不安定な母に好かれたかった
楽しそうに過ごす母が好き
笑う時は豪快に。泣くときは声をあげて。怒る時はドッカンと。優しいときは甘くて高い声で。
私の母は0か100かで感情を出します。
悲しみと怒りに震えた母の声はとてつもなくコワイです。コワイのに、悲しみと怒りのスイッチはなぜか唐突にオンされます。だから、できるだけスイッチを押さないように、と心掛けていました。
しかし、同じ屋根の下で暮らしているので衝突します。
「うわーーーーー!!!」
と錯乱したかのように車に乗って家を出ていく姿を見ると、もう家に戻ってこないんじゃないかと不安な気持ちでいっぱいになります。
人間が幸福に生きていくうえで大切な「愛着」。
『愛着障害~子ども時代を引きずる人々~』(光文社新書)から、親と、そして"自分"と、どう向き合っていくかを考えました。
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0か100かの距離
「群れるのは嫌い」
「大人数で遊びに行くのは好きじゃないから誘わないで」
「一人でいるのが好き」
と友人に話したことがあります。友人は気を遣って遊びに誘わないようにしてくれます。少し離れた距離で付き合うことには安心感がありました。
距離を置くことで生まれていた謎の安心感。その謎が少しとけた気がします。
0か100かの距離はよくない!と50の距離を保つことができる人間に言われることもあるけれど、それが私にとって一番負荷にならない距離なので、謎が解けたとて克服しないことにはどうすることもできません。
思い込み
友「暇だからバイトする~」
私「なんでバイト?」
友「別に。理由なんてないけど?」
私「なわけあるかい!」
お金を貯めたいとか、そのバイトが好きだからとか、店長に頼まれたとか、なんかあるでしょ!理由がないわけないでしょ!と心の中でツッコミました。
たしかに、いつでも理由をもって行動しているのは私です。「理由があるから行動する私」を相手に重ねて、「理由があってバイトをする人」と思い込んでいたようです。
とはいえ、「そうか、理由ないのか。」
と口で言えたとしても心のどこかで
「自分でも気づいていない理由が心の奥底にあるんだよ」
と思ってしまう自分がまだいます。思い込みをなくすのにはなかなか時間がかかりそうです。
常識的な限界を超えることができる人たち
夏目漱石、川端康成、太宰治…
著書で扱う愛着障害をもった人の例には、たくさんの有名人が出てきます。
「みんな辛い思いをしているから気にしなくて大丈夫だよ」という安易な励ましでは全くありません。愛着障害をもった人は、安定な愛着をもつ人には気づけない何かに気づくことができ、安定な人が抜け出すことのできない常識的な限界を超えることができる、と述べられています。
「わかってほしいけど、簡単にわかってると言わないで欲しい」
と思ったことがあります。
苦悩を乗り越えた人は、簡単にわかってると言われたくないことを理解してくれる。乗り越えてない人よりもずっと寄り添ってくれる。そんな気がしてきます。
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母との関係
著書を読み終わって、「安定した愛着スタイルに近づくのも悪くないかも」と思えました。なぜなら、自分の愛着スタイルが、だれかにとっての不幸に繋がることがあると知ったからです。
母とは少し距離を置いている状態が続いています。それで丸くおさまっているからこれでいいと思っていました。
でも、母の近くに安定した愛着をもった誰かがそばにいたらもっと幸せになれるのではないかとも思えてきました。
母の幸せよりも、やっぱり自分の幸せの方が大事だけれど、
どっちの幸せも叶えられる状態をつくることはできるのかな。
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