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『琥珀の夏』で感じた、母子の繋がりとか、子どもの幸せとか。

小学5年生くらいのころ、あるプログラムに参加したことがある。
それは、市内の小学校からそれぞれ二人ずつ選出されて、そのメンバーで半年間、月に1回くらい集まってレクリエーションをやるというものだった。

わたしは小さい頃から人見知りが激しかったけど、そのプログラムは何となくおもしろそうだと感じて、珍しく自ら「行きたい」と名乗り出た。小学生くらいの頃は学級委員をやったりもしていたし、まだ何となく自分に自信があったのかもしれない。

一緒に行くことになったクラスメイトの子は特別仲が良くも悪くもない子でだったけど、これを機会に仲良くなれればいいな、くらいに思っていた。


そのプログラムでやるレクリエーションの種類はさまざまだった。みんなでオリエンテーリングをしたり、ペタングなど普段触れたことのないスポーツをやってみたり、アスレチックで遊んだり。小学生らしく体を動かすものが多かった印象だ。

そのなかで、一泊二日の合宿が一度だけあった。みんなで遊んで、ご飯を食べて、布団を敷いて寝る。しかし生来の人見知りを存分に発揮しまくっていたわたしは全く誰とも仲良くなることができず、合宿中はほとんどしゃべることもなく正直つらい気持ちしかなかった。一緒に来たクラスメイトは別の学校の子と楽しげに仲良くしていているし、グループが完全にできあがっていてどこにも入れないし、参加する前に抱いていた楽しそうだという気持ちは遥か彼方に吹き飛んでいた。

その時のレクリエーションでは、ランダムに二人一組になってカヌー体験をすることに。そこでわたしは、あんまり近寄りたくないと思っていたリーダー格の気の強い系女子と組むことになってしまった。向こうもそれは同じだったらしく、かなり不機嫌な様子で、ろくに話しかけようともしてこなかった。

いざカヌー体験が始まると、彼女の不機嫌は爆発し、カヌーがなかなか進まなかったりとか、思った方向にうまく行けなかったりとか、そういった不満は全部わたしに向けられた。彼女からの不機嫌なことばたちを浴びながら、わたしは「もうこういうことには絶対参加しない」と心の中で強く誓った。


***


なぜこんなことを急に思い出したかというと、辻村深月さんの『琥珀の夏』という本を読んだから。

<あらすじ>
大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。
かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。
圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。
━amazon 商品ページより


小学4年生のノリコは、人気者のクラスメイト・ユイからの誘いで『ミライの学校』という施設で開かれる合宿に参加することになる。

地味で友達が少ないノリコは合宿を通じてユイと仲良くなれることを期待するけれど、ユイとは別のグループになってしまい、新しい友達もうまく作れない。

そんなノリコのことを見ていたら、小学生時代の自分がオーバーラップしてきてしまったのだ。楽しそうだと思ってプログラムに参加したけれど全然友達が作れなかった、あの頃の自分に。


辻村さんの本はいつもそういうところがある。共感ポイントが多すぎて苦しくなったり、自分に重ねて読んでしまったりすることが。

辻村さん作品は、買ってすぐに読めない。読みはじめたらあっという間に引き込まれて、心を揺さぶられることがわかってるからだ。だから十分に心を整えてからじゃないと読めない、と、勝手に思っている。


今回も数日寝かせてから読み始めた。

そうしたら、プロローグからもう叫び出したくなるくらい面白い。ぐいぐい続きを読みたくなるような吸引力がすごい。一体なにが起こっているのだろう、どうしてこうなっているのだろう。経緯を、結果を知りたいという気持ちがわーっとあふれ出て止まらなくなる、そんな感じだった。


琥珀とは、数千万年~数億年前、地上に繁茂していた樹木の樹脂が土砂などに埋もれ化石化したもので、いわば「樹脂の化石」。
━琥珀のお話-久慈琥珀公式サイトより引用


琥珀のような過去の夏の思い出が語られるパートと、謎の白骨死体をめぐる現在のパート。それらが入り混じりながら真相に近づいていく展開は本当におもしろくて、暇さえあれば先を読み進めた。白骨死体は一体誰なのか?誰が何のために隠したのか?という謎がじわじわと解き明かされていくのは靄が晴れていくようでとてもよかった。


そのミステリー的な要素と並行してこの本の底を流れていたのは、『親子(特に母子)の繋がり』というテーマだったように思う。

ミステリーとしてのおもしろさはもちろんだけれど、わたしはそっちのテーマのほうに、だいぶ考えさせられた。

働きながら幼い娘を育てる弁護士の法子。子どものことはかわいい、けど、子どもを育てるには働かなきゃいけない、働くには子どもをどこかに預けないといけない、だからどんなに子どもがかわいくても離れて過ごさなければいけない時間ができる。一方で、子どもはかわいいけど、離れる時間ができることにホッとする。そんな矛盾した感情。

わたしはまだ子育てをしたことがないから、そういう感情をまだ直に感じたことがない。けれど、子どもができたらきっとそういう風に感じるんだろうなという予感は何となくしている。法子が抱える現代社会での子育ての苦悩は、きっと子育て中の人が読んだらものすごく共感できると思う。


それとは別に、大人が与えたい愛情と、子どもが受け取りたい愛情のすれ違いってあるなと、この本を読んでいて思った。親は、子どものことを思って最高の教育を施そうとする。その結果、『ミライの学校』のようなところに子どもを預ける。けど子どもとしては素晴らしい教育を受けることなんかよりも、親と一緒に過ごすことを一番に望んでいて。そういう、愛情のすれ違いって本当にもどかしいし、もしわたしが将来親になるようなことがあればじぶんの愛情を押し付けないように接したいな、なんて考えた。


わたしもいい歳なので、いよいよ子を産み育てることが現実問題として迫ってくるようになった。正直、働きながら育てられるのか不安に思うこともある。けれど、じぶんが親になるときがいつか来るのなら、子どもの気持ちをできる限りちゃんと聞いて、過保護になりすぎないように挑戦もさせつつ、きちんと「一人の人間」として扱いたいなぁ……なんて、いつになるかわからないけどそんなふうに思っている。


辻村作品は現代社会の困難とか苦悩が写し取られているから好きだし、引き込まれる。婚活とか、いじめとか、仕事と子育ての両立とか。それぞれの局面に立っている登場人物たちの心情がリアルだし、いつもいつも激しく共感してしまう。


『琥珀の夏』は、働きながら子を育てること、教育を施すことについて深く考えさせられた作品だった。

ミステリーとしてもおもしろいので、ぜひ。

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