ハッと気づきました。


別にこれは渋谷に限った話ではもちろんないです。

でも、自分の普段の行動を解説してもらえているような、そんな気持ちになりました。



以前の投稿でも少しnoteに書かせてもらったことがあるのですが、

私、個人的に結構騒がしい街の空間に1人で出掛けたり、そういう中で考え事をするのが好きです。

大のお気に入りの週末の過ごし方です。

(友達がいないと思われても、しょうがないような週末スタイル。笑)


街に出て英語など勉強をする時ももちろんありますが、どちらかというと考え事をしたりnoteを書いたり、関心のあるブランディングについて色々調べたり、考えたり…。

そんな感じで、自分なりに先のことを考えるとか、普段の仕事から切り離した自分のための時間の過ごし方をしています。


すごくカッコよく言えば、割とクリエイティブな事をすることが多いです。

(私の場合はただの趣味のレベルですが…笑)



たくさん人が行き交っていたり、ガヤガヤと喋っていたり、色々な音が混ざり合っていたりする、ちょっと騒がしい感じ


街ごとに色々な音の特徴があると思うので、どの街が好みかは人ぞれぞれだと思います。

その中で私は渋谷の温かみというよりかは、ちょっと雑多で音の種類が多い街は色々な気づきになりやすいです。



”音”は、私にとってその時々の”気持ち”を生み出してくれるツールの1つであり、

音がもたらす”気持ち”は、半分妄想みたいな形で何か新しいアイディアをひらめいたり、重要な情報源になり得ています。


情報源と言っても、決して他の人が話している会話内容が直接的に情報になるというニュアンスではなく、会話している人たちの雰囲気から主観的に感じ取ったこと

主観なので正しく妄想、想像というものであり。笑


でも、その感性という部分が研ぎ澄まされるからこそ、”音”は魅力的であり、

街で過ごす時間の魅力なのだと思います。



そういう意味で、この文章を読んだ時にすごくしっくり来ました。




情報のカタチ


冒頭の抜粋した文の中でも「情報化社会」という言葉が出ていました。

ここで言われる、情報化社会という言葉を少し整理してみました。


様々なことが客観的に視覚化、言語化、定量化されやすくなった社会


様々な化け方をしているけど、情報として身の回りに溢れている状態。

一般的に考えると、情報化されているのは記録や伝達が楽であり、非常に便利。

且つ、多くの人に共通のイメージを与えたり、第三者に自分のイメージを伝えることができる。そんな便利さ、おもしろさを生み出したと思います。



スマホの中の情報ひとつとっても、ネットのブログという文章的なもの、インスタのような写真的なもの、YouTubeという音声と動画的なもの。

はたまたアーティスティックなデザインもあれば、共通認識である数字を使ったもの。

多様なカタチで存在する情報。



一方で、”音”は”目の前に見えない情報”、の1つだと思います。

ですが、スマホひとつで多種多様な情報が得られるがゆえに、手元の”見えるもの”に意識や目線がいき、自分の周辺にある”目の前に見えない情報”はスルーされやすくなっている。


つまり目の前にある景色を無視した空間、時間を過ごすことが可能になってしまっているのかもしれない。


もちろん自分自身が好きな空間、特別な空間であればそれは特別感、映えに繋がって、「日常」からは切り離されてしまっているのかもしれない。


もしくは情報が溢れていることで、視覚的に見えないものを捉えようとする機会が奪われているのかもしれない。

感覚を使って考える、捉える機会が減ると、気づき自体も減少してしまうのだろうと、そのように考えました。


情報化されていると考えなくても、色々なカタチで速やかに答えが提供されているので、一度グーグル先生にお世話になれば終わってしまうことも多いでしょうと。

このありがたい情報化社会を私も存分に享受しています。

この恩恵を失いたくはないです。笑

でも自分の中でバランスを取ることは重要だと再認識したわけです。




”音”の価値



『身の回りにあふれる音は、ややもすると、

ただの雑音として聞き過ごされてきた。

それが今、価値あるものとして再定義されることで、

多くの人々見直され、いや、聞き直されている。』



人の認識の仕方、傾向は断片的なものではなく常に変わり続けるものであり、別に私がこのnoteを書かなくても、多くの人が”音”の価値を再認識しているのだと思います。


決して街に出るだけではなく、自分が好きな場所、家でもいいと思います。

普段はスーッと聞き流している”音”のことを、”音”が存在していることを再認識してみるのもいいのではないかと思います。


そして時にはいつもと違うような”音”をどこかに求めて、手元の見える情報以外にも意識をやってみる。


なんだか豊かになるような気がします。



「”音”からその街の特徴や足音が聞こえてくる」


考えるだけでワクワクします。


あ〜ニューヨークの音が聞きたいなぁ。笑



今日も読んでくださり、ありがとうございました!!



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